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第8話 問題のない家2

「こんにちは、家庭教師の果貫(かぬき)です。二十時からのお約束で参りました」  ここは、最寄駅から歩いて十五分ほどの住宅地。  超高級というほどでは無いにしろ、敷地面積広めの家が点在している。ここに来る途中、数人うちの会社に登録している人間を見かけた。  ここで暮らしているということは、生活が安定しているということだ。二人を見て、俺は嬉しくなった。  ただ、向こうは俺を役職付きのお偉いさんとして認知しているため、しっかりと挨拶を返されそうになった。  今の俺は家庭教師として現場に向かっていたところだったので、微かに被りを振ってそれを二人に知らせ、挨拶は目礼だけに留めた。  相手のセンチネルが俺の意図を目で読み取ってくれたため、俺は彼女に感謝の笑みを送った。  それから数分歩いて行くと、目的の家に辿りついた。  オフホワイトベースで、そのほかに使われている色味は全体的に茶系の落ち着いた外観で、何となくティラミスを連想させるような色合いだった。  疲れているからか、甘いものを欲しているのかも知れない。今日は直帰予定だから、帰りに買って翠と一緒に食べることにしよう。  ホテルのレストランに頼めば買えるかも知れない。翠はあのパティシエの作るケーキが好きだと言っていたから、そうしよう。そんなことを思いながらインターフォンを鳴らす。  新規の現場には、まず俺が出向いて現状を把握してくる。つまり、今日は現地調査だ。  立地、家族関係、経済状況、近隣住民等の関係性等を調べて、家庭教師のみの契約にするのか、ガイドを探してペアリングするのかを話し合う。  そのため周囲を確認することにも余念が無いのだが、ここは遠くから様子を伺うような下世話な住人はいないようだった。  しばらく待っても返事がなく、もう一度鳴らそうと手を伸ばした瞬間に、玄関のドアが勢いよく開かれた。そして、中から中年の男性が慌てて飛び出してきた。  俺が驚いて呆けていると、その男性は恥ずかしそうに顔を赤らめて、慣れないのかギクシャクとしたお辞儀をした。 「あ、ベクトルデザインサポーターズの方ですよね。すみません、出るのが遅くなりまして。今妻がいないもので、代わりに私が。息子は中におりますので、どうぞお入りください」  そう言って門扉を開けると、俺を敷地内に入れてくれた。  背丈は俺より大きく、がっしりとした体型をしている。おそらく何かスポーツをしているのだろう、健康のために鍛えたのとは目的の違う筋肉がついているように思えた。  その上、何となく可愛らしい。小動物のような雰囲気を持ち合わせている。  依頼者との関係性は父、名前は真野涼輔(まのりょうすけ)。  打ち合わせに来ていたのは、母である(つばさ)さんだったため、涼輔氏とはこれが初対面となった。 「果貫と申します。よろしくお願いいたします。詳しいご挨拶は、中でさせていただきます」  お辞儀をする俺の姿を眩しそうに見つめていた真野氏は、太陽のような笑顔を見せてやや頷いていた。そして「さ、どうぞ」と奥へと振り返ると、リビングへと俺を招き入れた。 「どうぞお入りください。翔平(しょうへい)、家庭教師の方見えたよ。降りておいで」 「わかったー」という声が二階から降ってくる。芯の丸いよく響く良い声だ。  センチネルはその特性上、あまり声を張りたがらない。彼もまたそうなのだろう、とても優しい声をしていた。  すぐに人が動く音が聞こえ始めた。俺が来るのを嫌がっている素振りもない。話はしやすそうだと思い、一安心する。  彼の名前は真野翔平。この家の一人息子で、後天性のセンチネルだ。  先日学校で突然覚醒し、教室に持ち込まれていたブルートゥース機器の発する電波に耐えかねて倒れてしまった。  その際にバースの検査を受け直し、センチネルであることが発覚。それも後天性にも関わらず、五感全てが覚醒したフルパーシャルのセンチネルだった。  レベルは特級パーシャルレベル三。現在日本に登録されているセンチネルの中で五番目に力が強いという結果が出た。  それ以来、保護具であるピアスやサングラスを装着して生活している。  