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第60話『やるせない思い』
出来合いのタレを使って豚肉を焼くと、立派な生姜焼きになった。
レイは夕飯にちょうどいい七時過ぎに帰ってきた。炊飯器がピーピーと出来上がりを知らせる。サキはご飯をよそって、レイの前に置いた。
「立石さんって、中学の同級生なんだな」
レイは味噌汁に口をつながら、面白くなさそうに「うん」と言った。
帰ってからレイはずっと不機嫌そうだった。
立石がサキに進言してきたことを考えると、同居のことをいろいろと言われたのかもしれない。だが、それでレイが機嫌を悪くするようなことは何もないはずだと、サキは思っている。
「レイのことを心配してた。いい友だちだな」
肉を口に運びながら感心して言うと、レイは、ぱちんと箸を置いた。
「なんでハルについて行ったの」
サキはどきっとした。
詰問されたからではなく、レイの口から以前の愛称が出たからだった。
サキは以前の身体だったとき、仲の良い友人たちから、『春』と呼ばれていた。
自分のことじゃなかったな、と思いながらサキは答えた。
「なんでって、レイのこと知ってたし、おれのことも知ってるようだったし」
「サキはハルのことなんて覚えてないんでしょ。それなのにホイホイついて行くなんて、何考えてんの」
その言い方にムッとした。
「ついて行ってなんかない。話しがしたいって言うから、おれがあの店に連れてったんだ」
「おれは知らない人についてくなんて、警戒心なさすぎだって言ってるの」
「そこまで子供じゃない」
レイよりずっと年上だ、と言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。
レイは非難がましい目を向けてきたが、サキは冷静に見つめ返した。
「おれはあの人と話ができてよかったよ。レイに訊いても教えてくれなかったことを教えてくれたからな」
レイはぴくりと頬を動かした。
「立石さんには、久我と何があったのか教えてくれって、おれから頼んだんだ」
「…………」
「思ってた以上に、やばい奴だってわかった」
サキはキャベツの千切りを箸で掴んだ。
「レイがあいつのせいで謹慎処分受けてたとか、以前のおれも知らなかっただろうけど。だからといって、久我とのことを許してくれなんて言うつもりはないよ。おれがしでかしたことには変わらないんだから」
元の魂がやったことは、他人から見れば自分がやったことだ。立石はそのことをはっきりとわからせてくれた。
「もう、おれを追い出してくれていいんだけどな」
サキがキャベツを咀嚼していると、うつむいていたレイが声を絞り出すように言った。
「……だから、知られたくなかったんだ」
「ん?」
サキは食べる手を止めた。レイはぎゅっと眉根を寄せた。
「サキは、気にするだろうと思った。覚えてもいないことに、責任感じるんだろうなって」
レイは顔を上げて、真剣な眼差しを向けた。
「そんなの、今のサキには関係ないことでしょ」
サキは心を射貫かれたような気がした。胸がトクトク鳴り、落ち着かせるため、ゆっくり瞬きをした。優し過ぎる、と思った。
まっすぐに見つめてくるレイに、サキは微笑んでみせた。
「ありがとな」
言うと、レイは視線を泳がせ、箸をとった。生姜焼きを口に入れるのを見ながら、サキはふと思った。
「立石さんて、この辺に住んでんのか?」
「いや。最近、ハルの恋人がこの近くに引っ越したらしくて。今日はその帰りだったみたい」
立石はオメガらしい細い美しさを持った青年だった。
粗野な言動が残念な感じだが、レイを心配する気持ちは本物だと思った。
「それならまた会うかもしれないのか」
「会っても無視していいから」
レイの一見冷たそうな口ぶりは逆に二人の親密さを思わせた。それより、とレイは続けた。
「明日また、白河紙書店に行こうと思ってるんだけど」
「ああ、なら、講義が終わってから一緒に行く?」
レイはうなずくと、『霧の魔法使い』の話を始めた。前回、白河紙書店に行ったときに買って帰ったらしい。
あのときは三巻がなかったが、入荷したのを確認したと言っていた。続きが読みたいようだ。
電子書籍で読めばと言ったら、紙で揃えたいと言った。
サキもまた、あの本に出て来る詐欺師が好きだと語ると、レイは、おれも、と笑った。
その子どものような笑顔に、サキはやりきれない思いを抱えていた。
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