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絢音の息子は、彼女とは似ていなかった。というのも、絢音の顔面はどこをどう切り取っても元来の彼女の素顔とは違うからだ。大きくぽってりとした涙袋も、鼻をかんだだけで折れてしまいそうな鼻梁も、桃色に尖った顎も、そのどれもが〝子ども〟の容姿には含まれていない。唇は薄く、切れ長の瞳はやや吊り上がっているのだが、眉頭から眉尻にかけてなだらかな傾斜をもって下がっているせいか、涼やかな印象より、どちらかといえばたおやかな印象を与えてくる。寝そべったままこちらを見上げているせいか、もともと小さな黒目が上瞼にかぶさって三白眼に見えた。青みがかった白目が外光を反射して艶やかに輝いている。独特な、あやうげで儚い造形だった。絢音もかつてはこういう顔をしていたのかもしれないと想像するが、それはマサヤの脳内で明確な形にはならなかった。
白粉を叩いたような肌。白くつるりとした顔は、汗の痕跡すら見せない。浮世離れした人間とういのは、まさしくこういう子のことを指すのだろう。それとも、白く見えるのは血の気を失っているからだろうか。自身の来訪が〝子ども〟を怯えさせているのだと思うと、怖くて怖くて泣き出しそうになる。
もしかしたらあの時の子が、――――麻袋の子が実は生きていて、それがいま目の前で健全に横たわっているという発想はどうだろう。あり得ない話ではない。いや、あり得ない。確かめるには、傷跡を確認するしかない。
マサヤは自分の頭がおかしくなっているのをはっきりと自覚する傍ら、薄膜を隔てたところに理性が閉じ込められ、〝確かめたい〟〝罪から逃れたい〟という本能のままに行動する自身をも認識していた。
せっかく、悪夢から別離しようとしていたのに。まっとうな精神状態を維持できると思ったのに。
じっとりとした視線を浴びて、〝子ども〟は露わになったふとももをびくんと跳ねさせる。その白いふとももには、傷跡どころか虫刺されの痕ひとつとして見当たらない。
やっぱり、あのとき、麻袋の真ん中を刺したから……?
やっぱり、あのときの子は死んでしまった……?
気付けば、〝子ども〟を仰向けに押さえつけていた。ジワジワと蝉が鳴く。畳の上に、食べかけのポテトチップスが散乱して、わずかに塩気と酸化した脂の匂いがした。
〝子ども〟は瞬きもせずにマサヤを見上げている。やはり黒目が小さく、ゆえに白目の透明度も輝度も高い。雨上がりに眼差しを向ければ、虹すら架かりそうなほどに目映い。
マサヤは〝子ども〟が着ている半袖のプルオーバーに手をかけるが、はっと動きを止めて後退った。もしも、もしもまくり上げた服の下に傷跡がなければ、マサヤの殺人は確定してしまう。
観測しなければ猫は生きている。
たしか、そういった思考実験があったはずだ。猫は〝傷跡〟だ。箱は〝服〟、もしくは〝体表〟。この〝子ども〟を観測してはっきりとさせたい気持ちと、罪を確定させたくない気持ちとが滅茶苦茶にぶつかり合い、マサヤはもう一段階、自分の頭がおかしくなっていくのを感じた。
この身を支配しているのは恐怖だった。
爪に針を刺されるのとは別の、ぐにゃぐにゃとした底のない恐怖が〝子ども〟の無垢な姿からあられもなく放たれ、マサヤは黒い影として畳に焼き付いてしまう。影が縫い止められて身動きできない。
〝子ども〟は畳に横たわったまま、死体のように呆けている。黒い髪が日焼けした藺草の上に広がり、あたかも黒い水たまりに見えた。麻袋から染み出る血塊を幻視する。
戦慄くマサヤを、鋭い視線がぎょろりと射貫く。
この〝子ども〟は、いまこの瞬間、見知らぬ男に押さえつけられたせいで、なにかの澱みを得たのではないのか。発展途上のからだのなかで、表面張力によって堪えていたなにかが、マサヤが齎した恐怖の一滴によってこぼれてしまったのではないかと想像する。
それならば、またひとつ〝子ども〟に傷を付けてしまった。
これはもう、本当に死ぬしかないのかもしれない。
〝子ども〟の足下に置いてあったスマホが夏虫の羽みたく震動しなければ、心中すらしてしまいそうな魔が通り抜けていった。
* * *
死ぬチャンスは、なんとその夜にやってきた。それも、〝子ども〟――――シンヤの手によって!
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