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第12話 アクリルケースとレジン2
「翔平ー、ちょっとこれに仮歌入れてくんねー?……っと、ごめん、お客さん?」
「あ、鉄平……ノックくらいしろってば。あ、この人は家庭教師の果貫さん。果貫さん、こいつ隣に住んでる幼馴染の真壁鉄平です」
果貫さんが俺のうちに家庭教師として通い始めて三日目、鉄平が突然遊びに来て、いつものように勝手に部屋に入ってきた。
もう長いこと勝手に俺のうちに出入りしている鉄平の図々しさは、俺たち家族には慣れたものだけれど、果貫さんには失礼に思われるだろうなとちょっと申し訳ない思いがした。
「こんばんは。家庭教師の果貫蒼です。幼馴染ってことはよく来るんでしょ? 受験終わるまで毎日来る予定なんで、俺ともよく顔を合わせることになると思うんだ。よろしくね」
果貫さんはそう言うと、とても穏やかでキレイな笑顔を鉄平に向けた。鉄平はその美しい笑顔にちょっと照れたようで、頬を赤らめながらぺこりと頭を下げた。
「え、あ、あの、よろしくお願いします。めっちゃかっこいいすね……モテるでしょ?」
そういうと、鉄平は俺のベッドにどかっと座り込んでしまった。どうやら終わるまでここから動かないつもりらしい。まあ、残り時間は十五分くらいだし、そのまま待っててもらうことにしよう。
「鉄平、あと十五分くらいだから、そのまま待ってて。歌うんでしょ? 終わったらすぐやるから」
「おー、りょうかーい」
俺は鉄平に断りを入れてからイヤーマフをつけた。残り十分はまず一人で問題を解く。そして五分間で果貫さんに答え合わせと解説をしてもらう。
集中する間は、音に煩わされないようにイヤーマフをする。果貫さんとはうち合わせの時にそれを了承してもらっていて、鉄平はずっと昔からそうしているからその光景にも慣れていた。
俺は、センチネルとして覚醒する前から、耳はとても敏感だった。音量、音色、音質、音程、音場、音像の全てを聞き分けていた。小さな頃から、その能力を羨ましがられ、疎ましがられていた。
でも、俺としてはあまり精度が良すぎるものを持っても、持て余すだけで正直いいことなんてほとんど無いと声を大にして言いたかった。
世の中は音にあふれているから、飛び込んでくる情報が多くて、歩くだけで頭痛がする。話し声、人が歩く音、車の走行音、ブレーキ音、クラクション、機械はとにかくうるさい。
それに、時折遭遇する電車内で機嫌の悪い人。正直機嫌の悪い人の声なんて聞こえようものなら、電車から飛びおりてしまいたい衝動に駆られることもあった。
あまりにそれが続いて、外出するのが嫌になり始めていたから、イヤーマフをするようにした。夏は暑いし、すごく快適とは言い難いけれど、つける前に比べたらそこそこ過ごしやすくなった。
無駄な音が聞こえにくくなれば、集中しやすくなる。能力の抑制に力を使わなくていいように、ピアスもしているけれど、どちらか一つじゃ全然足りないので、俺はいつも併用している。そうすれば、かなり楽になれるんだ。
「よし、全問正解。考え方も問題なし。じゃあ、課題データを送っておくから、やっておいてね」
そう言って俺の肩にポンっと手を乗せたまま、果貫さんは立ち上がった。すると、鉄平がすごい勢いで立ち上がり、バシッと果貫さんの手をはたき落とした。
「て、鉄平? どうした?」
ハッと我に返ったような顔をして、鉄平がこちらを見ていた。その顔は、俺が質問しているのに、むしろ俺がおかしいだろと言いたそうだった。そこで俺は理解した。そして、心にポッと優しい温もりが生まれるのを感じていた。
「そっか、鉄平は果貫さんが俺に触ったから、俺を不快感から守ろうとしてくれたんだよね? 大丈夫なんだよ。果貫さんは高レベルのガイドなんだ。センチネルの扱いには慣れてるから、触られても不快じゃないんだよ」
「えっ? なんでこの人にお前がセンチネルってバラしてんの? 危ないだろ、毎日二人だけで部屋にいるのに!」
