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第22話 コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース6
「VDSの永心と野本と申します。私達は二人とも所轄の刑事でもあります。真野翔平くんの誘拐の件について、お話を聞かせていただけますでしょうか」
永心は二つの名刺を渡しながら、真野翼に挨拶をした。VDSを発つ前に、センチネルとして仮登録を済ませてきた。すると直ぐに名刺を手渡され、持っていくようにと鍵崎さんに言われていた。僅かに苦々しげな顔を見せていたが、直ぐにそれを受け取るとそのまま振り返らずに真野家へと出発した。
母親が父親に利用されて死んでいったという、普通では考えられないような経験を持つ永心は、二度目のバース検査が終了するまでずっと不安だったと言っていた。自分がミュートであると確定したあと、センチネルであるかもしれない恐怖から解放れたことで、浮かれて飲み過ぎて、その日初めて会った人の家で一泊した経験があるほどだ。それが、今になって覆り、センチネルであることが確定してしまった。どれほどショックなのかと思いきや、案外冷静だったので俺は少し意外に思っていた。
『自覚あっただろ。最近の事件の追い方、明らかにセンチネルのやり方だったからな』
鍵崎さんにそう言われてから、永心が見せた笑顔には、何かを吹っ切ったような清々しさがあった。俺はそれを見て、そのままでいられるように守って行ってあげたいと、改めて思った。
「わざわざありがとうございます。こちらへどうぞ」
母親である真野翼さんは、俺たちをリビングへと案内した。玄関からまっすぐに伸びた廊下の左手にあるリビングへ入ると、ソファーの前に父である涼輔氏が立っていた。やや青い顔をしていて、息子をどれほど大切にしていたのかがよくわかった。
「父の涼輔です。どうぞ、こちらへおかけになってください」
手で示されたソファーへ、永心と並んで座った。立場上、俺が奥に座り、永心が手前に座った。俺の目の前に涼輔氏が座り、翼さんが人数分のコーヒーを淹れたカップを載せたトレーを持って入ってきた。銘々皿には数枚のクッキーも載せられていた。焼きたてなのだろう、家中にとてもいい香りが漂っていた。
「今日は鉄平くんが泊まりに来る予定でしたので……おやつにと思って焼いておいたんです。まさかこんなことになるなんて……」
翼さんはそう言いながら全員にコーヒーを出して、涼輔氏の隣に座った。その顔は、まるで体のどこかを痛めつけられていて、それをグッと耐えているようだった。子供をとても大切に思っているのだろうなということがはっきりとわかる表情だった。
「誘拐された翔平くんが能力開花直後だということで、社長の鍵崎よりとにかく急ぐように言われています。単刀直入に申しますが、今回の事件の犯人は大垣晶とされています。翼さん、大垣晶をご存知ですよね?」
翼さんは、問いかけた俺の方を見て、「え?」と短い言葉を漏らした。その表情を永心がじっと見つめている。俺たちガイドは、センチネルが相手だと、触れればその人の感情を読み取ることができる。でも、翼さんはセンチネルではない。だから、永心が真野夫妻の表情や仕草を読み取り、情報を仕入れていく必要がある。
「大垣晶とあなたは知り合いで間違い無いですよね?」
永心は警察に残す記録用に、敢えてはっきりと言葉にさせようとしている。VDSの報告用なら、永心の感覚を言葉にしていればいい。でも永心は、ガイドやミュートにも伝えられる方法が取れるのであれば、そちらを優先するようにしている。そうすることで共有格差を無くし、揉め事を減らすようにして生きていた。
少し詰め寄られたように感じたのか、翼さんは永心にやや怯えながらも「はい、そうです」とはっきりと答えた。その答えを聞いて、涼輔氏がハッと短く息を吐くのが聞こえた。その音には、やや侮蔑の音が含まれているように聞こえた。ガイドの俺にでも気がつけるくらいには、嫌悪感もあった。
「大垣晶は、VDSに登録しているセンチネルです。これまで数年に渡り警察の依頼に協力してきた実績があります。ですので、凶悪な誘拐犯と顔見知りだという感覚では捉えなくても大丈夫だと思います」
俺がそう言うと、涼輔氏がややカッとなって口を挟んできた。
「そんなこと誰にもわからないでしょう? 大垣さんが何を考えて暮らしていたかなんて。それに、例え善人であっても、翔平を誘拐したことに変わりはないんですよね? だったら犯罪を犯した人ってことに変わりは無い。僕は許せませんよ」
涼輔氏からすれば、大垣晶は他人だ。大垣さんを最愛の息子を奪った極悪人として認識されているのだとしたら、その怒りは尤もだと思う。ただ、現時点では話はまだ始まったばかりだ。それにしては、怒りが強いように思えた。
「ご主人も大垣さんとはお知り合いなんですか? 話が始まったばかりの割には、大垣さんへの嫌悪が大きいように思うのですが」
永心が涼輔氏の目をじっと覗き込みながら問いかけた。涼輔氏は永心の目を見ると、ビクッと体を硬直させた。センチネルの読心の仕方を知っているようだった。恐れ方が、それをされたことのある人間の反応だった。
「読まれたくなければ、先にお話ください。隠すと息子さんを助けにくくなるだけです」
