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第24話 卯一郎(ういちろう)
気が付いたら日本へのチケットを手にしていた。手にしていた、という物理的な物は手にしてはいないが。今はスマートフォン一つあればペーパーレスで、気ままに行きたい場所へとだいたい行ける。
しかし、当然、気ままにどこかへ行くには暇も金も必要となるが、今の俺には両方備わっている。金は元から困らない生活を両親から受けて、成人した今もパトロンという立場で毎月まとまった額を遠慮なく頂いている。それプラス、生前贈与という形で、株式や土地建物を受け取り、そこからの収入もかなりの額がある。
そして、幼少のころからずっと一緒にいたグラハム。彼はいつの間にか、俺の友人から執事へと変わっていた。変わっていた、というより、元よりそうした風にあてがわれた友人だっただけなのだ。別にそれならそれで構わない。今まで通り、便利に使わせてもらっているのだから、それも贈与されたモノの一つだと考えている。
たしなみ、という名目で習った楽器は、初めはヴァイオリン、次はピアノ、そして、運命の出会いとなったチェロ。チェロの音色を自ら奏でたその瞬間から俺は、チェロの虜になった。運命を感じたその時から、俺は暇さえあればチェロを弾く、そんな子供だった。
音楽院へ進むと決めた時、反対は殆どされず、俺はすんなりと音楽院へ入学を果たした。住んでいたところから移った音楽の都ウィーンでの暮らしは今までとは違い、刺激的で素晴らしいものだった。友人にも恋人にも恵まれた。そして俺の周りには常に取り巻きがいて、それが普通だった。
『卯一郎さまは、見目も麗しく、その上、音楽の才能もお持ちであって、神に愛された存在でありますね』
周りがそうやって俺を持て囃す。だがそれが当然のように生きてきた。
しかしある日、そうやって俺を持て囃して周りにいる連中がいる中の小さなリサイタルでショックな出来事があったのだ。
俺の顔を見にウィーンへやってきた敬愛なる祖母が溜息交じりに、憐れむ様に言った言葉を俺は一生忘れることはできないだろう。音楽に関して深い造詣を持っていて、さらに忙しくほとんど家にいない両親よりも大好きだった祖母の一言は、俺の今までの音楽家人生に深い楔を打った。祖母はその鋭い観察眼で、俺の心の奥底に隠れ潜んでいた部分を適格に当てたのだ。自分の心に潜むものに気付かないフリをしてきた俺にとって、それを良い当てられてしまった事は人生で最大の屈辱で、いくら敬愛してやまない祖母であっても許せずに、祖母に対して自分でも信じられない言葉の刃を突き付けた。そしてその真実から俺は逃げるように日本へと来た。
そうして卑怯にも逃げたミューズからの天罰なのか、
大好きだった祖母の訃報を聞いたのは、日本へ降り立った一週間後だった。
知らせを聞いた俺は、急いでオーストリアへ戻った。
そして、その足で教会へと向かい、やっと祖母と再会を果たしたが、棺には紙のように白い顔の祖母が眠っているように横たわっていた。周りに両親と兄弟が揃っていたが、誰も口を開く事はなかったが、俺を見る目は非難に満ちたものだった。俺が祖母に言われた言葉に対して、俺が祖母へ投げ返した憎しみの言葉を、みな、グラハムからにでも聞いたのだろう。俺は、その視線と罪悪感に耐えられず、またオーストリアから逃げ出した。
『おばあ様、どうか、愚かな俺を許してください・・・・ごめんなさい、おばあ様』
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「生きてる? ちょっと! もしもーし!」
うるさい。俺は疲れた。もう眠りたい。揺らさないでくれ。もう全てがイヤだ。
だが、先ほどよりも俺の体を揺さぶる力は強くなり、俺の意識もだんだんと浮上してきた。意識がハッキリとしてくると、猛烈な寒さが俺の体を包んだ。あまりの寒さに、さすがに飛び起き、一番近くにあった温かいものに抱きついた。
「ちょ、ちょっと! あの! 落ち着いてください! 離れてください!」
抱きついたモノが、小さい生き物で、そして人間だと気が付いたが、その温かさにしばらく離れられなかった。しかも、この人間は良い匂いがして、大層抱き心地が良かった。だが、少しうるさいな。そう思ったら、力が緩んだのか、その小さな人間に押し返されてしまった。
距離ができると、その小さい人間は男で、たぶん男だ。声が高めのテノールだ。だが、その顔はまるで、日本のおとぎ話に出てきた美しい雪女のように、白い肌に漆黒の黒い髪。そのコントラストに目を奪われた。しばらくすると、人間だと思えるその頬は赤く染まっていた。今時の日本人の若者らしく髪を染めずに、しかし隠せないその美貌がおとぎ話の主人公と思わせる一つの要因だと考えられた。
「・・・・キミは人間か?」
思わずついて出てしまった言葉に、日本人が小首を傾げて眉に皺を寄せた。確かにおかしな質問だ。
「何言ってんですか? あ、雪山症候群とか?」
「??」
「あれって、素っ裸になって死ぬんだっけ・・・?」
「???」
変な奴。なにを一人でブツブツとワケの分からない日本語を言っている? 俺には理解できなかった日本語に、少々腹が立つ。
「まあ、いいや。それで、こんなところで一体何をしてたんですか?」
・・・・ま、いいや? なら考え込むな。俺は寒い。
「・・・キミは・・・ロッジマエストロを知っているか?」
「・・・知ってますけど」
「それは良かった! さっそく案内してくれ」
「・・・・なんか」
? なんだ? なんか、なんだと言うんだ?
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