階段をトントンと降りる音がしてすぐに、リビングのドアが開かれた。そこに立つ少年は、とても穏やかな表情をした美丈夫だった。  父に似て背が高く、母に似て色素が薄い。俺と目が合うと、ぺこっと可愛らしいお辞儀をしてくれた。 「果貫さん、息子の翔平です。翔平、家庭教師の果貫さんだよ。契約のためにこちらまでわざわざ来てくださったんだ」  真野氏がそう促すと、翔平くんは深々と頭を下げて俺に挨拶をしてくれた。 「翔平です。よろしくお願いします」 「ベクトルデザインサポーターズの果貫です。こちらこそ、よろしくお願いします」  俺が挨拶を返すと、翔平くんはニコッと柔らかな笑顔を見せてくれた。  この年齢で大人相手に無警戒な笑顔を向けられるのは、大したものだろう。穿ったものの見方をしている子の多い年頃だろうに、大人の言うことに反発しようともしない。  それどころか、悟りを開いているのかと思わせるような、感情の読めない表情をしていた。 「果貫さん、こちらにおかけになって下さい。翔平はこっちね。父さんコーヒーを淹れて来るから。二人で話を進めて下さい」  真野氏はそういうと、キッチンへと向かった。  俺と翔平くんは、真野氏に言われた通りに向かい合った席へと座った。  事前に翼さんと話はしてあるので、あとは翔平くんの希望を確認していくだけになっている。俺は登録データをタブレットに表示させ、彼の希望の聞き取りを開始した。 「翔平くんは、今十八なんだよね? 志望校を考えると、塾にも行かずにこの成績をキープしていたら十分だと思うんだ。なんでこのタイミングで家庭教師を頼もうと思ったんだい?」  翔平くんの成績は、志望校に合格するには十分すぎるくらいに良かった。  彼は勉強が好きなタイプらしく、両親は一度も勉強しなさいと言ったことがないらしい。一般的には手のかからない良い子だと言えるだろう。  だが、彼は後天性のセンチネルだ。親どころか、本人すら自分の扱いに困ってしまうような、厄介な能力者になってしまった。  突然覚醒した日からずっと自らの五感に振り回され、その制御に苦しんでいる。 「そちらの会社に家庭教師を頼めば、ガイドをつけてくれるって聞いたのでお願いしたいなと思ったんです。このままじゃ、普通に生活するのが難しくて。ボンディング相手が欲しい訳じゃありません。発作的にゾーンに入った時に手を握ってくれる人がいれば良いんです。そうすれば、あとは自分で何とか出来るみたいなので」  そう言うと、俯いて黙り込んでしまった。そして、気になるのか、耳につけている保護具のピアスを触り始めた。 「それは、能力制御のピアスだよね。それがあると安心する?」  翔平くんは少し考えて、「はい。音に関しては随分楽になりました」と答えた。 「そうか。他の刺激についての対処法も教えていくからね。安心していいよ」  俺がそう言って笑いかけると、彼はとても驚いていた。どうやらうちの会社はセンチネルにガイドを紹介するだけの会社だと思っていたらしい。  センチネルとして生きていく上で必要なことを教えてあげると言うのも、業務の一つだというと、嬉しそうに目を見張った。 「……そうなんですか?」 「そうだよ。そのために家庭教師という方法をとってるんだ。勉強も教えるけれど、能力制御も指導するんだよ」 「そうなんですね。……ちょっと安心しました」  翔平くんは、そう言うと胸に手を当てて安堵の息を吐いた。 「失礼します。コーヒーお持ちしましたよ」  ふと気がつくと、真野氏がコーヒーを淹れて戻って来ていた。困ったような笑顔でそれを配ってくれる。 「どうぞ、熱いので気をつけて下さいね。うちは家のトーンや使用する香りは抑えめなので大丈夫なんですが、外に出ると大変みたいなんですよね。私はミュートで妻はガイドなので、その辺りをわかってやれないんです。鼻と耳はマスクとピアスでだいぶ落ち着いたようなんですけれど、目がどうにもならないらしくて」  コーヒーとケーキをそれぞれに配りながら、真野氏は翔平くんの日常を説明してくれた。彼もそれを聴きながら、何度か頷いてそれを肯定していく。 「視覚刺激ですか……。翔平くん、今はそのフィルターグラス以外で何かコントロールしてる?」 「あ、はい。