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第61話『甘えないサキ』

十二月に入って数日たったある朝、リビングにいたレイに、サキは「調子が悪い」と言って、部屋に戻っていった。 リビングは換気のために窓を開けていたが、外気が冷たく、レイはすぐに窓を閉めた。 サキの部屋のドアを叩き、返事を待ってからスライドして開ける。 「大学はどうするの?」   サキはベッドで布団にくるまったまま、行かない、と言った。 大丈夫か訊いても、大丈夫しか返ってこない。レイは小さくため息をついた。 「じゃ、おれ行くね」   レイはサキを残して家を出た。マンションを出ると、向かい風の冷たさに首をすくめた。   サキは風邪で調子が悪いのか、ヒートなのか、はっきりとわからなかった。それくらい彼から匂いがしなかった。   先月、白河紙書店でヒートを起こしてから、サキは病院で薬をもらうようにしたらしい。 時期的にはヒートのような気もするが、確信が持てないので尋ねるのは憚られた。   記憶喪失になる前のサキは、ヒートをきちんとコントロールしていた。 市販の薬を飲んでいたのか、病院から処方されていたのかまでは知らない。 ただ、以前のサキはヒートが来ると、 『今日はヒートだから、ヤろ?』 そう言って首筋に顔をつけてきて、やっとフェロモンに気づくくらいだった。 レイにすり寄って甘えてくるサキはとても可愛く思えた。 だが、いまのサキは甘えてきたりしない。 ひとりで耐えようとするし、ひとりでなんとかしようとする。 こちらから手を差し伸べなければ取ってくれない、そんな人に変わってしまった。 以前のサキより、しっかりしているので日常生活においては心配することはないが、第二性に関することは、まだまだ危なっかしい。 (おれが気をつけてあげなきゃ。おれの責任なんだから)   レイはつらつら考え事をしながら、大学の構内に入り、一限目の教室に入った。   教授がよく見えるように斜めに作られた講堂で、どこに座ろうかと見まわすと、久我が目に入った。 後方の席で女の子と話をしている。 レイは気づかなかったふりをして、前方の席に座った。 行きつけの店のオメガであるヒロムを使って自分を嵌めようとしたことについて、怒りもあったが、関わりたくない気持ちの方が強かった。 こちらが行動を起こせば、サキに被害が及ぶかもしれない。それが一番怖かった。 レイは授業で使うタブレットをリュックから取り出し、起動させた。講義はあと五分で始まる。 端末に配信されている資料を確認した。 講義開始ぴったりの時刻になり、半白の髪の教授が教室に入ってきた。レイはタブレットに目を移し、講義に集中した。 その後、四時半近くまでたっぷりと講義を受け、カフェのバイトに行った。   九時にバイトを上がり、夜道を歩きながら携帯を開く。 バイトに入る前にサキにチャットを送っておいた。体調はどうかと訊いていた。 サキからは、ヒートだから部屋に籠る、と返事が入っていた。 レイは、やっぱりか、と思いながら落ち着かない気分になった。 (鎮めてあげなきゃ) サキが待っていると思うと自然と足が早まった。 顔に冷たくあたる夜風も気にならなかった。レイはサキの熱を思い出し、背筋がぞくりとした。 急いでマンションに帰り、玄関を開けたが、サキの匂いはしなかった。 病院で処方された薬が効いているのだろう。薬が足りないと廊下にまで匂いが漏れ出ていたが、今日はしない。 レイは自室に戻って、ヒートを起こさないための抑制剤を打った。 注射器を置いて、サキの部屋の前に立つ。ひと呼吸置いて、ドアに手を掛け、スライドした。が、ドアは開かず、指が滑った。 レイは、え、と思った。もう一度ドアに手を掛けたが、やはり開かない。 サキの部屋には鍵が掛かっていた。

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