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第17話 コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース

 果貫さんは、音も立てずにシュッと部屋の中に戻って来た。まるで風が吹いたかのようで、ドアを開ける音も走る音もほぼ聞こえなかった。  翔平のそばにしゃがみこむと、小さな声で言葉をかけ続けていた。俺にはその声は聞こえなかった。  翔平は、何度か果貫さんの声に眉を顰めたけど、最後は泣きそうな顔でコクンと頷いた。ジャケットを脱ぐ果貫さんの肩越しに俺が見えたみたいで、目が合うとそれをきっかけにハラハラと涙を流し始めた。 「翔平くん? 泣かないで。大丈夫だよ。今落ち着いてるから。それ以上興奮すると危険だよ」  果貫さんはそう言って、翔平の涙を親指で優しく拭ってあげていた。それでも翔平は、ずっと俺の目を見つめて泣いていて、俺はその翔平の目に射抜かれたようにその場から動けなくなっていた。 「翔平……大丈夫か?」  やっとの思いで絞り出した声だった。  これまでに見たことがない様な悲しい顔をして、声も出さずにボロボロと涙を流す翔平を見ていると、胸の真ん中を針で刺されるように痛かった。  痛くて、痛くて、それがじわじわと広がっていくようで、辛かった。  なんて悲しいんだ……共感力が発動してしまっていて、俺も悲しさが止められなくなっていた。  すがる様な目で俺を見ているのに、俺はどうしても翔平に手を伸ばすことができなかった。どうしてなんだろう……触ってあげたい、助けてあげたい、その想いはこんなにもあるのに。  拳を握りしめて立ち尽くしていると、襟首をガッと掴まれて引っ張り上げられた。 「なんでこんなに悪くなったんだ? さっきの状態ならキスハグくらいで治っただろう? 今ゾーンアウトしかけてるぞ。今すぐ助けないと!」  小さな声だけど、厳しい口調で俺に詰め寄った果貫さんは、とても怖い顔をしていた。さっきまで天女の微笑みの様だったその顔は、俺の弱音など微塵も許してくれなさそうな、鬼の形相に変わっていた。 「ケア任せただろう? 手順なんて分からなくても、君は翔平くんを好きだろう? 想いが通じ合ったんだろう? 助けたければ、ただ抱いてあげればいいだけなんだよ。弱ったセンチネルにとって思い合う相手とのセックスほど、回復できるものはないんだ。出来ないなら、俺がやるから。部屋から出ていってあげてくれ」 「え? だって、それって……」  ズキン、と体の真ん中に痛みが走った。苦しんでる翔平を置いて行く……?他の男と一緒にいるのに??何をするのか、わかっているのに……?  そんなこと、出来るわけがない。  さっき好き同士って分かったばっかりだ。  それなのに、他の男に抱かれるのを待ってるなんて、絶対に嫌だった。 「い、嫌です……俺が助けたい。でも、どうしても出来ない……どうしたらいいですか? どう……」  オロオロしながら我儘を言う俺に、果貫さんは突然ナイフを突きつけて来た。  鋭い目をして、俺を睨みつけていた。  俺はまさか目の前に刃物を持ち出されるとは思わなくて、怖気付いてその場にへたり込んでしまった。 「好きなんだろう? こんな状態なんだよ。助けたいだろう? それなら、自分のトラウマやプライドよりも、優先すべきことがあるだろう。ハジメテを意識がない時にもらうお詫びだって、生きていれば後からいくらでも出来るんだよ。でも、このままじゃ、もう二度とあの笑顔は見られないぞ!……マメンツを作るから、血を出してくれ。早く!」 「マ、マメンツってあの……」  学校で習った。  センチネルはガイドがいないと回復出来ない。ボンディングしたペアは、お互いしか回復相手には選べなくなる。それを回避するためのアイテムがマメンツ。   つまり、果貫さんが翔平を抱くってことを、認めることになる。 「早くしろ! さっき少し触れただけで強い拒否反応が出たんだ。君たちは、無意識に契約を結んでしまったみたいなんだ。マメンツ無しじゃ、ケア出来ない。君にも俺にも出来なければ、翔平くんは本当に死んでしまうぞ!」 「えっ?」  翔平が果貫さんを拒否した?果貫さんになら任せられるって前に言ってたはずだ。それなのに、拒否したのか?  それに、手順ならったって言ってたのに。 「助けるためなんだ。覚悟決めろよ!」  キラリと光る刃先を見ながら、そこに映る自分を見ていた。その中の自分と、目が合った。 ——翔平を助けられるのは、自分だけ……。  俺はナイフを受け取った。果貫さんが、マメンツを作成するための容器を取り出した。そして、それを構えようとしたけれど、俺はその果貫さんの手をスッと押し戻した。  果貫さんは一瞬、ムッとして何かを言いかけた。でも、俺の顔を見るとすぐに、ニヤリと笑った。そして、そのまま部屋の外へ出ていった。  ドアが閉まる直前、小さな声が聞こえて来た。 「いい顔だ。今度は大丈夫だろ? 任せたからな!」  俺は果貫さんを見送ってすぐ、くるりと振り返ったて翔平を見た。  