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第23話 コンプレス、コンバート、アンプリファイ、リリース7
「と言うことは、あなたは男性なんですか?」
俺はあまりジェンダーに関する情報に明るくないため、色々とパニックを起こしていた。ただ、この時は男女の区別よりも聞かなければならないことがあった。それを永心が突っ込んできた。
「先輩、それよりも今は大事なことがありませんでした?」
呆れた顔で俺の方を見ている永心にムッとした顔を向けると、なぜかあいつは花が咲いたような笑顔を俺に向けてきた。一瞬ドキッとして見惚れてしまうほどの、華やかな笑顔だった。時間に追われている場面にも関わらず、ちょっとムラっとしてしまった自分が嫌になった。
「あ、あの、えー、お二人はボンディング関係にありましたよね? つまり、あなたはガイドということで宜しいんですか?」
翼さんは、俺と永心の方をまっすぐ見据えていた。そして、はっきりと大きな声で言い切った。
「そうです。晶が男性だった頃に付き合っていて、ボンディングしました。でも、どうしても女性になりたかった晶から、別れて欲しいと言われて。まあ、私もあのまま付き合っていたら、女性の体の晶を愛せていたのかどうかはわかりません」
「あの、センチネルの方はボンディングされたらゾーンに入った時のケアは他の方じゃダメになるでしょう? ガイドの方もボンディング相手と離れていると弱るはずです。翔平くんの年齢を考えると、十八年間問題なく過ごしていたことになるんですが、そんなことが可能なんですか?」
すると、翼さんは永心が渡した名刺をトントンと指先で示した。そこには、VDSのグループの名称が載っている。
「VDSのバース研究センターが出しているツールのおかげですね。お互いに体の一部をマメンツとして持っていましたので。晶は、他のガイドさんにケアをお願いしていたみたいです。私は、マメンツがあれば大丈夫でした。それと、多分、翔平がいたから……」
翔平がいたから、は、母親として息子を生きがいにしてきたという意味ではない。真野翔平は鍵崎さんと同じ特級パーシャルレベル10。大体のガイドが敵わないレベルのセンチネルだ。ボンディングしていなくても、翔平くんは翼さんを守っていた。そして、翼さんは、翔平くんが日々少しずつ消耗していくのを、毎日一緒にいることでケアし続けていたのだろう。
ここまでセンチネルとガイドの関係性だけで語られると、ミュートはやや立場がなくなる。涼輔氏は完全に黙り込んでいた。ただし、表情はうるさいくらいに不快感を示している。愛らしい小動物顔が台無しになっていた。
田崎さんがよく言っている。「センチネルとガイドの関係を見ていると、ミュートは役立たずとしか思えなくなる」と。それを払拭するためにVDSで働いているのだとよく言っている。そして、鍵崎さんと一緒に働いていると、バースはどうでもよくなってくるとも言っていた。
「別れた後も、ずっと関係は良好でした。ただ、最近付き合っている方がガイドで、私よりマッチング率が低いから、マメンツを作り直して欲しいと言われていました。それで、一週間ほど前に会いました。その時も笑って別れてます。だから、晶が翔平を誘拐する理由が私には全くわかりません」
「付き合ってる男性がいると言っていたんですか?」
「はい」と翼さんは答えた。そして、淀みのない目で俺たちの方を見ると、テーブルに手をついて前のめりになりながら訴えた。
「晶は、とても優しい人です。私に何か恨みがあるとしても、息子を誘拐するような卑怯なやり方はしないと思います。それに、もうすぐ養子を迎えて交際相手の方と一緒に暮らす予定だと話していました。わざわざその幸せを壊すようなことをする意味がわかりません」
ポタリと音を立てて、涙がカーペットに落ちた。ボンディング相手が息子を誘拐するわけがないと信じている翼さんが、泣く理由。それは、二人の身を案じているからに他ならない。
「晶のふりをして誰かが翔平を誘拐した、とか、晶に逆恨みしてる人が、とは思えませんか? だって気絶している翔平を引きずって歩くなんて絶対無理なんです。すごく力が弱い子だったし。それに、服装がいつもと違います。動きにくいからとロングスカートは履きませんし、甘いイメージのブラウスやカットソーとスリム系のパンツにピンヒールが定番なんです。スカートは嫌なのに、ピンヒールではすごい速さで走れるんです。それなのに、あの映像の人はヒラヒラしたロングスカートを履いてますよね。絶対違う人だと思うんです」
