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第10話―翠(アキラ)―
「また、なにか言いたい事がありそうだな、翠」
「えええ!」
「で、なんだ?」
「何と言われても・・・」
困る。どうしていいのか分からなくなっている僕に、卯一郎さんに今の気持ちを上手く説明できるわけがない。
「翠?」
「すみません。ちょっとお時間をいただきたいです。気持ちの整理が全くつかなくて、なにを言いたいのか良く分からないんです」
「・・・・・分かった」
その後も、僕は暖炉の前に胡坐をかいて座り、卯一郎さんは僕の後方にある二人掛けのソファに腰をかけて、ただユラユラと時間が過ぎていった。
これって考えて答えがでるものなのだろうか? だって僕の力でなんとかなる問題じゃないことが多すぎる。ロッジをこれからどうするのか、学校は? そもそも、お金が全然ない中、僕のこれからの未来は一体どうなるのか・・・
ああ・・・考えると死にたくなる。死なないけど。
「翠」
「は、はい!」
「そう怯えるな。翠が俺を受け入れてくれるまでは何もしない」
「へ、へぇ・・・」
なんか今、すごい事言わなかったですか? 卯一郎さん。受け入れるとは・・・・いやいやいやいや! 僕には大人過ぎる。ごめんなさい。
「風呂に入らないか?」
「へ!?」
「もう温泉が出るはずだろう?」
「あ・・・・」
そっか、卯一郎さんがお金を振り込んでくれたんだった。いやしかし、この場合は一緒に入るってことなのか・・・? 確かにウチのロッジの売りの一つである貸切風呂は、広くて男が二人一緒に入っても全く問題ない。と、いうか家族5人ぐらいないける。で、男同士で風呂に一緒に入るのは別に変な事じゃない。そう、問題はない。それに問題なのは、広すぎる風呂の掃除がすごく面倒で仕方な・・・・
「あああ!」
「今度はなんだ?」
「風呂釜を掃除してません! ちょっと掃除してきます!」
っていうか、風呂場は殆ど掃除してないよ!
「手伝う」
「いえ、風呂場はあまり暖かくないんで、卯一郎さんはこの部屋で寛いでてください」
「確か、ここの風呂は広かったと記憶してるが?」
「えっと、まあそうですね。それがここのロッジの売りですから」
「ならば二人でやった方が早い」
「でも・・・」
貴族で雪の女王卯一郎さんにお風呂場の掃除なんてさせたくないなぁ・・・デッキブラシを持った雪の女王さま・・・絵にならないよ。シュールすぎる。変身前のシンデレラだよ。
「翠、掃除しに行くぞ」
「は・・・い・・・」
しかし、何故か卯一郎さんはやる気満々だ。うーん、でも確かに一人でやると時間がかかるし、ここはお願いしておこうか。
「それじゃ、一緒に掃除しましょう、卯一郎さん」
「ああ、で、」
「で?」
「風呂掃除とはどうやるんだ? 翠」
「やっぱそっからか~・・・」
さすが貴族の卯一郎さんです。ある意味期待を裏切らない貴族っぷり~。掃除の仕方からお教えしなければならなくなるなんて思いもしなかった。
僕たちはそのまま風呂場へと移動した。脱衣所は・・・う・・・まあるく掃除してたおかげで隅っこに埃が溜まっている。両親がいた頃にこういう掃除をすると後で必ず叱られていた。今は叱ってくれる人もいないし、使うのは自分一人だし、お湯が出なくなってからは、更に風呂場にいる滞在時間が短くなったので、掃除がおろそかになっていた。
浴室は・・・・やっぱり掃除が行き届いていない。特に風呂釜は温泉が出なくなって湯を抜いてからは、一度温泉の成分を洗い流すためにブラシ掃除をしたっきり・・・
「ふむ・・・そこそこ汚れいているようだな」
「面目ないです」
「? 別に今から掃除をするんだ。問題あるまい?」
「ポジティブですねぇ・・・」
「翠がネガティブすぎるんだ。さて、どこからどうやればいい? 指示をしてくれ」
「えっと、まずは掃除の基本。上から下へって感じで埃を取りましょうか?」
「なるほど。上から埃を取っていけばいいんだな」
「こちらの埃叩きで・・・こんな感じに」
「分かった」
「僕は風呂釜にブラシをかけてきますね」
「こちらが終わったら、浴室を掃除するぞ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
簡単な掃除を任されたって気付いちゃってたか。さすが卯一郎さんです。僕はそこそこ労働力の必要なブラシかけをし始めた。まずは、バケツに水を・・・・
「ふお~! つめたーーーー!」
「どうした!」
どうもこうも、またやってしまいました。蛇口がシャワーモードになってるのをうっかり忘れて捻ったら、冷たい水が僕の頭から降り注ぐというお風呂掃除あるある。ちなみに、僕は何度目か忘れるぐらいにこれをやってしまってる。なぜ学ばない! 自分!
