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第15話 アクリルケースとアクリルケースとレジン 5
「おー、悪いな。休みのところわざわざここまで来て貰って。まあ、座れよ」
会議室の中に入ると、窓際で永心がコーヒーを片手に立っていた。誰かに買いに行かせたのか、自販機でもドリップでも無く、かの有名なコーヒーショップのコーヒーを飲んでいる。俺はこいつのこういうところがあまり好きではない、だけど。
「お前も飲むだろう? さっき買ったばかりだから、冷えてないはずだ。あ、野本のもあるぞ」
そう言って渡されたのは、俺にはキャラメルラテ、野本にはエスプレッソ。
いつもそうやって相手に合わせたものを買っておいてくれる。それに気づいてからは、嫌いにもなれなくなった。
永心は自分がコーヒーを買うときは、必ず連れの分も買う。それも、当たり前のように相手の好みもちゃんと把握していて、それを外したことが一度もない。
相手が年上でも年下でも、上司でも部下でもお客さんでも、その態度は変わらない。
俺は、寒い季節は甘くて温かいカフェオレしか飲まない。逆に野本は年中ホットのブラックしか飲まない。冬場は特にエスプレッソを飲んでいることが多いらしい。
そして、永心が人に買いに行かせる時は、大体自分がとうしても動くことができない時で、客が来る時だけだった。
お使いに行った部下は、永心と同じものかそれよりも良いものを買ってもらって喜んでいることが多い。
そういうちょっとした気遣いが意外に多くて、案外優しい。だから言葉が少々横柄でも、あまり気にすることなく付き合うことが出来ている。
ただし、休日の急な呼び出しはやめて欲しいけどな……今日はずっと家に閉じこもって蒼にくっついていようと思っていたから。多少、恨めしくはある。
「そんな顔するなって。悪かったな、今日はいちゃいちゃする日だったんだろ? なるべく早めに終わらせるから。いや、まあ、それもお前次第か」
とりあえず一服させろよ、と言いながら永心は椅子に座った。
高いスーツを身に纏って、髪型もビシッと決まっているけれど、こいつはもう5日間家に帰っていないらしい。その代わりに、近場のホテルを借りて仮住まいにしている。そこにも寝に帰るだけで、それも往復の道のりと身支度を含めて五時間あるかないかくらいなんだそうだ。
余談だが、そこが高級すぎるから経費の申請もしていないらしい。センチネルとの交渉係なら、予算は潤沢にあるはずなのだが、そこは永心が頑なに自腹を切ることにこだわっているらしかった。
まあ、金持ちだし、家のお金は出所が税金だし、結局財布は同じってことかも知れないなとは思う。
「お兄さんたちはお元気か?」
永心には二人兄がいる。
父の後継者と目されているのは長男の澪斗《ミオト》さん、ずっと父の照史《アキト》氏の秘書をしながら政界入りする準備をしている。
次男の晴翔《ハルト》さんは、研究者タイプだったため、うちの会社のバース研究センターでコントロールシステムの構築をお願いしている。
その部署で作られたもののうちの一つが、真野翔平に持たせたイヤーマフとピアスだ。
永心の父照史氏は、センチネルを使い潰すことで有名なのだが、その息子たちはバースで人生設計が狂わされることが無いようにと、法的にも実生活の面でも何かしら役に立てることを探して生きている。
「澪斗兄さんは相変わらず父に振り回されてるけどな。元気にしてたよ。晴翔兄さんは、もうずっと合ってないな。会社で定例の打ち合わせあるだろ? その時会ってるなら、俺よりよっぽどお前の方が晴翔兄さんに会ってるかもな」
ゴクリとコーヒーを飲み、はあーと白い息を吐き出す。その端正な顔立ちに、うっすらと疲れがこびりついていた。
コーヒーの香りをすんすんと嗅いでいる様子が、昔から変わらない。そういう少年っぽさもこいつの魅力だ。
おれはその姿を見て懐かしい気持ちになった。永心の家に遊びに行き、生まれて初めて見たモノや食べたモノに驚きまくった子供時代。
施設育ちで最低限の暮らしをしていた俺と、大物政治家の家に生まれ育った永心。
まるで違う俺たちを引き合わせて、仲良くさせてくれたのは、お兄さんたちの協力のおかげだった。なかなか遊び方のわからない俺たちの間を取り持ってくれた。
だから、澪斗さんと晴翔さんは、俺にとっても兄のような存在だ。
「大人になったらそんなもんなのかねえ。俺も蒼も家族がいないから、そのあたりよくわかんねーな」
蒼は母子家庭で育っていて、そのお母さんも9年前に病気で亡くしている。俺も家族がいないから、今はお互いが唯一の家族だ。
俺たちみたいに好きなもの同士でペアが成立することは稀で、唯一の家族がペアで上司と部下という濃い関係性って言うのは、あまり聞いたことがない。
その分、特別度が高くて俺はそのことがとても気に入っている。蒼もそうだと思っている。
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