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第21話 コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース 5

「田崎、警察が誘拐犯を大垣さんだと判断したデータを見せてくれ」  俺は隣の部屋で資料整理をしている田崎に声をかけた。今は社内にいるため、聴覚遮断に必要なツールも全て外している。田崎はそれをわかっていて、「承知しました」とどの帯域も含んだ耳あたりのいい、しかも最小できちんと聞こえる声で返事をしてきた。そして、その声の数秒後にはデータが画面上に現れる。どんな時でも冷静沈着で仕事が速いのが、田崎のすごいところだ。多少慌てたとしても、すぐに元に戻れるのも田崎らしい。そしていつもその気配りは素晴らしく、必要なものはスピーディーに対応するのに、余計なものは提示してこない。俺と蒼には無い能力を持った、優秀なミュート統括責任者だ。  俺は田崎が送ってきたデータを画面の一つに映したまま、別画面に映っている真壁家にいる蒼と鉄平とビデオ通話している。蒼が鉄平の話を聞いて報告するより、三人で話そうと提案してくれたからだ。  鉄平の話によると、翔平は今日の放課後、友人の宅録機材の購入に付き合うため、部室で待ち合わせをしていたそうだ。鉄平が日直だったため、翔平は先に部室へと向かった。そして、鉄平が部室に着く直前、背の高い女性が何かを引きずって廊下を歩いているのを目撃した。その時、何かを落としていたため、拾ってその女性に渡そうとした。しかし手に取ったものを見てみると、それが翔平の上靴であったため、異常を感じて走って追いかけた。追いついたので女性の手を引いたところ、反撃された。振り払った力が想像を超えて強く、またその後に肘が的確に鳩尾に打ち込まれてしまった。鉄平はそのままそこに蹲り、動けなくなってしまったのだという。  女は翔平を引きずったまま車に乗せて逃走した。鉄平はなんとか部室まで戻り、友人にスマホを借りて警察とVDSに連絡した。 『俺、ガイドとして翔平を守るって誓ったばっかりなんです。なのに、目の前で攫われていくなんて……なんかもう、情けなくて』  鉄平は割とガタイが良く、インドア派の割には鍛えているらしく、体力もあって力も強い。その鉄平が叶わなかったのだから、仕方が無いとは思う。まして、まだ高校生だ。修羅場を潜ってきたわけでもない。責任を感じることすら烏滸がましい年齢だ。 「バーカ、お前の年齢と経験でヒーローみたいに立ち回られちゃあ、他のガイドさんたちが泣いてしまうわ。すぐに通報しただけでもいい働きしたんだよ、お前は。過ぎたことを気にしてる暇があったら、捜索に目を向けろ。いいか?」  思春期なのだから半分ムカつきながらだろうけれども、渋々だろうけれども、先を見通しているのだろう。素直に「はい」と返事をしてきた。いい男だ、言い訳が少ない。俺は蒼に目を向けると、蒼が眩しいものを見るような目でニッコリ微笑んでいた。 「振り解かれた力が思ったより強かったのと、肘打ちが的確に鳩尾に入ったんだろ? そりゃ多分武道か何かやってるんだろ。そんな一瞬で冷静に対処なんて普通できねーよ。気にすんな。気になるなら、今からでもなんか習得すればいい。そうやって前向け」  鉄平のような子には、下手な慰めよりも先に進むための的確なアドバイスを送った方がいい。時間の無駄になるような感情論やふわっとした提示をすると、相手に不信感を抱くタイプだ。モヤモヤしている因子を特定して、それを排除または受け流す術を手に入れろという提示が一番届きやすい。鉄平は俺の言葉を聞いて納得がいったのか、力強く頷いて見せた。 「ただ、犯人だと思われている大垣さんは、武道はやって無いはずだ。それにそこまで力も強く無い。気絶した高校生男子を引きずって歩くって、相当な力持ちだろうよ。それと、お前に一つ聞きたいことがあるんだ」  大垣さんの特徴として、誰の目にも明らかなものがある。それをまず確認しておかないといけない。 『サングラスのことだろう? 大垣さんといえばサングラスだからな。それは俺がもう訊いた。間違いなくしてなかったそうだ。それと、その人物は間違いなくセンチネルじゃ無いらしい』  蒼の隣で鉄平が力強く頷いているのが見える。よほど確証があるようだ。ボンディングしたガイドは他のセンチネルに対して能力は使えないのが基本だ。それなのに、なぜそこまで確証が持てているのだろうか。 「能力に頼らなくてもそれを判断できる要因があるってことか?」  またしても鉄平が首がもげそうなほどに頷いていた。俺は笑いを堪えながら「早く教えろよ」と先を促した。鉄平はどうやら少し緊張しているようだ。ほんの少し体温が上がって、鼓動が早くなった。その姿を見ていると、高校生とはやはりまだ子供なんだなと改めて感じた。 