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皆口家に身を寄せてはじめての冬がやってきた。
煙草を買いに真夜中に外へ出ると、身を切るような凍風が指先や鼻や、耳を切り裂いた。慌てて両耳を触って確認するも、血が出ている様子はない。それもそうか。いくら風が冷たいからといって、本当に怪我をするわけではない。とはいえ、こうして実感してみるとやはり、東京の冬と山影の港町の冬とでは、まったく比べものにならない。湿った強烈な寒風が、寒さよりも痛みをもたらす。こんな凍風の日は、不思議な記憶を思い出す。
強烈な記憶。あれは、皆口家に身を寄せる前のこと。
幽霊を見た日。
* * *
冬と春の境目の、三月頭。
まだまだ春めく気配もなく、余寒が続いている。冬の凍てつく極寒とは違う、骨身まで深々と冷え込む春の晩だった。
寄宿先で煙草を切らしたので、宿からそこそこの距離にあるコンビニまで行く羽目になった。客の入りが悪い民宿では煙草の自販機こそあれど、品揃えがすこぶる悪い。それでも我慢して購入すると、百パーセントの確率で湿気ている。どうあがいても外に出なければならず、しばらく食堂の石油ストーブの前で駄々をこねたのち、ジャケットをひっかけてようやく出かけた。時刻は午後十時すぎ。冴える月すら隠れているのに、なぜか空自体がうすぼんやりと、妙に白かったのを覚えている。東京に居た頃は月や星などを気にかけたこともなく手元の雀碑ばかり見ていたので、白い夜が物珍しくて空ばかり見上げて歩いていた。
埠頭前を通り過ぎるとき、遠目で白い塊がふよふよと浮いていた。
ぎょっとして指に挟んだ煙草を取り落とす。火種はみぞれ雪に濡れたアスファルトで短い生を終えた。
白い塊はぐねぐねと形を変えながら宙を掻き、廃造船所の暗がりでふっと消失した。やわらかく発光する、綿雪のような塊だった。
あれはたぶん、造船所の幽霊なのだと思う。工場で働いていた人の霊ではなく、造船所そのものが霊となり、死にながらも夜を生きている。そんな感じがした。
建物に命が宿るのはおかしいことではないと、マサヤは思う。人形に人間の想いが宿るのならば、建物にも等しく情念が宿らねば道理が通らない。マサヤが生きていた世界では、建物ひとつ、土地ひとつで人間が鬼になり、修羅となり、時には幽鬼となり、そして何人もが死んだ。借金まみれの工場や店舗など掃いて捨てるほどある。むしろ借金やローン返済に喘いでいない店のほうが少なかった。経営者はすぐに首を縊ってぶら下がる。雀らいずの上階のバーもそうだった。
輪廻からこぼれると、生まれ変われずに白い塊になって浮遊するのだろうか。
それならやはり、また生きる苦行を背負うよりずっと、良い。
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