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第20話コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース4

『社長! 大変です!』  休みだったはずの日から数日経って、俺たちは代休の朝を迎えていた。そして、今まさにキスをしようとしていたところだった。 「おはよう、蒼。休みの朝だから俺がたくさん……」 ブーッブーッブー……。そこへ、また鳴り響く着信音。俺が恋人として蒼へしてあげたいことを記載しているリストは、いつもノーチェックのままだ。一つも達成されることなく、どんどん項目が追加されて、溜まっていくばかりだ。  俺は、昨日の夜はぐだぐだに疲れ果て、移動も蒼に抱き抱えてもらってやっとという状態だった。部屋に戻り、ベッドに寝かせられてからは、自分はほぼ動けない状態のままだった。その状態で、何度も何度も抱いてもらって、最後に奥を突かれて目の前がふわふわしてから寝落ちした。そこまでなら、なんとか覚えている。蒼の話じゃ、その後意識がなくてもしがみついたまま離れようとしなかったらしく、風呂で体を洗いながらもヤリっぱなしだったらしい。  しかもお互いの共鳴が激しくて、蒼が初めて「もう出すものが無い」と思ったくらいに、昂ってしまってなかなか終えられずに大変な思いをしたそうだ。惜しいことに、俺はその半分以上を覚えていない。なんて勿体無いことをしたんだ……今からは絶対イチャラブタイムを堪能してやる! と、思っていたのに……。 「お前、図ったように電話かけてくるな……田崎。もしかして盗聴とかしてるのか? 今日は翠のメンテナンスデーなんだけど。そんな急ぎの案件あったか?」  珍しく、蒼がムスッとした顔で電話を切ろうとしていた。普段は、何があろうとも仕事優先だ。会社立ち上げ当初、お互いに話し合ってそう決めた。蒼は特にストイックなタイプで、その約束を反故にしようとしたことはまず無い。それなのに、こんなに嫌そうに田崎の電話を受けているということは、昨日の俺の様子が、それほど酷かったということなんだろう。今日はメンテナンスに充てると言って聞かなかった。  ただ、田崎もいつもと違ってなかなか折れようとしなかった。おそらく重大な問題が起きたのだろう。  話を聞こうともしない蒼を宥めながら、俺は電話を変わった。 「おす、田崎。俺だ。蒼は、俺を心配しすぎてて、今冷静に話が出来ない。俺に話せ。何があったんだ?」 『あ、おはようございます、社長。あの、先ほどこちらに電話がありまして……』  電話をスピーカーに切り替えて、二人で聞けるようにした。そして、空いた手で蒼を抱き寄せ、その黒髪を手で梳きながら興奮状態を治めようとした。蒼はバツが悪そうにしていたけれど、大人しく俺に構われてくれた。接触しているから、俺が安定していることがちゃんと伝わって、少しは安心したらしい。このまま二人で大人しく連絡を聞こうと思っていたのだけれど、田崎の報告内容があまりに衝撃的でそれは叶うことがなかった。 『真野翔平くんが誘拐されました。しかも、犯人がどうやらウチに登録しているセンチネルみたいなんです。それで、警察から捜査協力の要請がありました。お受けしていいですか?』  ガバッと蒼が体を起こして俺を見た。真野翔平は、特級パーシャルクラス3のセンチネルだ。今、蒼が家庭教師として派遣され、大学受験対策の指導と並行して、真壁鉄平とのペアリング指導とマメンツの作成をしている。つまりはうちの顧客だ。その客を誘拐したのがうちのセンチネルと言われれば、穏やかな話では無い。 「もちろん受けろ。拒否する理由がない」  俺は、徐に口をガバッと開くと、ベッドサイドのデスクから取り出した透明なシートを、自分の上顎に貼り付けた。それがしっかりついたのを確認してから、蒼の顎をぐいっと引き、その口を開かせてから大きく噛みついた。舌を差し入れて蒼の口内を舐め回して、少し乱暴なくらいに吸い上げた。その性急なキスの仕方に込められた意図を察知した蒼は、すぐに俺の体を抱きしめながらキスを返してきた。