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第16話 アクリルケースとレジン 6
「永心、そろそろ始めようか」
野本が時計を見て永心に声をかけた。妙な感じだが、野本は永心の先輩なので、あいつには敬語は使わない。でも俺は野本の上司だから、俺には敬語を使う。俺と永心は同級生だ。VDSでの関係性が無ければ、本当は俺には敬語は使わないはずだろう。知り合った当初は、俺が敬語を使っていたのだから。その違和感に永心は気づいている。
でもそれを敢えて突っ込んで聞いて来たことは、これまで一度も無い。そういうところが結構好きだ。
「そうですね。じゃあ、鍵崎、こっちに移動してくれるか」
ここ、と永心に促されて、タブレット端末が見える位置に移動した。そこに写っている映像を見ろということらしい。多少見にくかったので、少しだけ首を伸ばして永心に近づいた。すると、斜向かいにいる野本からピリついた視線が向かって来ているのがわかった。悪いとは思ったんだが、思わずプッと吹き出してしまった。チラッと野本の方を見ると、その嫉妬心を俺に気づかれたのがわかったのか、顔を真っ赤にして何度も頭を下げていた。なんて面白い男なんだろう。あれじゃセンチネルじゃなくても思ってることが筒抜けだな。そう思いながら画面に視線を戻した。
相変わらず笑を噛み殺している俺を不審に思った永心が、ずっと困った顔で待っていた。その何も気づいていない顔もまたおかしくて、思わずニコッと笑いかけてしまった。
「なんだよ、気持ち悪いな。ちょっと働かせすぎたか? 頭は大丈夫か、鍵崎。まあ、取り敢えずこれを見てくれ」
そう言って再生したのは、あの事件の現場だ。あのクソ寒い山間部だ。思い出しただけで寒気が来る気がした。
「現場に行かない日は、現場の映像見んのかよ……お前、何が引っかかってんだ? 俺はもう何も気づけない……」
そこまで口を挟んだ時だった。映像の中に、僅かに違和感を感じた。現場に行った日には感じなかった違和感だった。
「おい、ちょっと戻せ。十秒戻せ。そしてすぐ黙ってくれ」
永心にそういうと、「わかった」と言いながら十秒リワインドをタップした。そして、二秒待つ。すると、やっぱりその違和感は現れた。
「音がするな」
俺がそう言うと、永心は「やっぱりか」と口にした。音の存在に気づくだけならセンチネルでなくても可能だ。警察にある機器類でも気がつくことは出来るだろう。俺じゃなくてもいい話だ。ということは、その音がいつどうやって現れたかを一度に説明できる人間が必要だということだろう。
「この音がどういうものなのかはわかってるのか?」
永心は俺の質問を予想していたのだろう。報告書を指差しながら、読み上げてくれた。
「お前が帰った後に、ペアの捜査官が歩いていたら何かを踏んだんだ。その時、割れてこの音がした」
「は? いや、このあたり何度も歩いたけど割れるようなものあったか?」
「あった……というか、出来ていたと言った方が正しいな。時間も、お前が帰った後だから出来たのかもしれない」
「そこに無かったはずなのに、時間が経つと出てきて、割れるもの? なんだ、それ。季節的には氷の可能性が高いけど、もっと硬い音だったよな。なんかの魔法か?」
俺は半分茶化すようにそう言って、タブレットを指でトントンと叩いた。その音を聞いて、英心は少し顔を歪めた。どうやら聴覚に過敏さが出始めているようだ。
やや青ざめた顔色になった永心を、心配そうに野本が見ていた。俺はわずかに眼球を動かして「ダメだ」と野本に伝えた。「まだ待て」と。
永心は俺の顔を見て、資料の次のページを巡りながら説明した。
「まあ、ある意味魔法だな。事件直後に鑑識さんが回収してたもので、こんなものがあったんだが、知ってたか?」
机の上にビニール製の封筒に入ったものがスッと置かれたので、俺はそれを手に取った。そのケースの中には、バラバラになっている透明なカケラがいくつか入れられていた。
「ガラスか? いや、プラスチック? この透明度だとアクリルか。でも気泡が少し入ってるな……粉々に割れてるけど、これを踏んだ音だったのか?」
透明度が高く、かなり硬い。ただ、小さなキューブ状だったようで、踏まれて半分に割れた中心に、不規則な傷があった。ガラスにしては軽く、硬度が低い。
ただ、アクリルにしては気泡が多い気がした。
「そうだ。これはエポキシ樹脂だ。エポキシ樹脂は太陽光下で3日ほど経つと固まる性質がある。事件の日にこれがなんらかの理由でばら撒かれ、俺たちが現場検証をした時にはまだ液体で、その存在に気づくものがいなかった」
「3日経って硬まったところに、警察が入って踏んで割ってしまったと。なるほどねぇ。で、これの何にそんなに引っ掛かってんの? 樹脂なんてどこでも買えるだろ? 落ちてたらそんなに変なのか?」
