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第28話 卯一郎
翠の痩せた背中を洗っている時に、翠はまた心がどこかへフラフラと行き、心ここに在らずといった風になったが、抱きしめてみると、ゆっくりと戻ってきた。抱きしめている間、俺は翠の体温が直に伝わってきた感覚に一瞬気持ち良すぎて眩暈を感じた。お前の心を戻すには、こうやって抱きしめたら良いのか・・・? それならば俺は大歓迎だ・・・
翠の肌の熱にうっかりとでも言おうか・・・一人で気分が盛り上がってしまい、つい隣に座って湯船に浸かっている翠の唇を奪い、気持ちの良い熱い口内を味わっていると、翠の体から力が抜けて俺を受け入れてくれたのかと、いったんキスを止めてその顔を眺めた。だが、顔が異常に赤く、おまけに焦点が合っていない。
「翠! 翠!」
翠はそのまま微笑を浮かべると意識を失ってしまった・・・・
俺は裸のまま、裸の翠を抱えて風呂場から出ると、急いで二階へ上がった。部屋へ入ると縛られ、口を塞がれている山城と目が合うと、翠をベッドに寝かせ、山城の口かせを解いた。
「あ、翠が、死ぬ・・・!」
言葉にしてしまって後悔した。死という言葉を口にして、体がブルっと震えた。愛しい人の命の火が消えようとしているなど、考えたくもなかった。だが、実際、翠は呼びかけても揺すっても目を覚まさない。
「いや、ちょい、落ち着けって。とりあえずこのロープも解けって」
「お前に何が出来る?」
「少なくとも、アンタよりは役に立つよ。ほれ、はよ、ロープを解けって!」
その言い草にムカついたし、信用したわけではないが、俺には病人を看病した経験がない。山城に言われた通りロープを解いてやると、山城はやけに落ち着いた様子で起き上がるり、手首を摩りながら翠の顔をのぞいて、
「湯あたりじゃないか? 顔真っ赤じゃんか。氷と水とタオル持ってこいよ、えーっと・・・その前に、アンタ、服着てこいよ」
山城に指摘されて、俺は自分が全裸だったことに気が付いた。オマケにびしょ濡れだった。しかし、そんなことはどうでもいい。
「だが、翠は・・・」
「湯あたりだから、体を冷やして目が覚めたら水を飲ますんだよ。早く言われた通りにしろって。ホントに死んじゃうぜ? 翠ちゃん」
俺は急いで山城に言われた物と服を取りに部屋を出た。
言われた通りの物と服を着替え、部屋に戻り、持ってきたものを手渡すと、山城は濡れたタオルを翠の首の後ろに当てたり、脇の下を冷やしたりと、応急処置をテキパキとやっている。その後ろで俺はひたすら翠が目を覚ますのを祈った。こんなに恐怖を覚えた事は今までなかった。恐ろしくて仕方ない。せっかく見つけた宝物が、俺の手から落ちて砕けてしまう恐怖を知った。
「ただの湯あたりだろ。顔の赤みも収まったし、もう大丈夫だろ」
「湯あたり・・・?」
なんだ? それは?
「え? あー・・・湯船に長く浸かってると倒れたりするんだよ」
「なにか持病的なものなのか?」
翠の病歴は当然だが俺は知らない。翠の自身の話をもっと聞いておくんだった・・・
「あ? そういうんじゃねーよ。湯あたりっていうのはだな・・・体の温度が上がって眩暈とか・・・俺も詳しくは知らねーや。とにかく冷やせば平気だよ」
「・・・・翠・・・」
「英語でなんていうんだ? ホットウォーターアタック?」
・・・・・なんだそれは。
それにしても・・・一緒に風呂に入った翠は俺の予想を上回るほど魅力に溢れている体を持っていた・・・と、言えたら良かったんだが、恐らくまともな食事をしていなかったのだろう。その体は哀しいぐらいに痩せていた。死ぬようなことはない程度だったが、それでも今までよく倒れなかったと思うぐらいには痩せていた。とりあえず栄養がある食事をさせれば良いだろう。食欲がないわけではなさそうだから、きっとすぐに標準に戻るはずだ。
頭は悪くはないが、キレるという程ではない借金取りの山城が、翠と俺の二人だけの世界に割り込んできて、俺の機嫌は良くはない。しかし唯一、許せるのは山城には料理の腕はまあまああるという点だ。翠と料理をするのはとても楽しい充実した時間だが、なにせ二人とも料理は未経験で時間がかかる。山城に料理を任せてしまえばいいだろう。毒でも盛られる可能性も否定できないから、山城が料理をしている間は、見学と称して見張っている。初めは山城が嫌がったが
「お前の素晴らしい料理の腕を調理から見ないともったいない」
と、その一言で山城はあっさり簡単に有頂天になり、俺の監視下で料理の腕をふるった。俺の蹴りでノックアウトしたのすら忘れていそうな様子だった。
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