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第19話―翠(アキラ)―
「翠、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です・・・」
トマトリゾットが思いっきり気管に入ってむせてしまった・・・。
それにしたって、一体何を言うんだよ、山城さん!
その山城さんはおもしろくなさそうに、背中を摩ってくれている卯一郎さんと僕を暖炉を背にして見ていた。
「翠、食事の続きをしろ」
「え、あ、はい」
「は~やだやだ。従順すぎるでしょ、翠ちゃん」
「は?」
僕はたぶん眉間に皺が寄ってしまっていることだろう。山城さんは相変わらずおもしろくなさそうに僕らをシラーっとした目で見ている。一体この人は何を言いたいんだ。
僕は思い切って山城さんにその質問をぶつけてみようと思ったその時だった。
ギギギギ~・・・・・
不気味な音が部屋の中に響いた。三人の間の空気が一気に凍る。
「・・・・なに? 今の音・・・」
山城さんが恐る恐るという感じで誰ともなしに訪ねてきた。
「・・・・翠、上の方で鳴った気がするな」
「・・・・そうですね・・・・ヤバいかな・・・」
「え!? ヤバいって何が!?」
「一晩持ちそうか?」
「うーん、どうでしょう・・・。こんなに雪が降ったのって僕の記憶の中では初めてで・・・たぶん、大丈夫かなぁ・・・?」
「え、なに? なんだよ? なにがヤバいんだよ!」
山城さんがギャンギャンと僕らに叫んだ。なんだかその姿がちょっとおかしい。笑ってる場合でもないけど・・・・どっちみち、この暗闇では屋根の雪下ろしは無理だし、避難しようにも・・・・あ!
「山城さん、車でココまできたんですよね?」
「あ? 途中で埋もれて、歩いて来たけど?」
「・・・・そう、ですか・・・・」
山城さんが車で来たんなら、車の中で一晩避難的に・・・という思惑は外れたな。
「え? だからさ、なに? さっきからワケがわかんねーんだけど!」
「・・・・明日まで、無事に居られますように・・・」
僕は思わず掌と掌を合わせてお祈りした。
「おいこら! なんだそれ!?」
「ギャンギャンと喚くな、煩いぞ」
「いや、だって、・・・・だから、理由を言え! このチンカス野郎!」
「? チンカス? なんだそれは?」
山城さんの下品な言葉。その意味が分からずに、卯一郎さんは意味を尋ねる。そんなの知らんでいい! なに教えてんの!? バカなの!?
「卯一郎さん! そんな言葉は知らなくていいんです!」
「・・・なるほど。知らなくて良い下劣な言葉と察したが?」
「ええ、もう、ホント、汚らしい言葉ですよ! 知らなくて良いです! 山城さんも、卯一郎さんに変な事を言わないでください!」
「翠・・・俺は気にしないぞ? 所詮下賤の戯言だ」
「・・・・卯一郎さん」
え~・・・・ちょっと山城さんに寛大すぎませんか? 卯一郎さん。
「・・・・・もうやだ、この二人・・・・」
山城さんは、額に手をやり空を仰ぐ。やだって? それはこっちのセリフなんだけど!
卯一郎さんをチ、チン・・・・呼ばわりするなんて、ホント、イヤな人だ。言葉も下品だ。
ギギギギギ~・・・・・
「おい・・・・」
空を仰いでいた山城さんがその音の出所を見つめてる。今は言葉がどうこうっていうよりも、屋根に降る積もっていく雪が心配だ。このロッジは僕が生まれる前で・・・・
築二十三年だったかな? ロッジを初めて三年後に僕が・・・ああ、いや、違うな。ロッジは建売だったのを父さんが買って、リフォームしたんだったけ? ってことは・・・。
「・・・・卯一郎さん、食べ終わったら一曲弾きません?」
「ん? そうか、今日はチェロに触ってないな」
「僕もバイオリンに触ってません。指がなまっても困るので」
「いいぞ。何を弾こうか?」
「そうですね・・・」
「おい、いま、問題から目を逸らしたろう?」
僕はジローっと山城さんを見た。だってさ、しょうがないじゃん。考えても今はどうにもならないんだから。
「山城さん。暗闇の中、屋根に登って雪下ろし、したいですか?」
「・・・・やだよ」
「なので、リサイタルです」
「ワケわかんねーよ!」
「お前はラッキーだな。翠と俺のリサイタルをタダで聴けるなんて」
「わ~! もうやだー! なんなんだよ、こいつら~!」
山城さんは赤毛の頭を抱えて床に突っ伏してしまった。
え~? そんなに頭を抱える事? 変な人だ。
僕は、とにかく目の前にあるリゾットを急いで口へ運んだ。美味しいけど、それよりも、今は早く卯一郎さんのチェロが聴きたいから。早食いは苦手だし、リゾットは熱々だから、結局、けっこう時間がかかっちゃったかな。
「卯一郎さんはなにが弾きたいですか? 僕は卯一郎さんのチェロをじっくり聴きたいな・・・」
「そうか? だが・・・わかった。俺のあと、翠のソロを披露して貰おう」
「え。そうなります?」
「いいだろう? 俺も翠のバイオリンが聴きたいし」
たかだか音大生の奏でるバイオリンなんて、ヨーロッパでリサイタルやる人の耳には退屈だと思うんだけどなぁ。でも卯一郎さんは真剣な顔で僕のバイオリンを聴きたいと言ってくれてる。本心だと思っていいんだろうか? でも、正直、恥ずかしい。自分の才能がないってことを宣言する気分だ。
「えっと、弾かないとダメですかね?」
「? なんでそんなに嫌がる?」
「いや、だって・・・ホント、俺、卯一郎さんに聴かせるほどの腕はないですよ?」
「・・・・分かってる。でも、お前の音楽を、俺は聴きたい。それは・・・技量というよりも・・・あー・・・上手く言えない」
卯一郎さんが珍しく口籠る。日本語が堪能な卯一郎さんは、自分の思いを話すのに苦労しないと思ってたから、僕はちょっと驚いた。でも、ちょっと困ったように顎に握った手てをやる卯一郎さんの仕草が、すごく可愛い。ちょっと良い物見られて得した気分だな。
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