樹脂は今やどんな分野でも使われる。歯の治療だって、昔は金銀パラジウムやもっと昔ならアマルガムが使われていた詰め物も、今やUV硬化タイプの樹脂だ。
建築材料だってアクセサリーだって樹脂。その購入者をいちいち疑ってたら、キリがない。
「確かにあの場が山間部でないなら気にはならなかったかもしれない。でも、固まりきれていない樹脂をわざわざ山間部でぶちまける意味は何だ? しかも廃棄にしては少量過ぎる。それが気になって仕方がなかった」
永心はそう言うと、もう一つのケースを取り出した。そこには、特徴のある金具が収められていた。そして、もうひとつのケースを取り出して俺に見せた。
「それは……」
そのケースには、エポキシ樹脂の中に乳白色のカケラが入ったものがあった。それは、俺たちのような人間には見慣れたもので、ミュートにはあまり知られていないもの。
「このレジンキューブの中には、人の爪が入っている。お前なら、これがなにかわかるよな?」
「あー、そういうことか……だから俺に何度も行かせてたわけね」
無駄を嫌う永心が、なぜ何度も俺を現場に行かせるのか、全く理解出来ないでいた。この金具と閉じ込められた人のカケラ。それが意味するのは、俺たちと同類だと言うことだ。気づけて当たり前だ。この方法を考えたのは、他でもないウチの会社の研究者たちだからだ。
「もちろんわかる。それをちゃんとしたルートで必要なところに配布するのが、俺たちの仕事の一つだからな。だから、つまり、一つ仮説が立つわけか」
「そうだ」
永心と俺は、神妙な面持ちでそのケースを眺めていた。そんな俺たちを見て、話が理解出来ずに固まっていた野本が質問を投げかけてきた。
「あの……それはなんでその、爪が入ってるんですか? ちょっと気持ち悪いですよね……シリアルキラーとかですか?」
センチネルどうこうが無ければ、その可能性にも至るだろう。ただし、これは間違いなくセンチネルとガイドの問題だろうと確信があった。
「野本、これな、マメンツっていうんだよ。マメンツ。聞いたことないか?」
野本は顎に指を当ててしばらく考え込んでいたが、思い当たる物がなかったようで、ふるふると被りを振った。
「センチネルとガイドがボンディングした後に、ガイドが先立ってしまったら、センチネルは狂うしかなくなるだろ? そのせいでガイドによるセンチネルの悪用が減らなかった。その手の話は、永心の近くにいれば飽きるほど聞いてきただろう?」
野本はバツが悪そうな顔をして永心にチラッと目を向けた。俺が言ってるのは照史氏の悪行の事だ。永心にしてみれば、他人からその話を持ち出されるのは不快だろう。野本は永心を気遣って、泣きそうな顔になっていた。
「それで、ボンディング後も他のガイドのケアを受けられるように出来ないか考えた。それがこのマメンツだ。体の一部を持ち歩く事で、他のガイドからのケアにフィルターをかけるんだ」
野本は、その細い目を思いっきり見開いて驚いた顔をしていた。そんなに開けると目玉落ちるぞ、と思いながらまたくすくすと笑ってしまった。野本、先輩なはずなんだが……可愛いらし過ぎる反応が面白くて仕方がない。
「ぶっ……あ、あのな、つまり、このレジンキューブを持っていたのが被害者なら……」
「被害者はボンディング済みのセンチネルである可能性が高いってことだ」
俺の言葉を遮りながら、永心が野本の方へ歩み寄っていく。つかつかと歩いて、目の前に立つと、野本の手を取って頭を下げた。
「先輩、お願いします。鍵崎の会社に潜入して、被害者割り出してもらえませんか? こいつの会社国内トップクラスのシェアだから、まず間違いなく被害者も登録してあると思うんですよ」
「お願いします」と永心はまた頭を下げた。
身元の割り出しはそう大変ではないはずだ。遺体はほぼ損傷していなかった。何かしらの飼料を採取して鑑定にかければすぐに分かるだろう。
そして、被害者がセンチネルでボンディング済みの登録者なら、すぐに分かるはずだ。
「センチネルをモノのように扱ったガイドが犯人なら、絶対に許せません」
そう話す永心は、目に怒りの炎を燃やしていた。この事件に永心が執着する理由はこれだったのかとやや納得した。
『どうしてセンチネルを利用して使い潰すんですか! 大切にして長く一緒に暮らせばいいものを!』
その言葉を浴びせた相手と同じような人間がいるかもしれない。永心には、それは何よりも許し難い事だった。俺は幼馴染だから、あいつの気持ちは理解できる。ただ、その怒りに振り回されて無理をして、ゾーンに入りかけているあいつをどう落ち着かせるべきかを悩んでもいた。
そろそろ、永心に告知する覚悟を決めなければないけない。
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