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第22話―翠(アキラ)―
「卯一郎さん、一緒に頑張りましょう? 僕も卯一郎さんも、まだまだ伸び代がいっぱいあると思うんです」
「そうだな・・・」
卯一郎さんは僕に抱きしめられながら、肩口に顔を伏せて、くぐもった声で、でも、たぶん、カラ元気だとは思うけど、頑張ろうとする声色だ。大丈夫、大丈夫。
僕は口には出さないけど、卯一郎さんの柔らかく美しいプラチナブロンドを優しく撫でた。きっと大丈夫だよ、って、通じるかな? こういうこと、口に出すと安っぽいから。
僕は卯一郎さんの頭を撫でながら、死んでしまった両親の事を思い出した。
父さんはいつも頑張って頑張って、それでもダメなら、ちょっと休め、そう言ってったけ。頑張ってる時は体力使うから、休むのも大事だって。諦めなければ何か見つかるから、休んで体力が戻ったら、また頑張れば良いって。
両親が死んで、きっと思い残した事もたくさんあるだろう、きっと悔しいに違いない。死んでしまって、何も残せないで・・・だたそう両親の無念さばっかり考えてた。
本当にそれだけかな? 父さんは、母さんは、何も残せず逝ってしまった?
僕は・・・? 僕はこれから、なにか残せる?
「翠」
「・・・はい?」
卯一郎さんが僕の肩口で、僕を呼ぶ。
「こうしているのはとても、気持ち的には嬉しいんだが・・・」
「そうですか?」
「ああ、すごく、嬉しい。だが、そろそろ・・・俺の腰がこの態勢に耐えられそうにない」
「・・・あああ! す、すみません!」
背が高い卯一郎さんを頭ごと抱きしめてしまって、卯一郎さんの態勢は軽く腰を曲げているという、とても腰に負担がかかっている態勢だった。僕は急いで卯一郎さんを離した。卯一郎さんは、腰をうーんと伸ばして、軽くトントンと叩いた。なんだか・・・おじいちゃんみたいな、そんな仕草。それすらも、とても可愛いです卯一郎さん・・・!
ホントに可愛い・・・!
「で、リサイタルはどうすんの?」
「どうしましょうね・・・」
「そうだな・・・」
なんとなく、弾きたいという思いが沸いてこない。重い話をした後だからだろうか?
「よし、じゃあ、俺が一曲歌います」
「え!?」
「よし、歌え」
「俺の歌を聴けー」
元気よく、山城さんがいうと、ピアノ椅子に正しく座りなおし、そしてピアノの蓋を開けた。え? ピアノが弾けるの? そう疑問に思ったとき、山城さんの男らしいゴツイ手が、鍵盤を叩いた。しかも歌付き。ジャズ? 知らない曲だけど、山城さんの歌声とピアノが部屋に響いた。けして、プロの腕前ではない。でも楽しそうに演奏し歌っている。音楽を楽しんでる。そんな山城さんが僕は新鮮だし、想像もしなかった姿。山城さんは借金取りの怖いお兄さんってしか思ってなかったから、すごく意外だ。
「はい、どうだー」
「す、すごい! 山城さん! ブラボーです!」
「よし、次、歌え」
「おい、まずは俺を褒め称えろよ」
「褒め称えるほどの腕前ではない。だが、楽しそうでいいぞ。この屋鳴りを打ち消すにはちょうどいい」
「・・・・屋鳴りの打ち消し替わりかよ!」
「山城さん、もう一曲聴きたいです。途切れると屋根が気になってしまいます」
「ホントにお前ら失礼だな!」
確かに山城さんの腕前はゼミプロにも満たない腕前だった。でも、音楽って人々に平等なんだよ。山城さんは楽しそうにポップスやらジャズやら、好きな曲を歌付きで演奏してる。この人は、見た目や着いている職業とは全く違って、音楽が大好きなんだ。僕らみたいにクラシック音楽じゃないかもしれないけど、すごく、楽しそうに演奏しているその姿に、僕は思わず感嘆の溜息を吐いた。
「・・・・なんだかムカつくな・・・」
「え? 卯一郎さん? なにか言いました?」
「いや、別に」
「リクエストあるなら弾いちゃうぜ~」
山城さんは、ノリノリで僕らにリクエストを要求した。どんな曲なら弾けるのかな?
ポップスとかジャズは、僕はあんまり知らないんだけど・・・
「パガニーニによる大練習曲第3番『ラ・カンパネラ』」
「え?」
「え?」
卯一郎さんがパガニーニをリクエストしたけど・・・したけどさ~・・・
「そんなアホみたいに難しい曲弾けるか! ボケ!」
ですよねぇ・・・って山城さん、パガニーニとか聴くんだ。意外。
「なら、リストの超絶技巧練習曲 第四番『マゼッパ』」
どんな曲だろ? リストはもちろん知ってるけど、曲名だけだとよくわかんないや・・・
は!? 卯一郎さんってピアノも弾けるのかな? すごーい! さすが卯一郎さんだよ。
「お前・・・分かってて言ってんだろ・・・」
「別に」
「リストってやっぱり難しいんでしょうね」
「・・・・翠ちゃん、バイオリン以外は聴かないの? リストの『マゼッパ』弾けたらカッコいいけど、指が攣る」
「弾いた事があるのか? 意外だな」
確かに! 意外!
「弾いたっていうか、楽譜見て、ちょっとやっただけだな~・・・楽譜読むのもヤダもんなあ・・・」
確かにそうかも・・・『超絶技巧』って結局ピアノもバイオリンも音符が恐ろしい数で五線譜を埋め尽くしてる。楽譜を読むのも一苦労だ。しかも・・・僕もああいう曲は指が攣 りそうになる。一年の時に、パガニーニを練習してて腱鞘炎になりかけて、先生に注意を受けたこともあるぐらいだ。ピアノは副科で取ったけど、そういう難しいのはもちろんやらないし、できないし。
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