そして、その水音は電話越しに田崎へ伝わり、優秀なミュートは俺の意図をすぐに汲み取った。 『今からそちらへすぐ向かいます。社長も五分で準備願います』  そう言って通話を終了しようとしていた。すると、蒼が通話口を指でトントンと叩いて田崎を止めた。俺はその様子を見て蒼の唇を離すと、デバイスの向こう側にいる田崎に向かって指示を出した。 「田崎、上がってくる時に、対象のセンチネルに関する情報を揃えて持って来い。あと、野本に連絡な。警察の方のメンバーに永心を指名して入れておいてくれ。そして、ここへ来るように言っといてくれ。それと、ミュートの誰かに全員分の朝食とコーヒーの準備を頼んでくれ。フロントに人数だけ言えば伝わる。手当ちゃんとつけろよ」 『承知致しました』  通話が終了されると同時に、俺たちは再びキスを交わした。残念ながら、これは恋人同士のキスでは無い。俺が朝イチから全力で動けるようにするための、集中力の補填だ。蒼も田崎も、俺との付き合いが長いから、わざわざ説明しなくても合わせて動いてくれる。  上顎に貼り付けたものは、永心の兄である晴翔さんが開発した制御機能ツールの一つで、ここにペアリング済みのガイドの体液と生体電気を貯めておくことができる。これをしておくことで、ゾーンアウトを少しでも遅らせることが出来るという、軽いケアの代わりを果たすものだ。製品名はフィルコ。フィルム状のコンデンサーという意味だ。イメージ的には生体膜の人工物だと思ってもらえればいい。これはかなり重宝するもので、精神的に厳しくなりそうなことがわかっている場合は、必ず前もって仕込んでいく。  今日はおそらく痕跡を探る日になる。そういう日は、とんでもなく集中力を消耗する。リスクアセスメントが生存率に影響するのは、どの仕事でも同じはずだ。  急がなくてはならない。能力開花直後のセンチネルほど危ういものはない。しかも真野翔平には、まだフィルコを渡していない。ただ、マメンツは先日渡しておいたので、見つかりさえすれば最悪の事態は免られるだろう。彼が死なないようにするためには、とにかく一刻も早く精神的な不安から遠ざけることが大切だ。  頭の中にピピっという僅かな電子音が聞こえた。フィルコのチャージが完了した音だ。時間は五分ちょうど。そして、同タイミングでドア前に人の気配がした。足音に集中すると、その男が田崎であることがわかった。ノックされるより前に「入れ」と声をかけた。 「失礼致します。社長、ご指示通り全て手配致しました。永心様と野本がこちらに着くまで、十分とのことでした」 「よし、わかった。で、真野翔平を誘拐したセンチネルについてわかったことは?」  田崎は「こちらに」と言いながらタブレットにデータを表示させた。そこに載っていたのは、黒髪ロングの女性センチネルだった。 「大垣晶(オオガキアキラ)……あ、この間改装工事中の雑貨屋の窃盗事件の調査依頼を受けてくれたセンチネルだろ、この人。誘拐事件なんか起こすような人だったか? 確かに身体的には色々抱えてそうだったけれど、精神的には安定してそうだったけどな」  大垣さんは、スラっとしているけれど、がっしりした筋肉も持ち合わせている。いわゆるヘルシーなタイプの女性だ。ただし、初めて会った時から視覚的にというよりは、匂いに違和感があった。どこかしら体に不均衡が起きているという匂いが時折鼻についた。それはおそらく、センチネルでなければ気が付かない匂い。生物としての危機感を抱えた体である可能性があった。ただし精神的にはとても安定している様子で、病気の類ではないのだろうとは予想していた。プライバシーに関わることだろうと思ったので、その時はそれ以上訊かなかった。ただし、それを差し引いても、誘拐事件を起こすような事情があるようには到底思えなかった。センチネルの能力を以てしても、気になることは特になかった。ただ一つ、その匂いに関することで、蒼を通して不思議に思っていたことはあった。 「身体的に色々抱えていそうだとはどういうことだ?」  申し訳程度のノックをして、永心と野本が入って来た。