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第19話 コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース3

 口の中にヒヤッとした刺激を感じて目を覚ました。頭がふわふわしてて、あったかいお湯の中に浸かってるみたいだった。すごく居心地が良くて、このままずっとこうしていられたら幸せだろうなあとぼんやりと考える。すると、また口の中が冷たくなって、何かが喉を通っていくのがわかった。 「んっ……あ、れ? 水?」  ゴクリと飲み干したのは、一口分の水だった。そして、目を凝らして見てみると、目の前には鉄平がいた。すごく綺麗な目が長いまつ毛に半分隠れていて、俺の目をじっと見つめながら口移しで飲ませてくれていた。溢れないように、水が移り切った後にはちゅっとキスもつけてくれている。そこから少し離れて見えた顔は、目が少し濡れていて、寝起きに見るには少し刺激が強くてドキドキした。 「翔平、大丈夫か? 喉乾いたって言うから水貰ってきたのに、いくら起こしても全然目を覚さなくてさ」  鉄平の手には、ペットボトルの水があった。どうやら、それを俺に飲ませてくれていたらしい。カーテンが少し開けられていて、外灯の光が部屋に少し入っていて、鉄平の顔が半分照らされていてすごく綺麗だった。それを見ていると、さっき寝落ちするまで抱き合っていたことを思い出してしまって、途端に恥ずかしくなってきてしまった。 ——翔平、あ、もう、出る……  その時の鉄平の顔を思い出して、一人で勝手に赤面していた。今、体調を心配されているっていうのに、俺の頭の中は煩悩でいっぱいだった。 「だ、大丈夫。もしかして、俺また咽せてた? ありがとう、水飲ませてくれて」  俺は、いつも喉が渇くと咳をし過ぎて咽せてしまう。別に喘息とかじゃないのに、そう言うことが頻繁に起こる。果貫さんに聞いてみたところ、触覚の異常発達のうちの一つかもしれないと言われた。原因はきちんと調べてみたほうがいいけれど、とりあえず喉を乾燥させないように言われた。鉄平もそれを聞いていたらしく、寝ぼけた俺が水をせがんだから、飲ませることを優先したみたいだった。  親切で飲ませてくれていたはずの鉄平も、なんだか様子がおかしい。ちょっと焦っているようにも見えた。もしかして、俺の考えてることが伝わってしまったのかなとちょっと焦っていた。 「いや、なんか、あれなんだよ。喉渇いたって言ってぐずぐず言ってたのがさ……、ちょっと可愛かったから、キスしたくなって。水飲みたいんだし、ちょうどいいかなって、口移し……いやなんか改めて考えるとエロいよな、口移しって……はっず!」  うっすら見える鉄平が、ペットボトルを持ったまま顔に手を当てて恥ずかしがっているのが見えた。眉根を寄せて、少しだけ視線を俺から逸らしていた。なんだか、それがすごく可愛らしかった。  さっき、男らしい顔をして俺に迫って来てた人とは、同じ人とは思えないくらいに可愛らしかった。  そんな鉄平を見ていると、じわっと胸が熱くなった。鉄平の体温が少しだけ上がったのもわかった。俺たちは今、この穏やかな時間を二人とも喜んで過ごしている。緊張がとけ、筋肉が少し弛緩したのも、目に耳に鼻に肌に伝わってきた。  鉄平は自分も一口水を飲むと、にっこりと微笑んだ。そして、ふうとため息をつくと、少しだけ真剣な目つきに変わった。ヘッドボードの上にペットボトルを置いて俺の方へ向き直り、言いにくそうにポツポツと話し始めた。 「翔平。あの、ごめんな」  俺は何について謝られているのかが全くわからず、ポカンとしていた。 「え? 何か謝るようなことした?」  水を飲ませてくれた事に対しては、謝る必要など無いだろうから、それより前のことだろうとは思う。でも、それより前って、その、してた時のことだろうから……謝られるようなことって、何もなかったと思っていた。むしろ、ハジメテ同士であんなにうまくいくものなのか? というほど……気、気持ちよかった、し。俺はそんな風に能天気なことを考えていたけれど、鉄平はかなり辛そうな顔をしていた。 「最初、するの躊躇ってごめんな。お前、それで不安になったんだろ? あんな風になるまで心を乱させるなんて……本当に、ごめん」  俺が考えているよりも、もっと前の話だった。ああ、そうだ、そんな感じだった。すごく苦しかった、あの時。でも、悩んで苦しんでっていうくらいの事なら、誰にでも起こることだ。俺がセンチネルだったから、それが問題になっただけで。俺がセンチネルなのは、誰のせいでも無いんだから、鉄平だってそんなに気にする必要は無いと俺は思ってる。それを気遣ってくれた事実だけがあれば十分だと思った。 「あ、うん、まあ、そうだけど……でも、もう大丈夫だから。気にしないで」  結果的には鉄平がしてくれたんだし、俺は幸せだったから別にいい。でも、前以て果貫さんに教えられていたことがあった。  それは、ガイドの人には、自分の都合を優先してしまうことで、相手を失うかもしれないって言うプレッシャーが常にあると言うこと。だから常にセンチネルの身を危険に晒さないように注意を払う必要があるんだと言っていた。鉄平の今の気持ちも、多分それの現れなんだろうと思う。 「俺あの時、流れを教わったって言われた時、果貫さんが翔平のこと抱いたんだと思っちゃったんだよね」 「え? 