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第45話
重い瞼を持ち上げると、視界はぼんやりとしていた。温かい何かに包まれており、手で触れると、大きな身体の彼に抱きしめられたまま眠りについていることがわかった。大きな窓からは白んだ空が見える。
指先で美しい顎に触れ、頬を撫で、佳純が目の前に存在していることを確かめる。そうしていると、長い睫毛がかすかに震え、瞼が持ち上がり、瞳とぶつかる。数回、まばたきをすると佳純は僕を確かめるように抱きしめた。
「ねえ、佳純」
胸元で心地よい心音と匂いに癒されながら、話をする。佳純は静かに僕の話を聞いてくれる。
「僕ね、夢を見たんだ。シロツメクサの夢」
意識が混濁していた時に見た、子供の僕との不思議なやりとりの話をかいつまんで、にこやかに告げた。
「それでね、小さい僕が言ったの。大好きな人にあげてって。それから…」
小さい僕は、何度も編みなおした大切な花冠を佳純に届けて、僕をしあわせにしてねって言ったんだ。とは、言葉に出来ずに口を引き結ぶ。
「その花冠」
言いよどむ僕に気づいてか、佳純は穏やかな声色で大きな手のひらで僕の肩を軽く叩きながらつぶやく。
「俺にくれないのか」
言葉が頭の中をぐるぐると回り、喉の奥がつまる感覚があり、涙がにじんだ。それを悟られないように、鼻から吐息をもらして笑った。
「佳純なら、もっと良いものをくれる人が現れるよ」
できるだけ明るく、笑顔でそう告げるが、改めて言葉にすると、あまりにも悲しくて苦しい。包み込む身体は硬直し、力強く僕を抱き込んだ。奥歯を噛み締めるような鈍い音が部屋に小さく響き、耳元で苦しい呼吸が聞こえる。俺は七海の花冠だけが欲しい。そう聞こえた気がしたが、僕は気づかれないように涙を拭った。
佳純を見送ったあと、僕はひっそりと屋敷から去った。山の中にあるらしく、使用人に頼むと自宅まで車で送ってくれた。車の中で、今朝、佳純を見送ったときになかなか離してくれなかった手を見つめる。視界がぼやけ、ぼたぼたと膝に落ちた。これでいいんだ。これで、佳純は幸せになってくれる。それで、僕はいいんだ。何度となく繰り返し、心の中で唱えて、独りぼっちで僕は僕を抱きしめた。佳純の優秀な遺伝子は、位の高い身分相応なこれまた優秀なオメガと番い、後世に残っていくのだ。不完全なオメガの僕なんかでは、そんな大役は務められない。これが、世界のためにも、佳純のためにも、一番の選択なのだ。
それなのに、どうして涙が止まらないのだろう。どうして、ずっと寒いのだろう。どうして、ずっと苦しいのだろう。
泣きつかれて眠ってしまうと、あっという間に実家についてしまった。僕の腫れた瞼を見て、母親は大きく溜め息をついてから、まったく私の息子だわ、と笑って抱きしめてくれた。その温かさにほっとして、年甲斐もなくまた母親の胸元で泣いてしまった。
父親が仕事で帰りが遅いことは幸いで、真昼間にも関わらず熱めのお風呂を用意した母は、そのまま眠るよう大好きなガーゼ地のパジャマを用意してくれていた。何もかもお見通しな母に頭があがらないな、と思いつつ、きちんと干されて太陽の匂いのする清潔な布団に包まれて眠りについた。
実家での毎日は、とても穏やかだった。春に向けて家庭菜園や花の種まきをしたり、父にねだられて一緒に母へのホワイトデーのお返しを選んだり、大好きな両親と過ごす世界は居心地が良いものだった。
両親はすべてを悟っているのか、はたまた知っているのかわからなかったが、何も僕には尋ねなかった。最初はその気遣いが逆にむずがゆさも感じたが、変わらない両親に心底安堵したのも事実だった。週に一度、医師が訪問にきて様子を見に来たが、両親は知った間柄のようだった。もしかしたら、佳純が話を通していたのかもしれないが、あまり深く考えないようにした。気を抜くと、いつだって涙があふれてしまうのは治らなかったからだ。
苦しいことに、実家に帰ってきてからの僕の体調はすこぶる良かった。三月に入ると、腹部がしくしくと痛む日があった。定期訪問でやってきた医師にそのことを話すと触診し、笑顔で回復していることを告げられた。たった数日の差だったのか…と思うと、自分の身体が情けなく思えた。それでも、結局はそのような結果であることは、きっと神様の思し召しなんだろうと春めいた風を感じながら思うのだった。
三月も下旬に入ったある日の夜だった。
夢を見た。