相変わらず偉そうに見える永心と、ビシッと姿勢良くしているが威圧感の無い色男のペアだ。野本は、俺が手に持っていたタブレットの大垣の写真を見て、何か気がついたようだった。 「野本、大垣さんと話したことはあるか?」  俺は永心の疑問に答える代わりに、野本に大垣さんについての印象を問うことにした。野本はしばらく逡巡していたが、特に思い浮かぶことが無かったようで、聞かれたことにだけ答えてきた。 「はい、多少は。挨拶程度ですが」  野本はうちに登録しているガイドなので、ケアが必要なセンチネルに、ペアリング済みのガイドがいなかった場合は、全く知らない人相手にでも、ケアを提供することもある。ただし、ガイドとしてはまだレベルが低く、大垣さんはセンチネルとしては中級クラスだ。まだ野本がケアを担当するには、レベルが追いついていない。関わりがあるとしても、休憩室で挨拶をかわす程度のもになるのは当然だった。 「何度か休憩室でお話ししたことがあります。背が高くてスラっとした、お綺麗な方ですよね」  野本はあまり異性についての話をしない。その野本が「男性ガイドには人気がありましたね」と言ったところ、永心がピクリと反応した。少し顔を逸らして、面白くなさそうにしている。野本は、それを見てほくそ笑んでいるように見えた。俺は、野本は案外やるんだなと感心してしまった。ただ、される方はたまったものじゃ無いのだろう。いつも冷静な永心の心臓の音が、いつもより早くて強くて忙しなかった。永心は昔から自分の感情に疎いところがある。今も、なんで胸が痛むのかはわかっていないのだろう。そう考えると、多少気の毒ではあった。 「永心、お前は何か気が付かないか?」  俺は、永心にタブレットを渡した。訝しげに俺の顔を見ながら、タブレットの画面に目をやった永心は、次々と写真をスワイプして表示していく。そして、一言俺に告げた。 「動画とか無いのか? ちょっと声を聞いたら、確信が持てそうなんだが」 「ってことは、おそらく、お前のアンテナには引っかかったんだな」  俺は永心からタブレットを取り返すと、大垣さんの血液検査の結果を表示した。そこには、性染色体の記載がある。 「やっぱりそうか。この方は、見た目は女性だが、元男性なんだろうな。トランスジェンダーだったんだろうか」  野本は殴られたような衝撃を受けたようで、「ええ?」と言いながら永心に近づいていった。そして二人で写真を見ながら、永心は野本へ「ここの部分が明るく見える」だの「ここの部分はエネルギーが途絶えている」だの、およそセンチネルにしか理解できないことを言っていた。野本はその説明を聞きながら、小さく震えているようだった。 「蒼、永心の言う通り、おそらく大垣さんは、生まれた時は生物学的には男性だったはずだ。今はおそらく治療済みで、国籍は女性で登録されている。それは登録時に確認されているから間違いない。ただ、俺たちの目と鼻には、治療の跡が暗く見えたり、そこの部分だけ他の部分と匂いが違うというのが伝わる。だから彼女に会うと、いつもやや違和感があった。大怪我の過去も無い、大病した記録も無い。それなのに、大きな手術の痕跡と治療の匂いがしていたから」  永心が、一瞬固まって首を捻っているのが、目の端に見えた。そして、野本の方を見て、小さな声で尋ねていた。 「お前には、それはわからないのか? 果貫、お前は?」  蒼が被りを振りながら永心の目を見つめた。 「俺にはわからない。翠に触れれば、感じることはできるかもしれない。直接それがわかるのは、そういう能力があるからだろう」 「つまり、それがわかるのは、この場では鍵崎と俺だけってことか?」  永心へ告知することを決めていた俺と野本は、視線を合わせると頷き合い、蒼へ視線を送った。蒼はタブレットの画面を切り替えると、永心へその画面を提示しながら読み上げた。 「永心咲人様。あなたはセンチネルの能力が開花しつつある、レイタントである可能性があります。その年齢での急な能力の発現は、身体へどんな影響を与えるのかが、計り知れません。うちに登録してください。そうすればガイドをつけて、完全開花まで見守ります。