俺が?」  俺は少なからず、ショックを受けていた。鉄平は、俺がケアのためとはいえ、好きでもない人に抱かれることが出来る人だと思ってたのか? と思って胸がチクっとした。  少し返答に困って黙っていると、俺が何を思っているのかを知ろうとしたのか、鉄平が手を握ってきた。ガイドが身体接触を図ると、共感力が発動して思考を読まれてしまう。俺は一瞬身構えた。 「あっ! だめ! 読まないで!」  じっと俺の目を見ながら、俺の気持ちを感じとっている。感情を丸裸にされて読み取られてしまう。口に出さない言葉を頭から引っ張り出されるのが恥ずかしくて、目を逸らしてしまった。すると、鉄平はまた眉根を寄せて、目を伏せてしまった。 「だよな。そうなんだよ。冷静に考えれば分かることなのに。一瞬でも疑ってごめんな。お前には、そういうドライなのは無理だよな」  そう言って、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。俺はそれがなんだかとても嬉しくて、じわりと涙が溢れてしまった。でも抱きしめているから、俺が悲しくて泣いたんじゃないことは鉄平にも伝わっている。言い訳する必要も無く、安心して涙を流すことができた。  抱きしめていた腕の力がふっと緩んで、鉄平の顔が少しだけ離れた。でもまだ鼻先が触れ合うほどの距離しか空いてなくて、ノーズキスをくれた。心地よくて目を閉じていると、ゆっくり長いキスをしてくれた。ぷるんと唇が揺れるのが分かる、あの鉄平の優しくて甘いキス。俺はあれをされると、体の奥からぎゅーっと喜びが溢れてくるような気がする。その感覚を堪能していると、今度はすごく優しい力でふわりと抱きしめられた。 「でもな。それじゃダメかもしれないんだ」  今すごく気持ちよくて、ふわふわした状態になっているというタイミングで、鉄平が少しキツくて辛そうな声でそう言った。 「え? それどういう意味?」  俺が聞き返すと、すごく痛いのを我慢するような顔をして、鉄平が声を絞り出しながら説明してくれた。 「お前がゾーンアウトしかけた時、それでも動けなかった俺に代わって、果貫さんがお前を助けようとしたんだ。でも、お前の体が拒否反応起こして出来なかった。俺たち、無意識に|ボンドの契約を結んでた《ボンディングした》らしいんだ。そうなると、お前に命の危機があった時に、俺以外の人はお前を助けることが出来なくなる。それがどれだけ危険なことか、さっきわかったんだよ」 「じゃあ、どうするの? 俺、他の人にケアをしてもらうようにすればいいの? 鉄平は、それでいいの?」  長年の思いが叶って、両思いになって抱き合ったその日なのに、いきなり他の人に抱かれろって言う神経が理解出来なかった。元々鉄平はちょっとデリカシーに欠けるところがある。でも、だからって今このタイミングで言わなくても……と思っていたら、ぎゅうっと強く抱きしめられた。 「俺だって嫌なんだよ! そんなの、絶対に嫌だ。でも」  俺はハッとした。鉄平の顔の周りがキラキラと光っている。その光の粒が、次々と降ってきて、俺の頬を濡らしては消えていく。すごく、たくさん降ってきて驚いた。そんなに嫌なんだ。それなのに、なんで…… 「さっき実際お前の気が狂いそうになってる姿を見たから……そのまま死んじゃったらって。めちゃくちゃ怖かったんだ。死んで会えなくなるくらいなら、|VDS《ベクトルデザインサポーターズ》のガイドになら任せてもいいかなと思ったんだよ」  すごい量の涙が降ってくる。聞いたことがないほどの嗚咽を漏らしながら、ボロボロと泣く鉄平の声を後ろに聞きながら、少しだけ孤独感を募らせていた。  結局、センチネルである以上は、その精神崩壊の危機からは逃れられない。どれほど精神力を鍛え、それを維持しようと努力しても、そこに僅かにでも綻びが生じれば、壊れるのはあっという間だ。レベルが高いセンチネルほど、ものすごいスピードで壊れていく。 「だから、だからせめて、他の人に抱かれる時にでも、俺の一部を一緒に持ってて欲しいんだ」  鉄平は、さらにぎゅうっと力を込めて俺を抱きしめながらそう言った。なるほどな、と俺は腑に落ちた。だったらこのタイミングで言わないといけなかったんだ。急を要する。そう判断した上での話なら、仕方が無い。 「マメントを作ろうってことか?」  ちょっと引くくらい引付を起こしながら、鉄平は頷いた。「そう。でも、お前レベル高いから複数作らないといけないって」ギリギリそう喋ることが出来るくらいに、子供のように泣いている鉄平が可愛らしかった。  もう、俺も腹をくくる事にした。仕方がない事だから、出来るだけそういう事態に陥らないように気をつけて、鉄平に頼って、それでもどうにもならない時だけ、マメンツを頼ろう。 「わかったよ。どうしようもない時は、それに頼るってことで覚悟しておく。で、マメンツは何にすればいいの?」  それから俺たちは、これから先の一生を二人で過ごすことを誓い合い、何を|VDS《ベクトルデザインサポーターズ》に協力してもらうかを話し合って決めていった。  でも正直、近い将来にそれが役に立とうとは、予想もしていなかった。  俺たちにとって、パートナーシップの強固さを試される出来事が、すぐそこまで近づいてきていた。

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