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カノン①
——それから数週間後、8月に入ったある日。
如月奏と夏姫の熱愛が、週刊誌で報じられた。
『若き天才作曲家と歌手デビューをした人気モデルの爽やかカップル』
『二人が都内でデートを重ねる様子が度々目撃される』
『出会ったきっかけは雑誌の撮影。真剣交際の行方はいかに』
「……バッカみたい!!」
早苗は、週刊誌を放り投げてぼやいた。
「あんな養殖女に捕まるなんて、そーちゃん見損なったわ!」
響は、如月邸に押しかけて週刊誌を地面に広げている早苗に言った。
「おめでたいことなので、見守ってあげましょうよ」
「自分のこと『ナッピ』とか言っちゃう子よ?
事務所のコネでそーちゃんとコラボできた、実力はなんにも伴ってない三流歌手よ?
——私のことオバサン扱いした女よ!?」
「まあまあ」
響は、鼻息を荒くしている早苗の背中を撫でて落ち着かせた。
「今日だって、二人で舞台を観に行ってるそうよ。
ウチの事務所の社長に、向こうの社長から『如月さんとの交際を事務所は応援しています』なーんて電話がかかって来てさ!
あーあ、どーしてこうなっちゃったんだか!」
早苗は三角座りをしながら、
「もうジャーマネなんて辞めて、田舎に帰ろっかな……」
と呟いた。
「田舎って、早苗さんの地元東京じゃないですか」
「23区外は田舎も同然よ。あなた、都内がどこでも渋谷みたいな町だと思ってない?」
「いや、さすがにそこまでは。
でも23区外だって栄えてる所は沢山あるじゃないですか」
「田舎ってのは言葉のあやよ。実家に帰ろっかなって意味。
一人暮らしのマンション、そーちゃんちと事務所の中間にあるんだけど、家賃高いしさ」
「そういう意味でしたか」
「あーあ、実家に帰ってマロンに癒してもらいたーい」
「マロンって?」
「愛犬の名前。超可愛いんだから」
「夏姫さんの愛犬の名前はマカロンでしたよね。
図らずも似たような名前のワンちゃん——」
「あの女と名付けのセンスが一緒って言いたいわけ!?
言っとくけどあっちはトイプーでうちの子は豆柴!
似てるのは名前だけで、可愛いのは断然うちの子なんだからね!?」
「あ……ハイ……」
マカロンもマロンも会ったことのない響には、それ以上は何も返せなかった。
「しかもさ……こないだ会った時のそーちゃん、見たことない服を着てた。
今までのそーちゃん、モノトーン以外の服を着たことがなかったのに、ピンクのシャツなんか着ててさ。
あんなの絶対、夏姫が選んで着せたに違いないわ!」
「確かに着てましたね。メンズのピンクを着こなせるなんて、さすが外見が良いだけあるなって思いました」
「でしょー!?私も、そーちゃんならピンクでも何色でも着こなせると思ってた!
……って、そうじゃなーい!!」
結局、早苗は奏が舞台の観劇を終えて戻ってくるまで如月邸に居座っていた。
その日は事務所内のマネージャー同士での定例ミーティングが入っていたそうだが、
奏が帰るまで自宅を張っていたためミーティングに遅れてしまい大目玉を喰らった、と
後日、響は早苗から文句をつけられた。
その後も奏と夏姫の交際は続き、数週間が過ぎた頃——
「今日の夕方から、夏姫がうちに泊まりたいって言ってるんだけど」
朝、響が朝食の支度をしていると、奏がそう伝えて来た。
「えっ!あー……」
なるほど。
今までは外でデートしても夜の早い時間には戻って来ていたけれど……
ついにそういうことをするのかな。
「わかりました!じゃ、夕方までに家中しっかり掃除しますね!」
「え。いつもはしっかり掃除してくれてないの?」
「掃除は毎日やってますけど……。
彼女さんが泊まりにくるってことは、そういうことじゃないですか。
俺もお膳立てしてあげようかと思って」
「そういうことって、どういうこと?」
奏が首を傾げると、響はハッとして顔を青くした。
そうだ!奏さん、避妊の準備はしてるだろうか?
