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第25話 卯一郎
言いたい事があるなら言え。顔にしっかり出てるぞ。分かりやすいヤツだ。
「いえ、別に。ロッジマエストロはウチですが、今はお客さんをお迎えしてません。来て頂いてもなんのおもてなしも出来ないので、このままお帰りくださるとありがたいんですけど・・・」
ロッジマエストロの・・・あの子供か。男だったのか。ずっと女の子だと勘違いをしていた。・・・・ん?
「・・・・は? 今から帰れと? どうみても帰れるわけがなかろうが」
「ですよね~・・・でも、ホントになんにも無いから・・・まいったな・・・」
頭を掻きながら困ったなと、つぶやかれても、もう夕暮れでこの積雪で来た山道を帰れと言うのか? 俺は寒さにすっかり悴 んでしまった体を摩りながら、さらに腹が立っていた。日本人は優しい人種だと言われているぞ。だいたい日本人でなくても、この雪の中に凍えそうな人間を置いて行くなんてありえんだろ。なにをバカみたいに考える必要がある?
「とにかく! 俺は寒い! 屋根のある暖かい場所へ連れて行くのが今の貴様の使命だ」
「なんでそんなに偉そうなんですかねぇ・・・」
「ん? なにか言ったか?」
聞き返したが、しっかり聞えている。偉そうで悪かったな。今のはお前がモタモタしていて腹が立ったんだ。それに文句があるなら言えばいいだろう? 俺とお前は対等なのだから。
「いえ、別に。じゃあ、なんにもない我が家へどうぞ。こちらです」
お前は自分では顔に出てないつもりみたいだが、しっかりと顔に『面倒なのを拾ってしまった』と書いてあるぞ。そう思うなら、はっきり言えばいい。ウィーンにいた頃に散々俺を持ち上げてきた連中と同じか、お前も。そうやって表では良い顔をして、腹の底では俺を面倒がって・・・・
しばらく俺と、その日本人はロッジマエストロを目指して沈黙したまま歩いた。名前を聞いた方が良かったか? 以前宿泊した時にも聞いた気がしたんだが・・・思い出せん。
だが俺は昔の記憶をたどり、ロッジマエストロへ祖母と来たあの、懐かしい日々の記憶を少しずつ取り戻していった。
そしてあの時、ロッジの夫婦の後ろに隠れるようにいた女の子の姿を思い出した。ひまわり色の少し大きなセーターと、ダークブルーのコーデュロイのパンツをはいた・・・・瞳の大きな色の白い子。名前を・・・名乗ってない。俺達の顔を見るなり、頭を下げはしたものの、勢いよく逃げていったんだ。
「あ、お名前は?」
「・・・・人に名を聞く前に、自分から名乗るものだ」
あの時、俺は名乗ったはずだぞ。お前は名乗らなかったじゃないか。面倒な顔をするな。バカ者。
「北里 翠です。よろしく。 で?」
「・・・・卯一郎(ういちろう)・フランツ・エーテルシュタイン」
・・・・俺の名前を覚えてないのか。まあ、それはずいぶん時が経ったから良しとしてやろう。・・・翠か。ああ、そうだ、確かに脱兎のごとく逃げ出した子に、母親がそう呼んで咎めていた。
「・・・長いお名前ですね」
? そうか? 日本人からしたら長い名前か?
「卯一郎でいい」
その後、翠はご丁寧に「さん」付けで俺を呼ぶ。こいつは人との距離感というものが元々遠いのだろう。愛想はいいが、心の中では相手と自分に壁を何枚も立てて、その隙間から相手を窺う。未だに両親の後ろに隠れて過ごしているんじゃないだろうな、お前は。
俺はそういう裏表のある輩に散々・・・いや、乗せられ煽てられ調子に乗ったのは俺が悪い。俺はそういうことも見抜けず悦に入っていた愚か者だ。
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「気に入らん」
「へ?」
「その顔、気に入らん」
「・・・え~・・・」
オーストリア出身だと言うと、そのことを羨む様な翠の視線。そして良い所だと言うが、行った事がないのにどうしてそんな事が分かるのかと、俺は少し意地悪な質問だと思いながらも翠に聞いた。だが翠は、そんな俺の挑発に心底腹を立てている顔をしながらも、また言葉を飲み込む。なぜ? そうやって俺に話をしてくるヤツは本心を隠そうとするんだ?
「・・・すみませんね・・・」
謝ってどうする? そもそもそんな気持ちもないのに。
「・・・だから、そういうのが、気に入らない」
「? は? どういうところですか?」
さすがに翠の言葉尻に棘が出てきたが、本当にこいつ、良く分かっていないのか? 俺はそうやって言いたい事を言わない関係がイヤなんだ。そんな・・・主従関係のような・・・
「言いたい事があるなら、言えばいい」
「ん~・・・でもなぁ・・・」
「なんだ?」
「口は災いのもと、とも言いますし。怒られるのイヤですし」
「わかった。怒らないから、言ってみろ」
「ホントに怒りません?」
「くどいぞ」
「じゃあ・・・なんでそんなに偉そうなんですか?」
え、偉そう? 俺が? そうか? そう、かもしれん。と、いうか・・・・
「・・・・・散々もったいぶってそれか・・・」
「お、怒らないって言ったじゃないですか・・・!」
「怒ってないだろう? ほれ、この笑顔」
「こ、こわい・・・!」
怖いとはなんだ。俺が意識して微笑みかけるなんてそんなない事なんだぞ。
だが、怖いと言った翠はゲラゲラと大笑いを始めた。その笑顔は・・・凍りついていた俺の心を温める太陽のような笑顔だった。そして、思った。翠も言葉足らずだが、それに苛ついていたこの俺こそが言葉足らずだった。言葉足らずな俺はさぞかし面倒な存在だろう。俺はそうやって人に察して貰うのが当然だと生きてきた。それが「偉そう」な態度だと翠は感じていたんだ。なるほど・・・そうか・・・しかし、少し笑いすぎじゃないのか? そんなに面白い顔だったのか? 俺の笑顔は面白いのか? そんなはずはない。翠が変なんだ。
「変な奴だ」
今までどことなく憂いた表情の翠は、笑顔全開で腹を押さえて笑い転げていた。
その裏表のない翠の笑顔に、俺も自然と口元が緩み笑いが込み上げてくる。こんな風に穏やかな凪いだ心は久しぶりだった。
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