「翠、タオルは・・・」
「あ、脱衣所の棚にあります」
「ああ・・・ここか」
卯一郎さんは脱衣所の棚にポンと置かれた三枚のタオルの一枚を僕に手渡してくれた。
ああ、恥ずかしい~。またもやみっともない姿を見られてしまった。すぐに水を止めたので、髪と肩を少し濡らしただけで済んだようだ。僕は頭と肩を卯一郎さんが渡してくれたタオルでガシガシと拭いた。
「翠、そんなに力を入れて拭くと傷が付くんじゃないか?」
「え? 僕はいつもこんな感じですよ?」
「そうか・・・」
「? 変ですか?」
「いや、興味深いだけだ」
「え? ガシガシ拭かないと拭いた気がしないってだけですよ」
「俺はずっと身の回りの事は執事やメイドにやらせていたので、そうやって力任せに体を拭いた事がない」
「・・・・え。あの・・・つかぬ事をお聞きしますが・・・」
「うん?」
「お風呂から上がったら、その、執事さんに体を拭いてもらってるんですか?」
「? 変か?」
「・・・・・いえ、全然、そんなことは」
「変なのか・・・」
あ、卯一郎さんの美しい眉毛が眉間に寄って来てしまった!
「いやいやいや、あー・・・庶民は自分で体を拭くんで、貴族ともなれば自分の事は人にお願いしちゃうんだなぁ~・・・と、思っただけで・・・深い意味はないので、あまりそこは考えないでください」
「ふむ・・・いや、俺は自分の事はなるべく自分でしたい。今回日本に来たのもその決意をする為に来たんだ」
「決意?」
「日本へのチケットを取るのも一苦労だったが・・・目的地まで無事に来られたぞ」
卯一郎さんは語尾に「えっへん!」と突きそうな子どもがするような得意げな顔で微笑んで・・・・その笑顔ったらヨーロッパの教会の天井画に描かれてる天使ですか? ってぐらいに愛らしくて・・・・またもや僕は見とれてしまっていた。口をポカンと開けて。
「翠、口が開いてるぞ。閉めておけ」
「んぐ。はい、すみません・・・」
「翠はときどきそうやってバカみたいな顔をするな。気をつけろ」
「は、い・・・」
久しぶり出ました、卯一郎さんの毒舌。先程の天使の様な愛らしい笑顔は夢だったのだろうか・・・
とにかく、その後は二人で風呂場の掃除に専念した。卯一郎さんはやっぱり掃除なんて今までした事がなかったらしく、道具の使い方などを僕に聞いてきたが、この人は器用でとても頭が良いのだろう。ちょっと教えただけで全てを理解して掃除を完璧にこなした。
僕なんて、子どもの頃から大学へ行くまで風呂掃除をほぼ毎日していたが、ああやってシャワーを頭から浴びたり、手抜きをしているつもりはないんだけど、どうも掃除のし漏れがあったりしたのだけれど。
「よし、こんなものか? 翠」
「もう完璧ですよ、卯一郎さん」
普段の僕がやる掃除よりもすごく綺麗になりましたよ。しかも二人でやったので、かなり時間も短縮出来た。ありがたいな~。
「これで、湯を溜めればは入れるな?」
「はい、それじゃ、栓をしてお湯を入れましょう」
風呂釜に温泉が溜まり始めて思い出した。
一緒に入るのか、入らないのか・・・・
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