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第17話―翠(アキラ)―
卯一郎さんの舌が僕の口内を確かめるようになぞっていく。その時、ひどくビリビリとした感覚と一緒に体をなにか走っていく感覚。これは・・・・・
「う、ういち、ろ・・・さ・・・ん・・・まって・・・!」
ヤバイヤバイヤバイ! 卯一郎さん、ちょっと待って!
この感覚は・・・絶対勃っちゃってる! 息も苦しい! 酸欠! ああ・・・しかも・・・なんだか・・・頭が・・・・ぼんやりと・・・・あ、なんだかキラキラしたものが見えてきた。目を閉じてるのに、キラキラ・・・綺麗だな・・・
「あ、翠!?」
卯一郎さんの唇が離れていって、僕の名を呼ぶ。ぼんやりとした視界に広がる綺麗な卯一郎さんの顔。
ああ・・・・ホントに・・・きれい・・・・。なんだかキラキラしたさっきの光が、卯一郎さんの顔にもかかって・・・綺麗な人って、本当に光が溢れて見えるんだ。僕の名前を呼ぶ声も、心地よいチェロの響きのようだ。ふわふわした感覚は、まるで雲の上にいるかのようだ。ああ、こんなに綺麗な人が・・・ずっと傍にいてくれたらいいのに・・・・
「翠! 翠!」
僕は必死に呼びかけてくる卯一郎さんの声を聞きながら、僕はそのまま心地よい気持ちで意識を手放した。
「湯あたりだよ、湯あたり。あー、英語でなんて言うんだ? ほっとうぉーたーあたっく?」
ホットウォーターアタックってなんだよ? 男の声で僕は覚醒し始めた。ゆっくりと瞼を開けると、そこに、卯一郎さんと・・・・赤毛の山城さん。二人で僕を覗いている。ん? 一体どうしたんだろう? さっきまでお風呂に入って湯船に浸かってたはずなんだけど・・・・?
「あ、翠・・・無事か・・・?」
「ういちろーさん・・・・?」
「目ぇ醒めたか。ほら、水。ガブガブ飲め」
山城さんがペットボトルに入った水を差しだした。僕は起き上がろうと体を起こすと、卯一郎さんがそっと背中に腕をまわして起き上がらせてくれた。
僕はいつの間にか、寝室のベッドの上で眠っていたんだ。差し出されたペットボトルを受け取り、水を飲むと、すごく喉が渇いていたみたいで、一気に五百ミリリットルの水を飲み干した。水を飲みながらだんだんと、理解が出来てきた。
あ~・・・やっちゃった。たぶん・・・・卯一郎さんと・・・・その・・・キスして、夢中になって・・・・で、逆上せたんだ・・・・バカ~~~! ホント恥ずかしい。
「翠、気分はどうだ?」
卯一郎さんがとても心配そうに僕の顔をみつめてくる。気分は・・・正直ちょっと吐き気がする。でも冷たい水を飲んで、水を得た魚って感じ。もう少し休んでればきっとすぐ治るだろう。
「大丈夫です。卯一郎さん。すみません・・・ご心配をおかけして・・・」
「まだ休んでいろ、翠」
「すみません。じゃあ、ちょっとだけ・・・」
「ああ、そうしろ」
「いやだね~、なんか変なオーラ二人で振りまいちゃってさ」
山城さんがイヤそーな顔をして僕たちを眺めてる。・・・・あ! っていうか!
「卯一郎さん、解いてあげたんですか?」
「すまない。翠が風呂で倒れて、急いでここまで運んだが・・・俺には病人の看病をした経験がなくて」
それはもう、心底悔しそうな卯一郎さん。痛恨の一撃でも食らったような、そんな気分なのだろうか?
「大慌てで『翠が! 目を覚まさない!』ってさ~・・・笑えたわ~」
「笑わないでください! 人が真面目にやってる事を笑うな・・・ん・・・」
「翠! 急に起き上がるな!」
「ああ~もう分かった、分かった、分かったから、翠ちゃんは大人しく寝てような? 水は? もう少し飲むか?」
「いえ、もう大丈夫です・・・」
「翠、とにかく休め・・・・」
山城さんが、卯一郎さんを笑うなんて許せなくて、僕はガバっと生きよい良く起き上がったんだけど、頭がクラクラしちゃって・・・そのまま二人に宥められてベッドに撃沈。
情けないなぁ・・・・
「じゃー、俺も温泉を味わってこよーっと」
赤毛の山城さんは、黒くて大きい旅行用のバッグから、なにやら着替えを出すと、そのままご機嫌良く鼻歌を歌いながら、部屋から出て行った。あの人、ここに泊るつもりだったの? なんで着替えとか持ってるの? 僕の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
「卯一郎さん、あの、あの人・・・」
「特に危害を加えてきそうなことはなさそうだ。今のところな・・・」
「今のところ?」
「翠、今年は大雪になりそうだぞ」
「え?」
「今、ラジオで天気予報を流していたが・・・・山城によると、この先の道路は大雪で閉鎖されているそうだ。明日も雪は降り続ける」
「・・・・・ま、マジですか」
「マジだ」
僕はまた気が遠くなるような気がした。卯一郎さんが公共料金を払ってくれるまで、僕は電気がない生活を送っていたもんで、テレビを見てなかった。ラジオを聞く習慣がなかったから、ラジオをつけて情報を得ようともしなくて、今年の冬がどうなのかとか、正直、両親がいなくなってから、どうでも良かった。世の中がどう動こうが、僕には関係ないから。そう思って過ごしていたもんだから、今年が雪の当たり年なんて知らなかった。
「あんまり屋根に雪が積もると、家がつぶれる・・・・」
「つぶれそうか?」
「今夜は・・・どうでしょうね・・・今日はもう屋根の雪下ろしは出来ませんし・・・明るくなってからやらないと危ないですし」
「・・・・そうか、屋根に雪が積もって・・・建物がつぶれる可能性があるのか・・・」
卯一郎さんはそんなことがあるなんて考えもしなかったんだろう。美しい顔にシュッと描かれた、これまた美しい整った眉毛が眉間に皺を寄せた。せっかく綺麗なのに、そんな風に皺なんて寄せたらもったいない。僕はほとんど無意識に卯一郎さんの眉間の皺に人差し指を当てて、サワサワと撫でて皺を伸ばそうとした。
「翠?」
「卯一郎さん、ダメですよ? 眉間に皺が寄っててもったいないです・・・」
「翠? 大丈夫か?」
「ええ・・・でも、少し・・・眠りたいです」
僕は睡魔に襲われ始めていた。不思議なんだけど、両親が亡くなってから、僕の睡眠時間はすごく長くなっていってた。山で薪を集めている時と、バイオリンを弾く時以外は、睡眠を貪るように摂ってた。普通は両親が亡くなったらショックで眠れない日々が続くはずなんだろうけど、僕はぜんぜん健康優良児。むしろ、眠くて眠くて仕方ない。今も、抗えられない睡魔に襲われてきた。瞳を閉じると、卯一郎さんが僕の頭を優しく撫でてくれた。その気持ちの良さとひどく泣きたくなるような安心感で、僕は猫にでもなったように、そのまま眠りに落ちていった。
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