センチネルを悪用する人間から、お守りします」  永心は呆然と画面を見ていた。そのフォーマットを見たことがあるのは、おそらく二度目だろう。二十年前、突然能力開花して父に利用され、使い捨てられてしまった母親が告知された時、俺と永心はその部屋でかくれんぼをしていた。出るに出られなくなった状況で、しっかりその紙面を見たことを覚えている。 「俺が……センチネル? 嘘だろう……」  告知は終わった。これから混乱を起こすかもしれないし、どう発現してくるかもわからない。とにかく、野本の近くに居させることにしないといけない。俺は椅子を引いて永心を座らせた。大人しく座るのを見届けてから、蒼と田崎へ次の指示を出した。 「俺はここで指揮を執る。蒼は、鉄平と会って、翔平が居なくなった時の状況を聞いて来い。もう家に帰っているそうだ。永心と野本は、署に連絡を入れて、ここを起点に動く許可を取れ。それが出来たら、真野家で両親から翔平の最近の様子と大垣さんとの関係を聞いて来い。特に母親の翼さんから、聞けるだけのことを聞いて来い」 「翼さんに? 大垣さんと翼さんの間に、何か接点があるかもしれないってことか?」  翔平が大垣さんに誘拐されたとして、二人にどんな接点があったのかは、全くわかっていない。それが警察からの報告だった。ただし、直接大垣晶にも真野翼にも会っている……というよりは、蒼が真野翼と打ち合わせをした日、間接的に翼さんの匂を感じて、気になっていたことがあった。 「大垣さんと翼さんの間には何かしら接点があったと俺は見ている。その裏付けになるものは、おそらくマメンツだ。大垣さんのマメンツを探してその中身を分析すれば、二人の関係性ははっきりする」  俺がそのことに気がついたのは、あの寒かった日。その日、蒼についていた匂いだ。車で蒼のを咥える時、スーツからふわりと漂った香りに覚えがあった。その数時間前に顔を合わせていたセンチネルからも、同じ匂いがしていた。一日に同じ匂いを二度嗅いで、気が付かないセンチネルはいないだろう。ただし、それ以上の興味は湧かなかったし、その時は回復することしか考えていなかったから、そのままにしておいた。 「大垣さんのマメンツからしていた匂いと、翼さんと打ち合わせをした後の蒼から漂っていた匂いが同じだったんだ。つまり、大垣さんが身につけていたマメンツには、翼さんの身体の一部が使われている。それはつまり……」 「大垣さんのボンディング相手が翼さんだということ、ですか」 「そうだ」  そこにいた全員が、シーンと静まり返ってしまった。大垣さんは元男性の女性、翼さんは女性だ。二人がボンディング関係にあったのであれば、二人には体の関係があったということになる。でも、翼さんには男性の配偶者である涼輔と息子の翔平がいる。息子は翼さんにそっくりで、実子であることは間違い無いだろう。ボンディングまでしていながら、違う相手と結婚をして子を持ったのであれば、何か事情はありそうだ。 「永心、真野家にガイドではなくセンチネルが話を聞きにいく理由、よく考えろよ。野本、永心がゾーンアウトしないように見張っておけよ。アウトしたら、遠慮なく抱いてやれ。それと」  真っ赤になっている野本を尻目に、蒼の方を向いて俺は冷たく言い放った。 「翔平のマメンツにはGPSが仕込んである。居場所はすぐわかるはずだ。鉄平と迎えにいけ。ただし、俺の予想が当たっていれば、翔平はゾーンアウト寸前、そして鉄平に触れられるのを嫌がるはずだ。その時は、遠慮なくお前がガイディングするように。いいな」  普段滅多に使わない、冷たい声色と命令口調を使うことで、自分へのショックを和らげていた。俺はセンチネルを助けるためにここを開いた。優秀なガイドのガイディングが必要な時に、それを提供するのが俺の勤めだ。たとえそれが、俺の愛する人であっても。 ——平気なわけはない。それでも、こうするしかない。  蒼は俺にゆっくりと近づいてきた。そして、まっすぐに俺の目を見つめ、「わかりました」と答えると、足早に真壁家へと向かっていった。

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