永心の言葉を聞いて、涼輔氏ははーっと長く息を吐いた。隣で翼さんは申し訳なさそうな顔をして、唇を噛み締めていた。この話には、他人が易々と踏み込んではならない領域を二つ侵す必要がある。一つは、第二性について。もう一つは、第一の性について。つまり、大垣晶のジェンダーに関する話だ。それに、もう一つ。大垣晶と翼さんの関係の深さについても詳細を聞かなければならない。
「ちなみに、前提としてお伝えしたいのですが、VDSは誘拐の犯人は大垣さんだとは思っていません」
翼さんの顔がパッと明るくなったのを感じた。その表情が、大垣晶との関係性の深さを物語っているようだった。誰だって、自分の息子を元恋人に連れ去られたとは思いたく無いだろう。翼さんの安堵は理解の範疇にある。
「そもそも、何故犯人は大垣晶だと言うことになったのですか?」
涼輔氏はきちんと理由を聞いてから判断したいようだった。問題を一つずつ紐解いていこうとしているようだった。俺は、バッグからタブレットを取り出すと、真野夫妻にわかるようにピンチアウトしながら該当箇所を見やすく提示した。
「水上高校の職員駐車場付近にある防犯カメラに映った車両の持ち主が、大垣晶だからです」
翔平は何らかの理由で気絶していて、脇の下から腕をかけた状態で駐車場まで引きずられている。そして、ドアを出てスロープを降りている途中で鉄平が追いつき、犯人に手を伸ばした。すると反撃に遭い、鉄平はその場に崩れ落ちた。その後、駐車場に停めてある車に翔平を放り込んだ大垣晶は、その車を運転して学校を後にしている。その全てが写っていた映像も見せた。翼さんはその女性を見ながら、ずっと首を捻っていた。明らかに、何かに引っかかっているようだった。
「何かお気づきですか?」
俺が尋ねると、翼さんは目を伏せて少し考え込んでいた。答えはあるようなのだが、口に出していいものかどうかを悩んでいるようだった。すると、永心が涼輔氏の方を向いて、ハキハキとした声で話し始めた。
「ご主人、今から確認していくこと、奥様に語っていただくことは、多少あなたの聞きたく無いことも含まれているかもしれません。ですが、今は翔平くんの今後のためにも、知り得る範囲の情報は集めておくべきです。どうか全てを詳らかにすることをお許しくださいませんか?」
そう言って、永心は頭を下げた。俺は一瞬呆気に取られていたのだが、慌てて同じように頭を下げた。大垣さんが犯人であろうと、なかろうと、はっきりさせるためには翼さんと大垣さんの関係性は明らかにしないといけない。ここに涼輔氏が同席する以上、それを一緒に聞いてもらわないといけない。うだうだしても仕方がない、さっさとはっきりさせようぜ、という永心の声が聞こえたようだった。
「あ……そうですね、あの、そう、そうですよね」
慌てて目の前で手をバタつかせながら、涼輔氏は「違うんです、すみません」と言い続けた。そして、コーヒーを一口飲むと、はあとため息をついて、訥々と語り始めた。
「翼と大垣さんがどういった関係だったのか、知っています。そして、今でも不安に思っているだけなんです。私と暮らすより、大垣さんと一緒にいたかったんじゃないかなって……私、自分に自信が無いもので。大垣さんへの嫉妬ですね。みっともなくてすみません」
頭の後ろに手を当てて、情けなさそうに笑う涼輔氏の顔を見て、翼さんが一瞬ムッとしたのを俺たちは見逃さなかった。そして、永心が俺の肘をツンツンと突いてきた。そして、徐に俺の手をグッと握った。すると、今まで経験したことのない現象が起きた。
『——痴話喧嘩が始まります。聞いてないふりをしてあげましょう』
驚いた俺は、永心の腕を振り解くと、反対に掴み返してしまった。反射的な防御の動きだったが、思わずとった行動におかしくなって笑ってしまった。その向こうで、真野夫婦は「私はあなたを愛してるのに、まだ信じてないの!?」や「僕だって愛してるよ。でも大垣さんといた時の方が自由だったんじゃないかなっていつも思ってしまうんだよ」だの、確かに痴話喧嘩が繰り広げられていた。相思相愛の幸せなご夫婦だろうに、やはり一つ大きな問題が横たわっているとこんなにも拗れてしまうものなのか、と思わされてしまう。
しばらく待った後、永心がパンパンと手を叩きながら「あの、すみません、そろそろ宜しいでしょうか」と切り出した。真野夫婦は翔平が誘拐されたことも、俺たちが目の前にいることも忘れていたようで、ハッと我に帰ると「すみません」と連呼しながらひたすら頭を下げていた。
「確認なんですが、大垣晶さんと真野翼さんはお付き合いをされていたんですよね?」
「はい」
「では、申し訳ないのですが少し立ち入った話を……」
「晶は生まれは男性で、性自認は女性です。だから治療をして女性になりました。私は女性として生まれましたが、性自認は男性です。そして、同性愛者です」
「えっ?」
俺は、突然斬り込んできた翼さんの告白に、頭がついていかなかった。何かが吹っ切れたらしい真野夫婦は、悟り切ったような笑顔をしてこちらを見ていた。永心はセンチネルだ。翼さんの告白がなくても、おそらく気づいていたのだろう。一人で涼しい顔をしていた。
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