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第75話『安堵』

とっぷりと陽が暮れた夜の街中を、サキたちを乗せた車はレイのマンションに向かって走行していた。 後部座席にいたサキはぼうっと前を向いていた。 「泉が攫われた場所って、レイのマンション近くだったけど、久我はずっと泉を狙ってたんだな」   助手席にいる立石が言うと、運転席にいる立石ハルキの恋人が答えた。 「機会は狙ってたのかもしれないけど、あの場所って決めてたわけじゃないかもね。偶然見かけて、連れていけそうだったから、攫ったんじゃない?」   彼は人目を気にしてなかったから、と続けた。 「まさか。さすがに人目は気にするだろ……」   立石は言ったが、サキは運転席の彼が言ったことが当たっているのではと思った。 久我の精神は幼い。今の己の感情を満たすためだけに、後先考えずサキを番にしようとした。 あの異様な目の光りを思い出し、サキはブルっと震えた。 「そういう話は今しなくてもいいでしょ」   サキが強張ったのを感じたのか、サキの右手を握っていたレイが立石をたしなめた。 立石もデリカシーのなさに気づいたのか、謝った。サキは首を振り、頭を座席につけて目を閉じた。   レイの手の温もりが昂っていた心を落ち着かせてくれた。   ほどなくして、車はレイのマンション前に停まった。 二人に御礼を言い、家に入るとサキは力が抜けそうになった。 我が家に帰って来たように安心した。 「少し休む?」   レイが気遣うように言った。 「うん。でもその前にシャワー浴びたい」   レイがうなずくのを見て、サキは浴室に入った。熱いシャワーで全身を洗い流す。   久我に拘束され、挿入こそ免れたが、身体は撫でられたし、舐められもした。 嫌悪感が走る中、濃厚で異様なアルファの匂いに気が狂いそうになり、必死でレイを呼んでいた。 「あいつが来るわけないだろ。好きなだけ叫んで、絶望しろ」   久我は舌を這わせながら言った。 サキは正気を失ってたまるかと思うと同時に、呼べばレイが来てくれるのではないかと思った。 久我に覆いかぶさられ、好き勝手に触られているとき、扉が開いたのだ。   シャワーを浴びながら、サキはじわっと目頭が熱くなった。 (本当に来た)   信じられない思いでいっぱいだった。震えるような感動で、シャワーと一緒に涙も流れた。   ひとしきり涙を流したあとは、久我の感触を消したくて石鹸で力強く洗った。 一度では足りなくて、二度、三度こするのだが、匂いが纏わりついているようで、気色悪かった。 どんなに洗っても匂いが落ちている気がしない。何度目かの石鹸をつけていると、 「サキ、大丈夫?」   と、レイが声を掛けにきた。 シャワーにしては長すぎると思ったのだろう、心配して様子を見に来たようだ。 サキはシャワーを止めた。 「もう出る」   最後にもう一度だけ洗い、サキは浴室を出た。 リビングに行き、ソファーにレイが座っているレイの前に立った。顔を上げたレイに、 「あいつの匂い、する?」   と、サキは小さな声で訊いた。するとレイは立ち上がり、サキの首筋に顔を寄せた。 「石鹸の香りしかしないよ」 「……ほんとに?」 「ほんとう」   レイは身体を離し、優しく言った。 「スープ作ったんだ。飲む?」   うなずくと、レイはキッチンに行った。 持ってきてくれたスープの具は、今夜食べるはずだった鍋の具材に思えた。 サキはまた目頭が熱くなるのを堪え、スプーンですくった。 温かいスープは、そのままレイの優しさに思えた。

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