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 葬儀も無事に終わり、続いて七日法要が執り行われる。シンヤはしばらく絢音の実家に滞留する運びとなったが、おそらくもう、鹿影にある絢音の借家には帰ってこないのだろうと漠然と考えていた。  血のつながりのない元旦那の連れ子であろうと、絢音はシンヤと養子縁組をしている。離婚したとて養子縁組が解消されるわけではないので、親権は絢音が獲得したままだ。元旦那の素行が悪く、裁判所からも親権は絢音に指定されていると、葬儀の席でマサヤは聞き及んでいた。  皆口家からも、絢音の忘れ形見であるシンヤを引き取り大切に面倒を見ると宣言がなされたので、もはやこの借家に帰る意味もない。今後は潮見尋のうつくしい果樹山がシンヤをやさしく育んでくれるだろう。  マサヤの中にはいまだにシンヤへの疑惑がねばっこい焔のように燻っている。けれど、その疑念を誰かに打ち明けたり、シンヤを糾弾したりする気は毛頭無かった。自分勝手な希求だが、絢音もきっと真相を告発することなど望んでいない。ただ、つらく苦しかった生が終わったことに安堵し、解き放たれた慶びに、輪廻すら躱して自由に無を味わっているのだと漠然と想像していた。  世話になった絢音へのせめてもの礼になればと、借家の掃除はマサヤが買って出た。いずれにせよマサヤもここを発たねばならない。行く当ても生きていく理由もないが、どうしようもない。競馬のサンちゃんを頼らせてもらい、それでも無理ならば住み込みの仕事を探すしかないだろう。  死、という選択肢が思い浮かばないのは自身でも不思議だ。  死ぬしかない、死ぬべきだ、死こそが償いであり贖いだと信じていた時期もあったが、結局、罪悪感に一挙手一投足を呪いながら生きていくことがマサヤにとっては死よりもつらい贖いになるのだから、泥水を啜り残飯を食べながらも生きていくしかない。正解も赦しもないのだから、いま一番つらいと感じる選択肢を拾っていく。生きていたいと思ったときに、死ねばいい。

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