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マサヤが皆口家にやってきてから、ちょうど一年が経った。
空虚ですぐに上滑りしてこぼれ落ちていくような思い出がそれなりに蓄積していったように思う。思い出と称するにはいささか大げさか。思い出、ではなく、記憶。日々勝手に蓄積されていく些細な記憶だとか、夢で整理整頓されてしまう程度の記憶だとか、消えたと思っていたのにある夜にふと蘇る記憶だとか、そういう細切れになっていく記憶。
たとえば。
たとえばランドマークともいえる寂れた大時計のモニュメント前でぎこちない写真を撮ったこと。絢音が構えたスマホのレンズを通せば、シンヤの困り顔だろうがマサヤの笑顔だろうか、すべてうさんくさいウサギの鼻や耳で装飾されてしまう。ランドマークなんてそっちのけで、絢音は二人ばかりを撮っていた。
秋は庭で焼き芋をした。落葉樹はあまり植えていないので、近くのダムまで行って山道から落ち葉を拾い集めた。ダムの底には鹿影町の一部分が沈んでいるのだと噂されているが、眉唾だ。遊歩道としても楽しめる山道は渓谷を望むことができて、有名な心霊スポットである大きな橋がかかっている。とはいえ、〝渓谷の吊り橋〟と聞いて雄大な景色を想像すると、おそらく肩すかしを食らうはずだ。というのも、川面から吊り橋まではたった数メートル程度で、よほどの恐怖症を持ち合わせていなければ、橋を渡るのに覚悟や勇気はいらない。とはいえ、心霊スポットとして囁かれるほどには自殺者も出た過去がある。川が比較的浅く、大きな岩石が瘤のように突き出しているせいで、一見すると死に切れなさそうな場所に見える。しかし、事実として、この吊り橋から飛び降りて軽傷で済んだ者はいない。
マサヤは案外怖がりで、絢音とシンヤに両手をつないでもらい、なんとか渡っていた。その情けない姿に、声を漏らさないようにして笑ったのは……これは思い出か。
川縁に落ちていた、拳よりもやや大きな石に惹かれて手に取り、しげしげと見つめた。まるでミニチュアの高山のかたちをしている。なだらかな尾根や、堂々とした頂からはご来光の幻すら見えた。表面に白いすじが浮いていて、それすら山膚を流れる滝を象っている。どこから見ても、手のひらのうえの御山だ。
「そういうの、なんていうんだっけな。たしか名前があったはず。石を山に見立てて飾ったり鑑賞したり。かれさんすい? みたいなの。なんだっけなぁ。あー、ちょい待ってな。調べてやる」
サングラスをずらして裸眼で石をのぞき込み、頼んでもいないのにマサヤはスマホをスワイプしまくる。しばらく唸りながら画面を見ていたが、
「わかった! 水石だってさ。すいせき」
すいせき。シンヤはあたまのなかでなんどもその単語を繰り返し、音のうつくしさを噛み締めた。しかし、恍惚と石を眺めるシンヤに気まずそうにマサヤは大げさに眉根を寄せた
「でもなあ、自然の石を持ち帰るのは法度らしいじゃん。ほら、幽霊が憑いてくるとか祟られるとか聞かん?」
「んー……」
普段なら人の進言に逆らうことはしないのだが、掲げて眺める水石を手放す気になれず、太陽に翳して目に焼き付ける。秋のやわらかい陽射しが紅葉の黄金色に乱反射して、水石は神々しく輝いた。
「なに、シン。石がほしいの? 持って帰っちゃいな。いいじゃん、玄関に飾ろうよ。きれー。ちょっと緑がかってるから、余計にお山に見えるのかなあ」
絢音もひょっこりと顔を覗かせ、あっけらかんと言う。力添えを得たシンヤはちいさく頷き、マサヤを見上げる。
「まあ、絢音ちゃんがそう言うならいいんじゃね? なんか悪いことがあったらさ、戻しに来たらいいじゃん」
マサヤは柄に似合わず迷信の類いを信じる方らしい。快諾するような口調とは裏腹に、瞳には隠しきれない畏れがちらついていた。
「こわいの?」
サングラスの奥の瞳が瞠目する。
「こわ……くはないけどさ、……見たことあんだよ、おばけ。白いやつ」
そう言うと、マサヤは上げた両手をだらんと垂らして、〝おばけ〟を表現した。見方によってはキョンシーにすら思えるその姿はひょうきんで、シンヤは思わず口元を緩めてしまった。マサヤはより一層瞠目して、そのあと、絢音と一緒に声を上げて笑った。
この瞬間は、タールの瞳も、暗い陰りもすべて秋の陽射しに溶けていた。水石は重く、抱きしめるとひんやりとしていた。
冬は――――、冬は、好きな季節になった。
いろいろなものが〝特別〟になった季節だ。思い出ということばすら生ぬるく、ずれている。あれは言うなれば、記念だ。
いま思い出しても、こころがねじ切れそうなほどに歓喜する。
誰にも教えたくない。だから、今はまだ秘密。
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