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増殖 10
宙に跳ねたグールが俺へ弾丸みたいに飛んでくる。
あの俺が見惚れた美しい顔などどこにもなかった。
有り得ないほどに開かれた口の中が鮮やかなまでに赤く、そして尖った牙は真っ白で、それらだけは美しいと言えなくもなかった。
凄まじい憎しみと、殺意と・・・そして、おぞましいほどの餓えがそこにあった。
俺はグールには食い物なのだ。
それがわかった瞬間、俺はゾクリとした何かが身体を駆け抜けるのを感じた。
その感覚は少し、あの人に犯される感覚に似ていて、あれ?っと思った。
喰われる、感じ。
そこに恐怖と快楽と、愛が入ればあの人にされるセックスになる。
でも、そんなこと考えてる暇はないことを思い出す。
でも、身体の左半分はまだ動かない。
仕方ない。
俺は動ける右手と右足だけで、跳ね上がった。
使える筋肉だけで、床から跳ね上がり、飛んでくるグールの顔面を蹴り上げ、身体を回転させ、着地する。
俺が身体を動かすには、片側だけの筋肉があれば十分だ。
もっとも、これは有り得ないことらしい。
バランスが取れないからだ。
例えば、グールが両腕を失って生えてくるまで俺を攻撃してこなかった理由の一つには、腕を再生するのに痛みがあるってことが一番だっただろうけど腕を失った身体では上手く動けないというのもあったと思う。
人間の身体は絶妙なバランスで出来ている。
身体の一部を失えば、前と同じようには動けない。
機能を失うという意味ではなく、だ。
片方の羽根の長さが違えば、鳥がもう空を飛べないように。
だけど俺は出来る。
俺は駆け、跳べる。
スーツは俺のバランス感覚は人間ではないと言った。
俺はどれだけ身体の部品を失おうと、腕一本だけ、脚一本だけになっても戦うことができる。
俺はあの人が望む限り戦うからだ。
そんなの理由にならないとスーツは言うけどそうなのだから仕方ない。
俺に蹴られ、グールは地面にたたきつけられたが、すぐに起き上がった。
だが反撃してこない。
警戒するように俺を見ている。
そうだ、おかしいよな。
そう思うのは当然。
警戒して当然。
頭がはじけてもなかなか死なない人間は世界のどこかにいるかもしれない。
でも、頭の破片が蠢きながら戻ってきて、動きながらくっついて、おまけに片手片足だけしか動かせないのに攻撃してくる【人間】なんていない。
「そうだ、俺は人間じゃない」
俺はグールに言ってやった。
時間を稼ぐために。
「俺は死なない。お前達とは違って、脳を壊されても死なない」
俺は言う。
まあ、首を切り落とされたら死ぬことは別に言わなくていいので言わない。
グールが唸った。
ジリリと後ろへ下がる。
用心しているのだ。
そのタイミングで俺は片足で跳ねた。
グールを攻撃するためじゃない。
床に転がる山刀の近くに、だ。
そして動く右腕で、床に落ちてる山刀を素早く拾った。
山刀をつかむ
だけど、グールは慌てた様子はない。
・・・この山刀で両腕を切り落とされたのに?
まだ、何かあるのか?
俺も用心することにする。
にしても、どうも、なかなか脳の回復には時間がかかるらしい。
俺の再生力はかなりトロイのだ。
いつまでたっても、身体の左側は全く動く気配がない。
これでは・・・。
グールを殺すのには問題ない、だけど生きて捕まえるにはちょっと、ハンデになる。
重い鉛をくくりつけているのと同じだからだ。
でもあの人は「グールを生きて捕まえろ」と言った。
そして、俺は「死んではいけない」とも言われている。
なら、今俺に出来る最大限のことは・・・。
俺は山刀を思い切り振り切った。
二回。
吹き出す血。
床に【ソレ】が転がる音。
ゴン
ゴン
それが二回続いた。
グールの目が大きく見開かれた。
驚いているのだ。
なぜなら、俺は迷わず【俺の】左腕と脚を付け根から切り落としたからだ。
俺にしてみれは当然のことだ。
役に立たない部分を切り捨てただけだ。
その分身体は軽くなった。
「さあ、仕切り直しだ」
俺はグールに向かって言った
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