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第68話『泉サキの家族』
年が明け、梅の花が寒風の中で咲き始めた頃、大学では後期試験が始まっていた。
目前の春休みに心躍らせながらも、レポートの数々に苦しまされる時期だ。
サキはレイと食堂で向かい合って格安ランチを食べていた。
今日のメニューはチーズが乗ったハンバーグ定食である。サキが味噌汁に口をつけていると、箸を持ったレイが言った。
「実家どう? うまくやれてる?」
「うん、まあ」
レイの家を出て、元の魂の実家である泉家で暮らすようになって一ヶ月が経っていた。
携帯に登録されていた実家の住所に行ってみたのは大晦日の日だった。
泉家は大きな邸宅が並ぶ高級住宅街にあり、彼の家もいわゆる金持ちの家だった。元の魂の荷物に実家の鍵らしきものがあり、使ってみると玄関が開いた。
不法侵入にはならないから大丈夫だと言い聞かせ、心臓をバクバクさせながら家に上がると、リビングから中年女性が出てきた。心臓が飛び出そうになった。
冷や汗を垂らしながら母親か? と思ったら、
「サキさん! まあ、お久しぶり! お帰りなさい! ああ、せっかく戻られたのに、旦那様も奥様も今日は帰られないんですよ。今日もお仕事だそうで」
と、訊いてもいないのにしゃべってくれた。
後でわかったことだが、彼女は泉家で長年ハウスキーパーをしている人で、サキが中学生の頃から知っているらしい。
サキは物忘れしたかのように、「うちに来てどれくらい経つんだっけ」と当たり障りない聞き方をしながら、彼女のことや両親のことを聞き出した。
彼女と話しをしてしばらくすると、
「サキさん、ずいぶん落ち着かれましたね。私とはあまり話してくださらなかったのに」
と言われた。以前と変わったと言われるのは百も承知だ。
「もう大学生だよ? いつまでも子供じゃないから。あ、家を出たのがよかったのかも」
と前もって用意していた台詞を吐くと、彼女は相好を崩し、「大人になられましたね」と両手を合わせた。
元の魂の両親に会ったのは正月の三日目だった。サキと顔を会わせても「帰っていたのか」くらいの会話しかなく、サキの変化にも気がつかなかった。
どうやらこの親は子供に興味がないらしい。サキにとっては有難い話だった。
「ほったらかしにされてるんでしょ。つらくない?」
レイが同情するような目を向けてきた。
ハンバーグを食べる手が止まっている。サキは箸を置いて水を飲んだ。
「おれには彼らが親だって感覚がないんだ。寝るとこあって食事も出て、干渉されないなんて、最高だよ」
本心から言うと、レイは「サキは大人だなあ」としみじみ言った。
その言い方がまたおかしくて、
「実際、大人なんだよ」
と笑って言うと、レイがパッと顔を上げた。
「サキは、えっと……ハルユキは、いくつなの?」
サキは軽く目を見張った。レイはたまに『吉野春之』のことを知りたがる。
入れ替わったという話を本当に信じてくれたとは思っていない。
二重人格者として扱っているのかもしれないが、あの話を尊重してくれていることはわかった。
「聞かない方がいいよ」
苦笑しながら言うと、レイはすかさず言った。
「サキはおじいちゃんなの?」
「! おれはまだ三十二だ!」
反射的に言い返していた。
雑多な食堂内にサキの声は通り、何人かが振り返った。サキは慌てて手の甲で口を押えた。
レイは目を丸くし、そうなんだ、とつぶやいた。
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