『軽音学部の部室、めちゃくちゃタバコ臭いんです。今はいないけど、昔の先輩たちに喫煙者が多かったらしくて。昔使ってたスコアとか譲り受けたやつもなんとなくタバコ臭いし。翔平はマスクをしてても何秒も部室にいられません。埃もすごくて。ミュートの人でも耐えられない人がいるようなところなんですよ。だから翔平は幽霊部員なんです。それと、今日通ったところは野球部が練習してました。金属バットでボールを打つ音が聞こえるとセンチネルには耐えられないって聞いたことがあります。翔平もダメなんです。でも、その人全然平気そうでした』  鉄平の話す内容を確定要素とするには弱すぎるが、その全てを組み合わせて考えてみても、俺には犯人が大垣さんとはどうしても思えなかった。 「やたらに力が強いことも気になるんだよな……鉄平の話にしても、大垣さんならサングラス無しなんて無理な話だしな。彼女は視覚優位タイプだ。どんな時でもサングラスをしているはずだ。太陽光を浴びたら即倒れるだろう。それと、警察が犯人を大垣さんだと判断した資料が弱すぎる」  俺は蒼のタブレットに、さっき田崎が用意した資料を転送した。それを見て、蒼も鉄平もやや呆れた顔をしていた。 『学校の防犯カメラに写っていた当該車両の持ち主が大垣晶……それだけ?』 「なあ? 俺も驚いた。でも、それくらい何も手掛かりがないのかもしれないな。まあでも、GPSで翔平の居場所はもうわかった。今から向かってくれ。警察にも連絡してある。あとはそちらと連携を取れ。……鉄平」  鉄平は俺の方をしっかり見て、「はい」と返事をした。画面越しでもしっかり目を見ている。その目は、とても力強かった。 「センチネルはその名の通り繊細だ。翔平に何か起きて狼狽えていたりしたら、大切に丁寧に扱ってやれよ。ゾーンアウト仕掛けてる時に正論は振りかざすな。とにかく甘やかせ。いいな? 小言や揉め事は後からいくらでも出来る。いい先輩がそこにいるだろ? 俺はいつもデロデロに甘やかしてもらうぞ」  ニヤリと笑う俺の顔を見て、鉄平は真っ赤な顔をしていた。そして、蒼の顔をじっと見ると、蒼がめちゃくちゃ妖艶な笑みをしながら「これでもかってくらいに、毎日な」と言うものだから、翔平とのことを想像した鉄平は手で顔を隠してしまった。 「まあ実際は、向こうに着けばやや厳しい状況に陥るだろう。メゲるなよ。何度も言う。センチネルは甘やかすこと。ガイドは導くこと。ケアの時はそれだけを考えろ。お前が甘えるのは、ケアじゃ無い時にすればいいから。わかったな?」 『はい!』  十代らしい元気な返事をして、鉄平はペアの元へ向かった。通信を切る前に、蒼が俺の方を見て微笑んでいた。    俺は田崎にコーヒーを頼むと、警察から渡された資料の動画をひたすらチェックしていくため、一つ大きく伸びをした。 「田崎、俺これから超集中するから。用があったら必ず指定番号からかけろよ」 「わかりました」と答えて、田崎は甘いカフェオレとチョコレートバーを置いて、隣室へと下がっていった。  これから三十分で資料動画全てを見ることになっている。そして、その中に何か発見したとすれば、それを細かくチェックしていく。つまり、自分からゾーンに入りにいく。この場合、ゾーンから抜ける時にとても気を使う。スヌーズタイマーをセットしておいて、音量も振動も極小からだんだん強くしていくと言う方法を取らないと、あっという間にゾーンアウトして命の危機に陥る。いくらフィルコがあってもそれは流石に対応しきれない。蒼の戻りを待つ前に、ここから飛び降りてさようならになるだろう。だから、田崎が俺に話しかける時も、隣室から着信音がだんだん大きくなるように設定してある指定の電話から連絡するようにしてある。 「さて、やりますかね……」  俺は超集中状態に入るために、机の上を人差し指で軽くとん、とん、とん……と叩く。これで味覚を遮断した。とん、とん、とん……嗅覚を遮断、触覚を圧縮、とん、とん、とん……視覚と聴覚を全開にした。そして、遮断した分のポテンシャルを視覚と聴覚に振り分けた。これで、一時的に全開を超えた状態を作り上げる。  大垣さんが犯人でないのなら、なりすましているやつがいるはずだ。そしておそらく、そいつはミュートの男だ。センチネルの特性に理解がなく、力の強さからして男性である可能性が高い。VDSに登録時から善良なセンチネルとして評価の高い彼女の社会的信用を失墜させるような奴は野放しにして置けない。さらに、翔平の身を守らねばならない。大人の都合に巻き込まれたのであれば、ダメージを最小限に留められるようにしなければならない。 「生きにくいセンチネルを陥れるような奴は、許さねえよ」  洪水のように押し寄せる情報を掻き分けながら、俺は答えを探して、データの海に飛び込んでいった。

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