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『君に逢いたくて』③

「——とにかく……。 こんな企画、私は反対よ。 だから突っぱねてやりたいところなんだけど、夏姫の事務所はウチより大手だから、社長もノリノリでさ……。 向こうの事務所には『如月奏本人がやると言ったらお受けします』ってことで、一旦返事を待ってもらってるんだけどね」 「なるほど……」 響はようやく声を発すると、 「奏さん次第なんですね」 と返した。 「どうせそーちゃん、こんな仕事は受けないはずよ。女嫌いだし。 でも一応本人には話を通さないといけないからさあ……。 ——あ、そうだ!サツキくんから話してくれない?!」 「俺ですか!?」 突然役割を振られ、響が動揺を見せると 「そうだわ、それがいいわ」 と早苗はうんうん頷いた。 「私から話すと、今みたいにさ、どうしても私の主観で言っちゃいそうなのよね。 でもマネージャーとしては、本人の意思を尊重してあげなきゃっていう節度を忘れてはならないとも思ってるしで葛藤してるの。 だからサツキくんのほうが主観を話さず仕事の説明をできるんじゃないかって」 早苗は重ねて「ね、お願い」と両手を合わせて言った。 「……分かりました。 奏さんが起きたら、話をしてみます……」 ——響に役目を渡した早苗は、ほっとしたように帰って行った。 それから暫く寝室から出てこなかった奏だが、夕飯時になると、響の作るカレーの匂いにつられたのか下に降りてきた。 「奏さん。具合はもう大丈夫ですか?」 「うん。寝たら良くなった」 二人でカレーを食べながら、早速響は早苗に託された話を振ってみた。 概要を説明し、奏がモデルとして誌面に載ること、タレントの夏姫とカップルという設定で撮影をすることを話し終えると その間にもカレーを食べ続け、完食した奏がスプーンを置いた。 「話は、分かった」 「で、どうします?作曲の依頼じゃないですけど……この仕事、受けます?」 加納さん的には、受けて欲しくなさそうだったけど…… それを伝えると加納さんの主観を奏さんに押し付けてしまうから、言っちゃ駄目だよな。 「——サツキ、どう思う?」 「え?」 「俺、この仕事受けた方がいいと思う?」 「……なんで俺に聞くんですか?」 「前も話したけど、俺には他人の感覚が分からない。 作曲じゃない仕事を、俺が受けるのは良いことなのかどうか、よく分からないからサツキの考えを知りたい」 「……そうですねえ……」 加納さんには悪いけれど…… 「——俺は、受けた方が良い気がします。 モデルをすることで、仕事の裾野が広がれば それだけ業界人の目に留まる機会も増える訳ですから、 結果的に企業のCMタイアップとか新しい作曲の依頼にも繋がるかもしれません。 それに『アネモネ』を読んでいる層は女子中高生なので、特に流行に敏感な世代です。 彼女達が奏さんの存在を口コミやネット投稿で世間に広げることで、奏さんがもっと有名になれば 仕事の契約の単価も上がっていくと思いますし……。 それから、夏姫さんとはあくまで彼氏彼女を『演じる』だけで、 実際に交際をする訳ではないですし、それは読者側も設定であることを理解しているので 奏さんのイメージを損ねるようなものでもないと思うんです。 ——それらを鑑みれば、受けた方がメリットは大きいように思うのが俺の考えです」 俺は如月奏の音楽はよく知っているけれど、メディアミックスに関してはあまり詳しくは知らない。 あくまでも作曲家としての如月奏のファンだったから、 誌面にインタビューが掲載されたとか、テレビ出演しただとか、そういう情報には疎かった。 けれど、元の時代での奏さんの知名度や活躍を思うと こういう仕事も積極的に受けていたんじゃないかな、と想像する。 実際のところを俺は知らないけれど、ただなんとなく、俺が『この時代』に干渉するようなことはなるべくあってはいけない気がしている。 