僕は病院の個室にいて、数本のチューブがつながれて点滴を打たれていた。入院着の僕を鏡で見つめていると、勢いよくドアが開かれ、今より大人びたスーツ姿の佳純が飛び込んでくる。
どうしたの、と尋ねる前に、思いっきり抱きすくめられて、よく頑張ったなと褒められ顔中にキスをされる。そして、その後ろから、看護師が入ってきて、何かを大切そうに抱えているのだ。佳純は僕の肩を抱き、近づきその腕の中をのぞくと、生まれたてのくしゃくしゃの赤ん坊がいるのだ。看護師に促されるままに、赤ん坊を受け取り抱きしめると、佳純が涙をこぼしながら、僕たちを抱きしめるのだ。
瞼を持ち上げると、そこは住み慣れた実家の天井しか見えない。夢かと思うと、猛烈な虚しさに襲われて、自嘲の笑みをこぼし、目元を覆った。
夢のように、なりたかった。
そうやって心の中で本当の願望が浮かんでしまうと、手に出来ない現実に、なおさら涙があふれた。嗚咽をかみ殺していると、身体に異変を感じる。頭の奥が鈍く痺れ、背筋を通り、腰が重くなる。そして、腹部がじりじりと熱を持ち、呼吸が乱れる。
「これ…っ」
身体を横に向け内腿をすり合わせると、どろり、と嫌な感触がする。恐る恐る、後ろに手を伸ばし下着越しの触れると、湿り気を帯びていた。
シーツを握りしめて熱に耐えようとする。
嫌だ嫌だ嫌だ。
おさまれ、と何度も自分に唱えるが、やはりじくじくと甘美な熱が身体を犯す。意識が朧げになってくると、誰かが頬を撫でてくれているような感覚がある。
「か、すみ…?」
その手のひらは身体を伝い降りて、胸の尖りに人差し指を引っ掛けて弾くようにこねる。びくっ、と大きく身体が反応し、吐息が漏れる。へそをくりくりとくすぐると、下生えを撫で分け、そそり立つ雄を指でなぞる。
先端を指で何度もなぞるが、その弱い刺激にもどかしく腰が揺らめき、雫があふれる。
「あ、っ…んぅ…」
先端をこしょこしょをくすぐられ、物足りなさに自ら下着ごとズボンを下ろす。たら、と涙を流しそそり立つそれが、ぶる、と現れ、さらに目が霞むような酩酊感に襲われる。指は、口内に侵入し、柔く舌をなぞり、気持ちいいところを撫でてくる。
「ん、んぅ…か、すみぃ…」
気持ちよさに内股を擦り寄せ、身体を横に倒し、ぴくぴくと身体が痺れる。腰を撫で、尻たぶを撫で、そして割れ目に指が触れる。手を引き寄せると、ぬちゃ、と濃い粘液が指と指の間に糸を引かせていた。
「ゃ、だ……」
恥ずかしさにうつ伏せになると、孔を丸い指先がすりすりと撫で、とんとんと優しく叩く。きゅん、と強く腹の奥が疼いたのを感じると、指がゆっくりと挿入される。
久しぶりとは思えないほど、すんなりと指は入り、すぐにもう一本増えた。ナカをぐにぐにとさすられて身体は甘く痺れる。そして、ちゅぽちゅぽといやらしい音を立てながら淡く抜き差しされる。
「っふぅ…ん、ぁ…、かすみぃ…」
膝を立て、腰を揺らめかしながら熱い吐息をつき、火照る身体に酸素を忙しなく取り込む。指はさらにもう一本増え、圧迫感に身体はますます悦びを見せる。しかし、奥のオメガは気持ちいいところを教え込まれてしまい、快感に物足りなさを訴えてくる。
「ゃ、らぁ…たり、なぃ……っ、たり、ない…」
どんなに腰を揺らしても指で掻き乱しても、切なく腹の奥がきゅう、と鳴くのだ。
足りなくて、前にもう片方の手を伸ばし、ちゅこちゅこと上下に擦り上げると、爪先まで強い痺れのような快感が駆け抜けた。
「あっあっ、か、すみ、かす、みっ、んっう…」
佳純、佳純、好き…好きだよ…
心の中でつぶやきながら、彼の大きな手のひらや耳元での熱い呼吸、そして自分の指では似ても似つかないがたくましいアルファ、僕にしか見せないとろけた笑顔と射精時の奥歯を噛み締め長い睫毛をか細く震えさせながら汗をしたたらせる顔を思い出し、身体はベッドを鳴らすほど大きく跳ねて白濁を飛ばした。
やっと出来た射精はしばらくの間、身体の中の熱を時間をかけて放出させていき、どくどくと身体が脈うった。
それらが落ち着いてくるのと同時に、猛烈な寂しさが僕を支配した。
白濁に汚れた左手、粘液にまみれた右手。
心の中には、大好きなアルファがいるのに。なんで僕はひとりなのだろう。
「っ…くっ……、かすみぃ…」
大粒の涙が次から次へと溢れて、嗚咽が止まらない。
佳純がいい、佳純とずっと一緒に、いたいよ…。佳純じゃないと、だめ…嫌だよ……。
どんなに思っても、彼はここにはいない。その事実がまた僕を苦しめる。
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