これ、フィルターだけじゃ全然足りなくて、カラコン入れてます。瞳孔部分にも色がついてて、はっきり見えないようにしてあるんです」  彼はそう言って目を指差した。  よく見てみると、言われた通り瞳の色が不自然に暗いのがわかった。見えすぎる目を保護するために、光刺激を抑えているようだ。  その上にカラーフィルターグラスと呼ばれるサングラスのようなものをしなくてはいけない。  生まれつきそうだったのなら慣れている頃だろうが、突然こんな生活を強いられた彼には、とても不便だろうと思った。 「大変だね」  俺の言葉に彼は項垂れた。そして、それを受け入れなくてはという思いを滲ませながら、 「そうですね。早く慣れたいです」  と困ったような顔で笑った。  辛そうな表情でそう答える彼に、俺は思い切り笑いかけた。翔平くんはまさかそんな反応が返ってくると思っていなかったらしく、不快そうな顔で俺を睨んでいる。 「大丈夫だよ。目の刺激も訓練すればコントロール出来るようになるんだ。俺のパートナーは通常のセンチネルから各感覚のコントロール力を一つずつ上げていった特級パーシャルで、今レベル十なんだ。あいつより上のレベルのセンチネルは世界中の訓練機関の記録を集めても一人しかいない。現役のセンチネルとしては、ナンバーワンに当たる。生まれ持った全ての感覚を自分だけでコントロールしていて、ツールに頼らずに生活してるよ。そこに辿り着くまでは大変かも知れないけれど、しっかりサポートするから大丈夫だ。心配しないでね」 「特級パーシャルのレベル十……? 俺より七も上じゃないですか。今以上に感覚が鋭くなったら、俺多分死んじゃいます。それなのに、ツール使わずに生活してるなんて、そんな……。信じられませんよ。でも本当なんですよね? すごいなあ」  それが我が社の社長だと明かすと、翔平くんは未来への希望を見出したようだ。さっきまでの悟りを開いたような表情よりも、やや子供らしさが見え始めた。  悟りのように見えていたのは、おそらく諦めの表れだったのだろう。これから先の生活についてまわる目処の立たない不安が、彼をそうさせていたに違いない。  ほっとしたのだろうか、ソファーの背もたれに体を預けるようにして倒れ込んだ。 「あー、良かったあー。もう、俺ホント、このまま気が狂って死ぬだけかと思ってたから……」  そう言って、黙り込む。俺と真野氏はお互い顔を見合わせて、フッと微笑みあった。 「では、受験用のカリキュラムとセンチネルとしてのトレーニングメニューなんですが」  それからしばらくは、曜日や時間、費用などの事務的な話を真野氏と詰めていった。その間、翔平くんは黙ったままそれを聞いていた。 「翔平? どうかしたのか?」  あまりに身動きを取らない翔平くんに真野氏が声をかけると、彼は静かに涙を流していた。 「あ、大丈夫。ほっとしたら泣きたくなったんだけど、大声出して泣くことも出来ないんだ。自分の声で気が狂いそうになるから」 「そうなのか……」  真野氏は息子の苦労を目の当たりにして、胸を痛めたようだ。苦しそうに眉根を寄せて拳を握りしめている。  十八歳、すでに成人している高校三年生。頭脳にも運動神経にも恵まれている、健康な男性だ。  それでも、センチネルの超感覚がコントロール出来なければ、命はいくらあっても足りない。  彼は賢いから、その問題の重さもすぐにわかってしまったのだろう。うちに頼ることが確定するまでは、それこそ不安に押しつぶされそうになっていたに違いない。 「センチネルには、センチネルにしか理解できない苦労がたくさんあります。私はガイドですが、彼らの苦しみは理解することが出来ません。だから知っていく努力を続けています。真野さん、あなたも今それを知らないからと言ってご自分を責めないようにしてください。これから私たちが翔平くんの特性についてまとめて、お知らせしていきます。それをもとにして理解を深めてあげてください」  真野氏は俺の言葉に、涙を浮かべて頷いた。  翔平くんは父のその姿を見て、また胸を痛めているようだ。センチネルは感じ取りやすい。不意に親が漏らす自己否定の感情を受け取ってしまい、それが彼らの自己肯定感を下げてしまう。  こういう子達を助けたいと思い、俺たちはVDSを作った。