だから俺の言動が、未来の奏さんに影響を与えてしまいかねないことは避けたい。 それを考えると、今回の問いに対しては 『なるべくどんな仕事も受けるべき』 と返すのが正解な気がする。 ……それに、俺にとっては、奏さんが夏姫さんとのコラボ企画を受けるかどうかは、正直そこまでこだわりがない。 早苗さんは頑なに嫌がっていたけれど、俺は抵抗する気持ちが特にないから 本音をありのままに言えば『どっちでもいい』になる—— 「そう。なら、受ける」 響のアドバイスを聞いた奏が、そう口にした。 梅雨が明けた頃、都内某所—— 「じゃあ、見つめ合いながらコーヒーを飲むカット、お願いします!」 ファッション誌『アネモネ』の関係者から指示が飛び、夏姫は笑みを見せながらコーヒーカップの縁に唇を当てた。 だが奏の方は、コーヒーの中身を凝視したままひと言。 「俺、ブラックコーヒーはあんまり好きじゃない」 「あはは!奏くん面白い!」 向かい合って座っている夏姫が笑った。 「こーゆうのはね、ホントに飲まなくったっていいんだよ」 「そうなの?」 「そうだよ。ホラ、ナッピも飲んでないでしょ?」 ナッピこと夏姫に促され、奏はカップの縁に唇を当てた。 「OK!今の、お互い表情もほぐれてて、良い感じでしたよー!」 雑誌関係者がそう言って二人を褒めた。 「なんかこうして見ると、二人ってほんとお似合いですね。 本物のカップルみたい!」 雑誌関係者が言った直後、遠くでボキボキと指の関節を鳴らす音が響いた。 「加納さん、落ち着いて——」 「うるさい、裏切り者!」 明らかな殺意を見せている早苗と、それをなだめる響。 「裏切り者って……。 俺はただ、客観的な意見を奏さんに述べただけですよ。 それで奏さんがこの仕事を受けると言ったんです。 俺から話をしてと押し付けてきたのに、俺のせいにされても困ります」 「はぁー?普通、そういうのって空気読むでしょ? 私が受けて欲しくないって言ってたんだから、アナタもそれに合わせてネガティブキャンペーンをするものでしょ?」 「加納さん……。 ここには夏姫さんの事務所の人も来ているんですよね? もう少し苛立ちを抑えられませんか? 『私が撮影現場で暴走しないように見張ってて』って加納さんに頼まれたから俺も助手ってことで着いてきたのに——」 「……はあぁ」 早苗は大きく深呼吸をすると、 「そうよ……。平常心、平常心」 と自分に言い聞かせた。 「それじゃ次のカットは—— 『ナッピちゃんがうっかり顔にケーキのホイップを付けちゃって、それに気づいた奏クンが優しく拭ってあげる』という設定で撮ります。 ケーキの用意、お願いしますー!」 雑誌関係者の指示で、カフェテーブルの上にケーキが二つ置かれていく。 「ぬぁーにが、うっかりだよ!」 「加納さん!!」 新しく小道具が準備されていく間にも、早苗はキレまくり、響が必死になだめた。 「……ショートケーキか」 テーブルに、苺の乗ったショートケーキが置かれると、奏はがっかりしたような表情を浮かべた。 「苺、嫌いなんだよね。 トマトと同じで酸っぱいから」 奏が響の料理に難癖をつける時と同様に文句を言ったため、 響がハラハラした気持ちで奏を見守っていると、 雑誌関係者が苦笑いを浮かべながら言った。 「ごめんなさいねえ。 今撮影してるこのカフェ、ショートケーキが売りのお店でね。 お店からも撮影に協力する代わりに人気商品の紹介をするよう頼まれているから、 ケーキの替えは効かないのよ。 でも、もちろん食べるフリだけでいいから」 すると奏は、仕方ないとばかりに頷いた後、ぽつりと付け足した。 「……オペラが食べたかったな」 「オペラって何?」 すると、その発言を聞いた夏姫が尋ねた。 「オペラは……チョコレートとコーヒーの味がついてるケーキ」 奏が答えると、夏姫は再びきゃっきゃと笑った。 「ええっ!?