鉄平は、俺が学校で倒れた時にも隣にいた。俺はあの時のことをあまりよく覚えていない。ただ、センチネルなんじゃないかって噂が駆け巡っていて、中には俺とヤりたいから保健室行こうって言ってる人が何人かいたらしい。その人たちから俺を守ってくれていてのが鉄平だったって話は聞いてる。
だから、今もその時みたいに幼馴染の俺を守ろうと必死になってくれていた。俺は鉄平のその姿を見て、腹の奥がキュウっと縮むような感覚を覚えた。
「ええっと……これはちゃんと事情を説明した方がいいんじゃないかな? こんなに守ろうとしてくれているなら、むしろ話さないとやりにくいかもしれないよ」
「え? 事情って何? この人にそんな大事なことアッサリ話してる理由ってなんだよ。教えろよ、翔平」
鉄平はいつも俺の事を一番に知っていたがる。大体いつも一緒にいるから、大して問題にはならない。
でも、今みたいに知られたくないことだってあるのに……と思う時は、少し嫌になる時もあった。
鉄平が嫌いだからじゃない。むしろ、その逆だ。
「翔平くんから言いにくいなら、俺が説明しようか?」
ドキッとするほど優しい笑みを浮かべて、果貫さんは俺の肩をそっと抱いた。
その、果貫さんが触れている部分がなんだかジンジンして、背中がゾワゾワしてきた。
なんだろう、コレ。
気持ち悪いのとは違うけど、いつもは感じない、よくわからない感覚があった。
「果貫さん、なんか……ちょっと疲れたかもしれません。少し……ふわふわするかも……」
「……翔平くん? 大丈夫? ちょっと横になろうか」
丸い低音の優しい声が、俺の体の骨を僅かに揺らしていく。低周波は筋肉に刺激を与える。緊張させて弛緩させて……それがマッサージのように、血流を促す。こそばゆい様な、なんとも言えない感覚が体に広がっていった。
そういう物理的な理屈に加えて、ガイドの共感能力が、俺に快感を増幅させて戻してくる。俺が気持ちいいと思えば思うほど、もっと気持ち良くなって返ってくる。
「あ……な、んか……息が……」
気がつくと、俺は軽く息を切らしていた。そんなに苦しくは無いけれど、頭がぼーっとしている。口を開けて、短くて浅い呼吸を繰り返していた。
「ちょっとケアしないとダメかな……翔平くん、軽いケアするけどいい? 鉄平くんがいると困るだろう? 下で待っててもらう?」
俺はどんどん熱に浮かされている様に、ぽわーっとした気持ちになっていった。
そして、だんだんとソレは、快楽へと変わっていく。
「……んっ……な、んか……あっ……ヘ……ン」
下を向いて息を切らしていた俺を、果貫さんがぐるっと回転させて仰向けにした。その、触られたところから、体の中心に向かってビリビリと電気の様な刺激が走っていった。
「あああ! んぅっ……ン!」
なんだかわからない感覚に翻弄されて、目に涙が溜まってきた。情けなくて、恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなかった。
今はダメ。今はイヤ。
もう少し待て、俺のカラダ。
その気持ちの強まりが、逆にコントロールを失わせていく。
センサーが過敏になっていってしまう。
「か……ぬき、さ……おれ、ど……したら……」
鉄平は痴態を晒す俺を黙って見ていた。
もう、明らかにいつもと違う姿を見られている。
その顔がどんな顔なのか、表情がわからなかった。
ただ、俺をずっと見ていた。
俺はこの姿を鉄平に見られたくなかった。
「鉄平くん、翔平くんは少し力のコントロールバランスが崩れたみたいだから、ケアが必要だ。俺はこの家の家族からケアを任されたガイドなんだ。だから翔平くんのこと、俺に任せてもらえないかな。少しの間、部屋を出てもらって……」
その説明を聞いている俺の腹の奥に、ぎゅっと縮む感覚が走った。今まで経験したことのない強烈な感覚。
「っああああ!……ちょっ……ま、って……!!!」
枕を掴んで身を捩った瞬間、ぐいっと肩を掴まれて柔らかい唇に口を塞がれた。
「あむっ!……ん、ん、ん……はぁっ」
噛み付く様な深いキスで、ゾーンに入りかけた俺を引き戻してくれた。その力強いけど、優しいキスをしてくれたのは……
果貫さんじゃなくて、鉄平だった。
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