俺の中に、必ず彼らの人生を支えるのだという思いが、ふつふつとと湧き上がってくる。  俺は立ち上がると、翔平くんの肩に手を置いた。  彼は一瞬ビクッと体を跳ねさせた。しかし、いくら待ち構えても恐ろしい刺激が襲ってこないことに戸惑いを見せた。 「……あれ? 痛くならない。なんで?」  俺はセンチネルに触れることに慣れている。どれくらい手加減をして触るべきかを、誰よりも心得ているという自負がある。 「最近ずっと触られると痛みを感じてたのかな?」  俺の問いに、翔平くんは何度も頷いた。 「でも、今のは痛くありませんでした。なんでですか?」  誰に対しても感じていた不快感を、俺には感じなかったのだろう。翔平くんは驚愕の表情で俺を見つめていた。 「センチネルにも訓練は必要だけど、ガイドもパートナーとして訓練を受けるんだよ。君だけが頑張るわけじゃない、みんなで頑張るんだよ。だから、俺たちに安心して任せて欲しい。ただし、そのためには一つだけ、事前に確認しておかないといけないことがあるんだ」  これは、念のための本人確認だ。立ち入った話になるので、本人と確認を担当する人間だけで話すことを義務付けられている。真野氏にもそう説明して、一旦退席してもらった。 「さて、翔平くん。もし、きみが大きな危機に陥った時、最大限のケアが必要になった場合の話です。ボンディング相手が見つかるまでは、こちらで適当な人を当てがいます。それに同意できますか?」  能力の制御が出来ずに異常な集中状態に入ってしまったら、ガイディングのためにはセックスをしなくてはならなくなることもある。  その相手は、翔平くんが望まない相手になるかも知れない。命を守るか、尊厳を守るか。その選択を、この段階でしておいてもらわないといけないのだ。  ちなみに、ご両親は会社で相手を選定することに同意している。それはそうだろう。ゾーンアウトによる死は、想像を絶する苦痛を伴う。親としては、子供にそんな思いをさせたくはないはずだ。  保護者の了承を得ているので、最終確認のために本人の意思確認をする。これをもって契約完了となる運びだ。 「はい。できます。酷い相手は選ばないと信頼しています」 「そうだね。それは信用してもらっていいと思うよ。その上で本人に確認するのは、君の気持ちの上での問題があるからなんだ。もし君に好きな人がいたら、恋人がいるとしたら、仕事とはいえ君を抱く人がいたら、支障があるだろう? そのあたりはどう?」  翔平くんは唇をギュッと結ぶと、やや激しく被りを振った。それは、好きな人はいないという意思表示だろう。  だが、俺はガイドだ。彼に触れた手が、彼の気持ちを俺へと伝えてくれる。  本来、センチネルの心を勝手に読み取ることは禁忌とされている。しかし、この契約時の意思確認についてだけは特例で許されているのだ。  ここで嘘をつかれては、後々人為的にゾーンアウトを引き起こしてしまう危険性がある。それだけは避けなくてはならない。 『あいつ意外に抱かれるのはいやだ。でも、俺の恋は実らない。だから、この条件を受け入れるしかないんだ』  悲痛な声が流れ、俺はそれに共感する。胸の奥の方がズキンと痛んだ。 ——なるほどね。  彼の本心を覗き見ると、手を離した。 「そうか。よし、一つ教えておくよ。俺、ガイドとしてはかなりレベルが高いんだ。だから、パートナーとボンディングしているけれど、自分よりレベル下のセンチネルなら、ケアをすることも共感することも出来るんだよ。俺が望めばね。だから、信頼関係を築くために、いつも本当の事を話してもらえると助かる」  そう言って、ポンポンと翔平くんの肩を叩いた。 「……っ」  翔平くんは涙目になって俺を見上げた。自分の気持ちが読み取られたことを理解した彼は、それでも何も言えずに震え始めていた。 「家庭教師は明日からな。長い付き合いになるだろうから、ゆっくり話してくれ」  そう伝えると、少し安心したように頷いた。  言葉に出せない思いを抱えていることはわかった。今はそれで良いだろう。  俺は翔平くんの肩に触れ、「またな」と言うと、真野氏に挨拶をして帰宅の途についた。

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