さっき奏くん、コーヒーはイヤって言ってたのに?」 「コーヒーとチョコの組み合わせは好きだから」 「へえー。面白い!ところでオペラって、何でオペラって名前なの?」 「……確か、オペラ座が由来だった気がする」 「そーなんだ!奏くんって物知りだね!凄い!!」 「カマトトぶりやがって……」 早苗が響にしか聞こえない声でぼやいた。 「ケーキのオペラと言ったら、フランスパリに実在する歌劇場、オペラ座ガルニエ宮が由来になってるに決まってるじゃない! そんな常識も知らないフリして『物知りだね』じゃないわよ!」 「いや、俺もその由来については今初めて知りました」 響は苦笑いを浮かべた。 それにしても—— 雑誌の撮影現場ってこんな感じなんだなあ。 大掛かりな機材をたくさん持ち込んで、二人の人間を撮影するために十何人もの人が携わっていて。 雑誌に載るのなんてせいぜい数カットだろうに、何枚もシャッターを切られ続けている。 奏さんの顔にも、だんだん疲れが浮かんできたように見えるけど、大丈夫かな…… 響が密かに奏のことを心配していると、 それから間も無く、無事カフェでの撮影が終了した。 だが、撮影はこれで終わりではなかった。 「それじゃ次、街歩きデートの撮影に入ります! 皆さん移動開始してくださーい」 夏姫は新しい場所での撮影のため、服を着替えてメイクのテイストも変えるということでスタッフ達とその場を去って行った。 その後も奏が一人、ぐったりと頭をもたげたまま椅子に座っていると、早苗と響が近付いて行った。 「お疲れ様。もうすっかり疲れたんじゃない?」 「あ……マネージャー」 奏は顔を上げ、こくりと頷いた。 「照明が眩しくて、目が疲れた。 コーヒーはブラックで、ケーキも苺のやつだったから食べれなかったし」 「ええ、ええ。辛かったわよね。 モデルの撮影って、こういう辛いことの連続なのよ。 だからこんな仕事はこれきりにしましょーね!」 「ちょっと、加納さん……!」 響が諌めようとすると、奏が視線を響に移した。 「サツキ。今の撮影、どうだった?」 「え?」 「客観的な感想、教えて」 「えーっと……。 雑誌関係者の方も言ってましたけど、美男美女って感じで二人の雰囲気が自然に馴染んでましたよ」 「そっか」 「馴染んでたかしらァ? そーちゃんはそのままでもイケメンだけど、夏姫は厚化粧しまくってあの仕上がりじゃない? 化粧してあのレベルなら、すっぴんはそんなに可愛くないと思うなァ? なんなら私の方がナチュラル美人だと思うんだけどっ!」 早苗が毒づくと、奏は真顔のままこう言った。 「確かに、マネージャーは美人だと思う」 「エッ!?あら、ほんとぉ?」 「それから、夏姫も可愛いと思う」 「……ハァー!?」 「加納さん、抑えて……!!」 響は、奏にまで殴り掛かりそうな勢いの早苗を必死に止めた。 「加納さんも夏姫さんもお綺麗ってことで、奏さんのは誰も傷つかないベストな回答じゃないですか」 「そぉ!?私傷ついてるけど? アレと私同じレベルって思われてるみたいだけど?」 「とりあえず、俺たちもそろそろお店を出ましょう。 スタッフさん達、皆次の撮影に向けて移動始めてますから」 「ま……そーね。 こんな撮影は一秒でも早く終わらせるに限るわっ!」 ——なんとか響のとりなしで、カフェを出た早苗と奏。 外での撮影では、学校帰りと思われる学生達が通りすがりに「あっ、ナッピだー!」とはしゃいでいた。 夏姫はそんな呼びかけに応え、にこやかに手を振り返す。 「キャーッ!」と黄色い声をあげる学生達を見て、早苗は「……チッ」と舌打ちをした。 「——加納さんって、奏さんのことが好きなんですか?」 撮影を見守る最中、響が尋ねた。 すると早苗は食い気味に答えた。 「そりゃ好きよ!何年一緒にいると思ってんの!」 「やっぱり……。 だから、夏姫さんにあんなに嫉妬心を燃やしているんですね」 「あ、勘違いしないでね? 