俺を見ながら泣いていた翔平は、いつの間にか気を失っていた。  上半身が、マットレスからベッド下に投げ出されていた。 「翔平!」  小さな声で呼びかけながら、そっと触れて抱き起こした。俺が触れたのがわかると、翔平は僅かに身を捩った。  ベッドに寝かせた翔平の唇に、そっと触れるだけのキスをした。  それから、少しずつ触れる時間を長くしていった。  唇を軽く啄むと、翔平の瞼がピクリと動いた。 「翔平……」  名前を呼びながら、少しずつ角度を変えて吸う。 「んっ」  翔平の顔が僅かに上気して、うっすらと瞼が開いた。 「翔平……翔平……」  僅かに開いた唇に少しだけ舌を差し入れた。 感覚が過敏になって気絶した後だから、急に強くはしてはいけない。そっと、そーっと舌を進めて、翔平の舌にサワサワと触れた。 「ん、ン」  俺は口を深く開いて、翔平の口にくらい付くように塞ぐと、そのまま舌を絡めてじゅうっと吸い上げた。 「ン……あ、はっ……」  翔平が目を開いて、俺の顔を見た。 口の端に、甘いキスで出来た糸の端が残っていた。 それを気にも止めず、俺の顔を手のひらで包んだ。 その手で俺のほおを擦り、とても幸せそうに微笑んでいた。 「キス……気持ちいい。もっとしたい。して?」  目は開いているけど、半分意識が朦朧としてるのかもしれない。半分夢見心地みたいだった。  とても恥ずかしそうに、でも物欲しそうに、俺に顔を近づけて来て、強請ってきた。  指と指を絡ませて、両手を繋いだ。 「んっ。あっ、てっぺ……い」  ちゅうっとリップ音を響かせて離れて、翔平の首筋にチュッと軽くキスを落とした。  翔平はビクッと体を揺らすと、顔を真っ赤にして俺をじっと見つめていた。 「あ、てっぺ……あれ? 俺どうし……」  完全に意識が戻ったらしい。とても慌てていて、めちゃくちゃ可愛かった。  初めて見た。照れて慌てた顔。  すごく、可愛かった。  俺は、ぎゅっと翔平を抱きしめた。  抱きしめられる喜びを噛み締めた。 「間に合って良かった」  そして、翔平の耳たぶをやわやわと噛んだ。 「あンっ……鉄平? な、に……あ、あ、あ!」  耳をそろそろと舐めると、翔平は肩を竦めて、身を捩った。  そのまま耳に水音を聞かせながら、今度は手のひらで腰をスーッと撫でる。  ビクッと跳ね上がって、甘い声が漏れた。 「あっ! んん……きもち……。鉄平の手、気持ちいい」  本来はゾーンアウトしたセンチネルは、わりと激しめに抱かれることが多い。それは、抱いてるとお互いに気持ちよさが行き来し過ぎてコントロールしきれなくなるからだ。それでも体に支障もないし、むしろそれで良いらしい。  でも、俺は今、翔平の心を傷つけたことも感じ取っていて、申し訳なくて好き勝手に抱く気になれなかった。  触れれば触れるほど、唇から、手から、伝わってきた。 『悲しかった。辛かった。なんで抱いてくれなかったんだ? やっぱり俺じゃ嫌なんじゃないか? 鉄平を誰かに取られたくない』  どんどん流れてくるその気持ちが、俺を堪らない気持ちにさせていった。  だから、欲望と闘いながら、なるべくそーっとそーっと、先を目指す。  少しでも気持ちよく、少しでも幸せを感じてほしい。  こんなに好きだって、感じ取って欲しい。 「あ、やっ、あっ……う、う」  焦らせば焦らすほど、翔平の目が潤む。  気持ちいいことしか考えられないようになって。  もっと悦んで。  今は、それだけ考えててくれ。   「やっ……ふあっ! ああン!」  ローションを纏わせた指を、後孔にくるくると沿わせて、ゆっくり中へ挿れていく。  ちゅぷっと入った瞬間、翔平は俺の肩をギュッと握りしめた。  体をぶるぶると震わせてしがみついて来たから、そっと声をかけた。 「大丈夫か?」  その声に反応して、指がぎゅっと締め付けられた。 「んんっ、大丈夫。……あ、な、んか、返事したみたい……」 「本当だな……ちょ、ごめ、わらっ……」  くくくっと笑いを堪えていると、翔平が俺のをいきなりぎゅっと握って来た。 「んっ! わ、わ、わ、ちょ!」 「笑うなよ! 仕方ないだろ、お前の声好きなんだから。あ、あんな耳元で話されたら……」  俺は胸がぎゅっとなるのを感じた。  いつも言ってくれてた。俺の声が好きだって。  音楽やってるからだろうと思ってた。  音に敏感だからだろうと、それ以上深い意味はないんだと思ってた。  そうじゃ無かったのか……  すごく、すごく、嬉しい。  気持ちが暴れて、どうにかなりそうだった。  センチネルはいつも抱かれる準備をしている。ケアのためなら、前戯は本来なら必要無い。 「翔平、まだふわふわしてるか? もう戻れてるなら、恋人同士としてのハジメテでしてもいい?」  翔平の顔から肩までがぶわっと真っ赤に染まった。手で顔を隠すと、こくんと頷いた。 「だ、大丈夫。もう辛くない」  そして、俺のTシャツの裾をキュッと握りしめると、上目遣いに俺を見ながら呟いた。 「よ、よろしくお願いします」

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