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第6話―翠(アキラ)―
大丈夫と言った途端に、指を切ってしまった。切ったって程でははいが、薄皮をはいじゃったって感じだ。でも血が出てきたし、それなりに痛い。ああ~失敗した~
「翠、見せてみろ・・・」
「あ、大したことな・・・って卯一郎さあああん!!!」
切ってしまった左手の人差し指を卯一郎さんが、ぱくっと銜えた・・・!
そんなこと、親にもして貰った事がない僕は大いに慌てた。少女マンガの世界ならあるかもしれないけど、普通しないでしょ!? っていうか! 雪の女王さまこと、卯一郎さんの唇、マジで柔らかい・・・あ、いや、そうではなくて!
「な、なにをしてるんですか・・・!」
「消毒。と、言いたい所だが、ついやってしまった。絆創膏はあるのか?」
つい、でやってしまうこと!? 貴族の社会はそれが通常なの!? 貴族ってすごい・・・!
あ、いや、そうではなくて!
「あ、あります、絆創膏」
「どこだ? 取って来る」
「自分で取ってきます・・・」
「翠はジッとしていろ。出血がひどくなったら困るぞ」
「いや、そこまで深くは切ってないですから」
「いいから大人しくしていろ」
卯一郎さんは心の底から心配そうな顔でそういうと、僕に救急箱の場所を聞いて、絆創膏を取りにいった。それにしても、ホント、焦った~・・・外国では普通なんですかね? ああいうのって・・・? いま絶対顔が真っ赤だろうな・・・自分でも顔が火照ってるのがすごく分かるぐらいだもんな。
それにしても・・・あんなに綺麗な人が、僕の指を・・・指を・・・
僕は指先に感じた卯一郎さんの柔らかい唇と舌の感覚と熱がゾクリと蘇ってきて、思わず体を震わせて、また顔が火照っていくのを感じた。
「翠、絆創膏」
「あ、ありがとうございます」
「指を出せ」
「え、あ、自分で」
「早くしろ」
「・・・はい。よろしくお願いします」
「うん」
卯一郎さんはこういうふうに誰かに絆創膏なんて貼ったことがないのだろう。きごちなく慣れない手つきでそっと僕の指に絆創膏を貼ってくれて、とりあえずひと段落。
「血はもう止まってるな」
「はい。もう大丈夫です。ありがとうございます、卯一郎さん」
「だが、もう包丁を持つのは止めておけ。お前はバイオリニストなんだから」
「そんな大層なもんじゃないですし、包丁を使わないとご飯ができません」
「・・・・こういう時にグラハムがいればな・・・」
「グラハム?」
「執事だ」
「し、執事!? 執事ですか!? いるんですか!?」
「? ずっとウチで執事をしているぞ?」
「・・・す、すごい・・・」
「? 別に普通だ」
「普通は執事なんていないですが・・・」
あ、でも東京に執事カフェってあったな。聞いただけだけど。そういう執事じゃなく、貴族様の身の回りのお世話を全部やってくれる人・・・だっけ? 所詮僕の持ってる執事の知識なんておぼろげなもんだ。
「料理は俺がやろう。翠は、座って待ってろ」
「いや、それは絶対ダメです!」
「? なんでだ?」
「・・・・卯一郎さんはリサイタルをやるようなチェリストですよ?それこそ指でも切ったら大変です! 黄金の指を大事にしてください!」
「そんなに力んで言わなくても聞えるぞ」
「こればっかりは、力んで言わせて頂きますから!」
「分かった分かった。落ち付け翠」
「僕は落ち着いてます! 卯一郎さんに絶対包丁なんて危険な物を持たせませんよ?」
絆創膏を貼るのすらぎこちない卯一郎さんに包丁なんて持たせたら、もう絶対事件が起こるに違いない。絶対に阻止しなきゃ!
「翠・・・」
そういうと、卯一郎さんは困ったような笑顔で、いきなり僕をギュッと抱きしめた。
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なぜ? 急にこんな展開に?? えええ???
「翠は、おもしろいな」
「へ? おもしろい? どこがでしょう?」
「初めて翠に会った時に、明らかに面倒な顔してしたのに。家にあげてくれて、食事も恵んでくれたな。夜は同じベッドに入って・・・抱きついてきたのは可愛かった」
だ、だきつくぅ~!?
抱きついたの? 僕? お、覚えてない! そんな恥ずかしいこと身に覚えがない!
「だ、抱きついたんですか?」
「ああ」
「お、覚えてません」
「よく眠っていたようだったからな」
確かに昼まで卯一郎さんがいなくなったのも気付かずにぐっすりと眠った。でも抱きついた記憶なんてないし・・・普段は眠りが浅いのが普通なんだけど・・・疲れてたのかな?
「すみません。卯一郎さんはちゃんと寝られなかったですよね?」
「いや、しっかり睡眠は摂った」
「でも、疲れてませんか?」
「? いいや?」
「あと、そろそろ」
「ん?」
「ごはんを作りませんか?」
「ああ、そうしよう」
卯一郎さんにまた抱きしめられて、僕は恥ずかしいやら照れくさしやらで、抱きしめられ続けるには心臓が持たないから、ごはんを作ろうと言ってみる。そしてきっとまた顔が赤いだろうな・・・そう思いながら、卯一郎さんからそっと離れた。この人、なにか香水とかつけてるのかな? いつもフワリと良い香りがする。
「さて、皮を剥きますよ」
「やめておけ、翠」
「一回失敗したので、次はもっと気をつけますから、大丈夫です」
「? そういうものか?」
「はい、そういうものです」
「人参のグラッセはなくてもいいんじゃないか?」
「いいえ、僕が食べたいのでがんばります」
「・・・そうか?」
だって、人参の甘く煮たグラッセって、お肉の大事なお伴だよ? やっぱり必要だし、そんなに難しくないと思うし。昨日、卯一郎さんにはカップラーメンしかご馳走出来てないから、少しでも食事に華をと思ってる。肉だけじゃ、茶色過ぎだもんねぇ・・・
慣れない料理に四苦八苦しながら、なんとか見た目は食べられそうな物が出来上がった。手際の悪さで、もう午後の二時を回り、僕も卯一郎さんもお腹が減った。減りすぎた。こんな事だったら料理上手の母さんからもっと教わっておけば良かった・・・。
卯一郎さんがパン屋さんで買ってきた、丸い形のフカフカの白いパンを添えて、久しぶりにテーブルクロスを引いたテーブルに出来上がった松阪牛のステーキさまを並べた。うわ~美味しそう・・・素人でもこんなに美味しそうに仕上がるなんて・・・さすが松阪牛・・・人参のグラッセは・・・形は微妙だが、きっと美味しいはず。こんなちゃんとした食事はいつぶりかな? 両親が亡くなってから菓子パンとカップラーメンとかそういう食事だったから。
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