私の言う『好き』って、家族愛のことだから」 「え?!」 「私はそーちゃんがこーんなちっちゃい時から知ってるのよ!?」 早苗は手のひらを腰の辺りで地面と平行に向け、 「こーんなちっちゃい時からの仲!」 と繰り返した。 「私にとってそーちゃんは可愛い弟なの! お、と、う、と!!」 「えっ……でも……。 夏姫さんに嫉妬してるソレは何なんですか? 恋敵に向ける感情かと思ってたんですけど」 「可愛い弟に、変な虫が付いたらたまったもんじゃないでしょ? そーちゃんの姉的存在としては、姉の目に適う相手じゃなきゃ そーちゃんとの恋愛は認めない方針なの!」 「……それで、お姉さんのお眼鏡に適った女性は今までにいたんですか?」 「そーちゃんと釣り合う女なんているわけないでしょ」 「加納さん……奏さんのこと『女嫌い』って言ってましたけど…… もしかして加納さんが奏さんから女性を遠ざけてたんじゃないんですか?」 「まっさかぁー!」 早苗はカラッと笑って見せたが、 絶対、この人が犯人だ—— と響は確信した。 「加納さん。あんまりこんなこと言いたくないですけど、過保護過ぎるのも良くないですよ。 加納さんだって今までお付き合いしてきた男性がいるんでしょう?」 響が言うと、早苗は 「今日のサツキくんって嫌に冴えてるわねぇ」 と瞼を閉じた。 「奏さんのためにも、恋愛は自由にさせてあげた方がいいと思います。 奏さん、『他人の感覚がわからないことが悩み』って言ってたんですよ。 それって、他人と接しなければ培われない感覚だと思うんです」 「別に恋愛だけが他人と構築する関係じゃないでしょー? 言っとくけどそーちゃん、友達なら学生時代にもいたわよ? 他人と接してこなかったから感覚が培われなかったんじゃなくて、 元々異質な才能を持って生まれてきたのよ」 「そうでしょうか? 恋愛って、ときめいたり、楽しい時間を共有するだけじゃなくて 失恋の痛みを知って、もっと相手を思いやれたら良かったなぁなんて反省したりして、 相手の気持ちを理解したいって思いが芽生えていくものだと思うんです。 恋愛がすべてとは言いませんが、恋愛は他人の感覚を共有し、理解できなければ構築できない関係という点において、経験そのものが奏さんを成長させるものになると思います」 響がそう話していると、いつの間にか早苗と響の間に奏が立っていた。 話を終えてから、やっとそのことに気付いた響が「えっ!?」と思わず声を上げると、奏はいつものような無表情で言った。 「撮影、終わった」 「!そうですか、お疲れ様でした……!」 「今、サツキが話してたこと——」 「えっ!?アッ、これはその……。 あくまでも俺の見解なので、気にしないでください!!」 響が慌てて言うと、早苗も 「そうよっ!恋愛が奏の成長に繋がるだなんて、サツキくんの妄想だから!」 と響の説を否定してみせた。 「妄想?……サツキの今の話は、妄想だったの?」 「妄想じゃないですよ!」 響はきっぱりと言い切った。 「これは俺の経験に基づいた話ですから! 少なくとも俺の中では、恋愛が人を成長させてくれるって説は正しいと信じてます」 「ふうん」 奏は少し考えた後、こう告げた。 「じゃあ、俺も恋愛をしたら、他人の感覚が掴めるようになるんだね。 そしたら、俺の悩みは無くなるってことだ」 「恋愛するって言ったってー、そーちゃんに相応しい相手なんていないじゃなーい?」 早苗が意地悪っぽく茶々を入れた。 すると奏は、ポケットから小さな紙を取り出し、二人の目の前で広げてみせた。 「……何ですか?それ」 響が聞くと、 「夏姫の携帯番号」 と奏が答えた。 「さっき、夏姫が帰りがけにこれをくれた。 『また奏くんに会いたいから、お互いの電話番号交換しとこ』って言われて交換した。 ——俺、この人と恋愛したら、成長できるの?」

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