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第5話 ゆいちゃんは可愛いけど?
その日の昼頃、俺がソワソワして待っていると、暖簾が動いて男の人が入って来た。
御剣さんである。
今日はいつもと違う。俺を真っ直ぐに見て、券も買わずに俺の方に真っ直ぐに向かって来る。
(あわわ……)
やべっ緊張する。
俺は慌てて自分の財布から御剣さんの免許証を取り出した。
「すいません、電話で連絡した者ですけど……」
「はっはい、こちらですね」
俺が受付のカウンターに免許証を差し向いに置くと、御剣さんはホッとしたようだった。
「ありがとうございました。……あの、何かにサインとか」
俺は慌てて落し物帳を取り出す。
「えーと……じゃあこちらにサイン頂いてもいいですか。あと、今日の日付とご連絡先も」
「はい」
御剣剣、と彼はノートに名前を書いた。やっぱりそれが名前なんだ。
「あの……」
「はいっ?」
急に呼ばれて俺はドキッとした。な、何か変なオーラでも出してただろうか?
舐めるように御剣さんのこと見てたかなぁ?
俺がビクビクしてると、御剣さんは言った。
「えーと……貴重品だからあなたが個人的に預かっていてくれたってことですよね?」
「ゆ、昨夜見つけたのも俺だったので……そのまま」
「どうもありがとうございました」
御剣さんは丁寧に言った後で深々と頭を下げた。俺に微笑んでいる気さえする。
貴重品を拾ったお礼のサービスだからでもいい。俺は初めて見る彼の笑顔と感情のこもった声に胸がときめいてしまった。
「いえ。じょ、常連さんだから、当然のことですよ」
俺は精一杯の接客トークをする。常連さんというのは、よく来てくれること知ってるってアピールだよ。
そしたら……
「あ……覚えててもらってます?」
今度ははっきりとニコッと笑ったから、俺はそのまま腰が砕けそうになってしまった。
き、気を取り直して。こんなチャンスは二度とないんだから。
「今日は入ってかないですよね?」
「ええ、これをもらうだけのつもりでした」
「今日はどうやって来たんですか」
「今日はバスで……」
それを聞き、俺は手元のバスの時間割を見た。
バスよ、出来たらしばらく来ないで欲しい。俺の罰当たりな願いを天は叶えた。
「バスはさっき行っちゃったばかりで一時間くらい待つしかないですね!」
「そうですか」
「せ、折角だからお話でもして待ちませんか? 今牛乳お持ちしますから!」
この時の俺の勇気を褒めてあげたい。俺は風呂の傍のベンチで、二人で話をすることに成功した!
ちなみに受付はゆいちゃんに代わってもらった。ありがとうゆいちゃん!!
滅多にこんなことがない俺に、ゆいちゃんはやっぱり首を傾げている。
「編集者……?」
「そう、今回はここら辺の温泉を特集する記事を書いてます。だから何泊かしてホテルで記事を書いてるんだけど……あまりにいいところだから、有休をくっつけて夏休みにしてます」
だからしばらく滞在してるのか。それにしてもうちに毎日来る理由は?
俺の不思議そうな顔を察したのか、御剣さんは俺に答えた。
「ここはいつも仕事の最後に来ることにしてるんだ。空いてるし……あ、ゴメンなさい!!」
「いいですよ別に」
俺は笑って言う。空いているのは本当のことだ。御剣さんはフォローのつもりか、焦ったように続ける。
「健康ランドみたいな大きな温泉だと混んでて落ち着かなくって……入って疲れてたんじゃしょうがないじゃない?」
「御剣さん、俺本当に気にしてないです。お金払って毎日来てくれてるんだから、本当にそう思ってるんだなって信じます」
「えー……ありがとう」
それから……御剣さんはポリポリと頭を掻いて何やら言い淀んでいる。
何? イケメンの編集者が、何を牛乳持ちながら困ってるんだろう?
俺が返事を待っていると、御剣さんは迷った後で俺をチラと見て言った。
「それから、いつもいる番頭の子が可愛いじゃん?」
「え?」
俺は御剣さんの言ってる意味が本当にわからなかった。
「それってゆいちゃんのこと?」
ゆいちゃん、そんなに番頭に座ってたかなあ。めったに座ってないけどなあ。なんて咄嗟に考えていた。
するとまた見当違いなことを御剣さんは言う。
「君、名前ゆいちゃんって言うの?」
「ええ? 違いますよ、俺の名は湯人……」
俺は答えながら頬がみるみる熱くなった。
可愛いって御剣さんが言ったのって、まさかまさか……。
それに気が付いたらしく、御剣さんはもう一度言った。
「うん、湯人くん、可愛いじゃん……?」
牛乳瓶に付ける尖らせた唇が色っぽくて素敵。
薄く白く濡れて……。
「か、か、可愛いって……俺男だし!」
「ご、ごめん!」
御剣さんは途端に頭を下げた。気の利いた答えも返せず、俺は御剣さんに怒るように返してしまった。
……俺は、営業トークも恋愛トークもまだまだだ。俺はがっくりと肩を落とす。
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