＊　　　＊　　＊ 　 　汚れたレインコートを洗って、庭で干す。 　秋に入って気温が下がり始めると、潮風はぐっと臭気を増した。街全体がどこか生臭く、庭に干した洗濯物には腐った臭いがこびりついている。 　手塩にかけた花壇は湿った土で盛り上がっている。土に空気を含ませるようにシャベルで耕し、顔を覗かせたミミズはすりつぶして塗り込めた。白い花を付けたペンタスやガウラの折れた茎が痛々しい。指で支えてみても、折れたものはどうしようもない。潔く手折って放ると、まるで供花のように飛び石を飾った。 　　　＊　　　＊　　　＊ 　　 　絢音の遺体が見付かったのは、九月の風がすっかり秋らしくなってきたころだった。 　昨日までは夏の名残を見せていた風が一晩でぐっと涼しくなり、肌寒さすら感じさせる昼下がりのこと。 　天高く晴れ渡る空はひときわ透明度の高い青色で、突き抜けるような太陽光が雲の切れ目からうす黄色い光の帯を地上に伸ばしている。空を見上げながら蚊取り線香を片付けていると、居間の電話が鳴った。 『皆口さんのお宅でしょうか。私、戸尾越警察署の者ですが』 　電話口の相手は、厳めしい声を静かに響かせる。ばくん、と心臓が飛び出しそうになった。マサヤの脳に、一瞬で麻袋の少年のシルエットが浮かぶ。左手の爪から脳髄まで、稲妻が走る。 『非常に申し上げにくいのですが――、本日、鹿影川で皆口豊子さんと思わしき遺体が発見されまして……、失礼ですが、いまお電話口の方はご家族様でしょうか』 　何度か湿った息継ぎをする。は、は、と短い呼吸に合わせて視界が一回転、二回転する。男は気遣わしげな声を投げかけてくる。 　絢音の本名を、いまはじめて知った。聞いても教えてくれなかった名を、はじめて知った。唾を飲み込む音がいやに大きく響いて、後ろめたくなる。 「あ、あ、すみません。ど、同居人です」 『そうですか。皆口さんの息子さんはご在宅で？』 「あ、は、はい。い、います」 『では、これからすぐに警察署までお越しいただけますでしょうか。ご遺体の確認をお願いしたいのですが、豊子さんのご実家の方にかけても留守のようでして。酷なことを申し上げるようで心苦しいのですが、できれば息子さんもご一緒に』 　受話器を取り落とし、慌てて拾い上げる。 「あ、は、はい。行きます……あ、すぐ。行きます」 　汗で全身がびっしょりと濡れていた。さらに一言二言の応酬を繰り返し、マサヤは電話を切った。がくがくと足が震えている。胃のなかのものが喉元までこみ上げ、酸い唾が湧いた。 　ふと背後を見ると、くれ縁の向こうでシンヤが直立していた。うっすらと開いた雨戸の向こう。燦々と降り注ぐ光の雨と、青々と茂った緑の木々や花々を背負って、シンヤは幽霊のように突っ立っていた。痩せた右手には土塊と、なんらかの粘液が付着したシャベル。左手に持った如雨露は力なくうなだれ、先から水雫がぽたりと垂れている。 　シンヤは真っ黒な瞳をマサヤに向けている。 　吸い込まれそうなほどに黒い、黒い瞳をしている。