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 絢音の葬儀の段取りは難航した。喪主は絢音の実父が務めたのだが、マサヤの存在にひどく憤り、強い言葉で詰って葬儀への参列を頑として赦さなかったのだ。  それもそうだろう。当然ながら娘が風俗をかけもちで働いていたことなんて知るはずもなく、ましてや真っ当ではない男が同居した暁に無残な姿となって川に沈んだのだから。マサヤに確固たるアリバイがあるのだとしても、実父が同居人たる素性も知れぬ男に憎悪の念を抱くのは無理からぬことだと理解している。  それでも命の恩人であり、家族であり、母であり、娘であり、妹でもあり、姉でもある絢音の最期の舞台に参列したいと願うこころに目をつむることなんてできなかった。  自宅で挙げられた葬儀を、塀越しに見守ることに決め、そして皆口家へ赴く。途中で親族に見付かり、怒鳴られ、予想した通り絢音の実父からは拳骨が飛んできた。 「この疫病神が! どのツラ下げて来やがった!」  地響きかと思えるほどの怒号ののち、もう一度拳が飛んできた。 「正見(まさみ)さん! 抑えて! 暴力はいかんよ!」  親族と思わしき男性が数人がかりで絢音の父を羽交い締めにして宥め、同時にマサヤに侮蔑と怖れの視線を投げる。その目は、殺人犯を見る目をしていた。 「俺は、俺は本当になにもしてないんです! あや……豊子さんとシンヤくんとは家族みたいに一年間一緒に過ごさせてもらって……本当に、本当に俺ももう、なにがなんだかわからなくて……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」  泣いて縋り、絢音への謝罪を嗚咽を交えて述べた。砂地に額を擦りつけて泣く男に、親族らも毒気を抜かれて立ち尽くす。マサヤの額は砂に傷付き、血が滲んだ。傷口にざらついた砂と微細なガラス片が入り込んだがかまわず土下座を繰り返す。もはや親族らは対処に困り果ててうろたえるばかりだ。嗚咽と困惑に塗れた空気が、正見の怒りをも曖昧にさせてしまったように思う。 「マサヤくん!」  騒ぎを聞きつけて、縁側からシンヤが靴も履かずに飛び降り、マサヤと正見のあいだに割って入てくれた。絢音の忘れ形見が必死にマサヤの潔白をまくし立てるものだから、だんだんと親族側の分も悪くなってくる。このままではあわれな無実の参列者を拒む、無理解な連中という烙印が押されかねない。ばつが悪そうに互いに目を合わせながら、立ち入りを拒否せんと並んでいた者らもマサヤの弔問のために渋々といったていで道を開けた。  シンヤの執り成しを得て、今後一切皆口家に関わらないという条件の下、マサヤはようやく焼香が許された。    皆口邸は、鹿影にある絢音の借家によく似た造りをしていた。畳は張り替えられたばかりなのか青く輝いていたが、い草の香りは線香の香りにかき消されていた。  拭いきれない胡乱な視線を一身に浴びながら、借りてきた猫になりうなだれる。この広い仏間で、幼い絢音は遊んでいたのだろうか。着せ替え人形で美容師さんごっこをするのが好きだったけれど、切った髪の毛を仏間の畳に散らかしっ放しにして怒られたと、ミヤマのジャムパンを食べながら絢音は笑っていた。もしも畳が張り替えられていなければ、この畳の目にサランで作られた髪が散らばっていたのだろうか。視線を巡らすと、柱に横線が刻まれている。身長を記録する、あれだ。  正見は慟哭するでもなく、ただ放心して座っていた。大柄で職人気質な印象を抱いていたのだが、その背は会った時より目に見えて小さく丸まっている。マサヤを殴り、それと同時に彼を突き動かしていた憎悪という生気の源も消え失せてしまったのかもしれない。    さすがに葬祭の席にマニキュアを塗って出向くわけにもいかずに黒の革手袋を嵌めたままだが、『派手な傷があって』と弁明するとそれ以上は追求されなかった。  シンヤは濃紺の座布団の上で人形のように固まっている。瞬きが極端に少なく、すべらかな頬からは涙の痕跡が見付からない。絢音の父と同じように放心しているが、そのこころはかなしみの慟哭で正体を喪っているというふうには見受けられなかった。ただおのれの内側だけを見つめ続けているような、……そう、言うなれば瞑想中の僧たる様子だ。読経のなか、ぴんと伸びた背が線香の煙に燻されている。  四角い遺影のなかの絢音は二十歳で、成人式の振り袖を着て泣きそうな顔で笑っている。涙袋もカラーコンタクトもエクステもない。丸顔で、低い鼻の絢音は純然たる皆口豊子だった。もちろん、シンヤには露とも似ていない。  たくさんの罪と罪悪感と孤独を抱えていた絢音。  発泡酒を一口飲むごとに乾杯をねだってきた絢音。  行き場のない贖罪への執着を、過食嘔吐という自傷で宥めていた絢音。  ふたりの息子を愛しながらも、疑念と後悔に苛まれ続けていた絢音。  憂いの眼差しで朝焼けのなかをとぼとぼと歩いていた絢音。  絢音ほど、むきだしの魂をかかえた人間はいない。  絢音は痛々しくて、哀しくて、ひたむきに赦しを渇望していた。  震える指で顔を覆うと、次から次に涙が垂れてきた。枯渇を知らない泉のように、身体中の水分が出口を求めて涙腺へと集中している感覚がした。絢音の叔母が、マサヤの背を撫でてくれた。そのてのひらの温かさが、この場で絢音の死を悼んでいるマサヤの存在をことごとく赦してくれている気がして涙腺はいっそう熱く、壊れ続けた。  警察の捜査は難航しているらしい。客筋や店の経営に携わる者などをすべてしらみつぶしに当たっているが、あやしい者はいても物証がまるで出てこないのだ。それもそのはず。  だって犯人は――――……。

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