翼さんは、映像を見た時に感じた違和感を一気に吐き出してきた。体格や力の差、動機が見当たらないこと、服装が違うこと……色々と細かく裏を取れば、大垣さんが犯人でないことは明らかになりそうだった。
すると、ふと翼さんが気になることを言った。
「あの子モテるから……何もしなくても逆恨みされやすいんです。ストーカーがいたこともあったし……」
「ストーカー? 大垣さんにストーカーがいたことがあるんですか?」
「はい。随分前ですが、相談を受けたことがありました。警察にも相談しているはずです」
その時、永心に連絡が入った。画面を見て、それを俺に見えるようにしてくれた。俺はほっと胸を撫で下ろすと、目の前で息子を心配する二人に報告した。
「翔平くんが無事に保護されました。これからそちらに向かいます。それで、一つご報告があります」
俺には子供はいない。でも、これは、親としてはとても辛いことではないだろうかと思った。それでも、報告して待機することを了承してもらわなければならない。グッと拳を握りしめて、言葉を繋げた。
「翔平くん、発見時からゾーンアウト寸前らしいのですが、鉄平くんのケアを拒んでいるそうです。もしかしたら、犯人から何か聞いた可能性があります。鉄平くんが触れると読み取られてしまうので、触れられたくないのかもしれません。まずは落ち着かせて、数日様子を見ます。その間、私たちに息子さんを預けていただけますか?」
涼輔氏は頭を抱えて座り込んでしまった。ミュートの人にとっては、センチネルのゾーンアウトに関しては、学校で習った保健体育程度の知識しかない。恐ろしくて仕方が無いだろう。翼さんは、流石にセンチネルとペアリングしていただけあって慣れているのか、落ち着いていた。俺に向かって力強く頷くと、俺たちに向かって頭を下げた。
「どうか、息子をよろしくお願いします。落ち着いたらご連絡ください。私から話すべきことがあれば、すぐ向かいます」
その寂しげな笑顔に暇を告げて、俺たちは真野家を後にした。
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「先輩、センチネルであることって、家の問題以外にも色々弊害ありますよね」
俺が運転する車の助手席で、青い顔をしながら永心が呟いた。予想していたことが大半だったとはいえ、ピリピリしている人間との長時間の聴取は、永心にとっては苦痛だったようだった。ケアをしてあげられればいいんだが、運転中だ。それに、なるべく早く戻る必要があった。二つの問題に挟まれた俺は、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「……先輩、うーんって口に出して悩む人、俺初めて見ましたよ」
そう言いながら、永心がクククッと笑っていた。その笑顔が、またとびきり輝いていて、今まさにケアが必要なほどに弱ったセンチネルとは信じられないほどだった。信号は、今、赤だ。ここは優先道路じゃ無いから、赤信号は少しだけ長い。目の前には、愛らしく笑う好きな人がいる。俺はシフトをパーキングにして、フットブレーキを踏んだ。そして、笑いながらも不安にギュッと手を握りしめている永心の唇に、自分のを軽く押し当てた。
「えっ? せんぱ……」
押し当ててしまったら、止まらなくなった。そのまま、永心の顎を引くと、唇の隙間を舌ですっとなぞった。反射的に唇が開いた。その隙間にするっと入っていくと、舌同士を絡めて吸った。
「んっ、は……」
短く漏れる息も全部吸い込みたくて、大きな口でガブリと噛み付いた。そして、強く吸い上げると、永心のほおを手で包み込んで顔を離した。
「せんぱ……」
「少しは良くなったか?」
キョトンとした顔で永心がこちらを見ていた。顔色は良くなっていた。むしろ、血色よくなっているくらいだった。俺は、フットブレーキを解除してシフトレバーをドライブに戻しながら言った。
「俺がずっと一緒にいてやるから。何も怖がるな。俺、ずっとお前のこと好きだったから」
そして、永心の言葉を待たずに変わった信号に視線を向けると、VDSへの帰路を急いだ。
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