売り出し中のタレントさんを無計画に妊娠させてしまったら、お互いにとって不幸なことになるかもしれない。
「奏さん、例のものはちゃんと枕元に置いといた方がいいですよ」
「例のもの?」
「持ってないなら、俺薬局で買って来ますよ!」
「?……じゃあ、買って来て」
奏はピンときていない様子だったが、響は彼のためを思ってコンドームを買いに薬局へ走った。
響が戻ってくると、ちょうど玄関で奏が靴を履いているところで、
「最寄りの駅まで迎えに行ってくる」
と奏は告げた。
「あっ、じゃあ今買って来たやつは寝室の小棚の中に入れときますね」
「小棚の中?」
「見えるところに置いてるのはどうかなと思うので。
一番上の引き出しに入れるので、忘れずに使ってくださいね!」
「使う……?——まあ、今は時間がないからあとで見とく」
奏が玄関から出ていくのを見送ると、響は急いで掃除の仕上げに取り掛かった。
——夕方になり、外でのデートを経て、夏姫が如月邸にやって来た。
「お邪魔しまーす!」
夏姫は元気よく挨拶すると、出迎えた響にぺこりと頭を下げた。
「あっ、サツキさん!お久しぶりですー」
「お久しぶりです、夏姫さん。
『君に逢いたくて』観ましたよ。
エンディングで夏姫さんの歌声が流れて、素敵な音色に思わず聴き入ってしまいました」
「きゃっ、うれしー!
ナッピもサツキさんのことは奏から聞いてます!
撮影現場やカフェ・フルールでもお会いしましたけど、家政婦さんだったんですね!」
夏姫と響がにこやかに挨拶をする傍ら、ふと響は、夏姫がいつのまにか奏を呼び捨てにしていることに気がついた。
呼び方が変わったことからも、二人の距離が縮んでいることがわかる。
微笑ましいことだと、響は思った。
「サツキ。ご飯できてる?」
「もう少しでお米が炊けるので、そしたら食べられますよ」
奏が響に話しかけると、夏姫は
「えっ、手料理ご馳走してくれるんですか?」
と目を輝かせた。
しかしその直後、こう続けた。
「……あー、でも……
外で奏と遅めのランチを食べて来たので、あたしはお腹空いてないかなぁ」
「じゃあ、夏姫さんは飲み物だけでも大丈夫ですか?」
「大丈夫でーす!あ、飲み物って、お酒もあります?」
「えーっと、確かありましたよ。ちょっと見てみますね」
冷蔵庫に、早苗さんが買い置きしているお酒がいくつかあったはず。
……あれ?でも奏さんがハタチで、夏姫さんは奏さんの二つ下だと聞いていたような……
「夏姫さんって、失礼ですが未成年でしたよね……?」
響が尋ねると、夏姫はころころと笑ってみせた。
「やだぁ。お酒を飲んでる未成年なんていっぱいいるじゃないですか!
業界のパーティーでも普通にお酒が出てくるし」
「あー……」
芸能関係者の間では、未成年にもお酒を飲ませるパーティーがまかり通っているのか?
でも、考えてみればここは現代より23年も昔の時代。
元の時代よりは未成年の飲酒に対しての規制が緩かったとも話には聞いている。
この時代の若者の感覚であれば、当たり前のことなんだろうか。
だとしても、成人してる俺が未成年に飲酒を助長するようなことは気が引けるな——
響が悩んでいる間に、奏はキッチンの冷蔵庫を開けると、中から缶チューハイを何本か出した。
「マネージャーの買い置きだけど。
好きなの飲めばいいよ。後でサツキに買い足しといてもらうから」
奏からチューハイを勧められた夏姫は、「ありがとうっ」と言って缶を開けた。
——米が炊き上がり、響と奏が煮込みハンバーグを食べ始めた隣で、夏姫は4本目の缶チューハイに手を伸ばした。
「あの、大丈夫ですか?
何かお腹に入れたり、ソフトドリンクを挟まなくても平気ですか」
夏姫の飲むペースが心配になってきた響が言うと、夏姫は「大丈夫ですよぅ」と笑った後、こう続けた。
「てか……、サツキさんって保護者みたい!」
「保護者?」
「なんか、ママって感じ?面倒見がいいし、ご飯作れるし」
「そうですかねぇ」
響が苦笑いを浮かべると、夏姫は
「奏も思うでしょ!?」
と奏に振った。
すると奏は、ちらりと響を一瞥して言った。
「思わない」
「ええーっ!?超ママ要素あるのに?」
「母親というものを、俺はよく知らないから」
「……あー。そっか、そういえば奏、親いないんだったね……」
夏姫は一瞬、気まずそうな顔をしたが、話題を変えた。
「そーいえばサツキさんには付き合ってる人いないんですか?」
「いませんよ」
「うそ、モテそうなのに!」
「この通り、住み込みで家政婦をしていることもあって、なかなか出会いがないので」
「へーっ。じゃあ今度、ナッピの友達紹介しましょうか?」
「えっ」
「同じ読モ仲間とか、知り合いの可愛い子なら沢山知ってるんで!」
夏姫が言うと、響が返事をするより早く奏が口を開いた。
「紹介しなくていいよ」
「えーっ、どうして?」
夏姫がきょとんとすると、奏は
「彼女ができて、家を空けるようになったら困るから」
と答えた。
「でも……家政婦さんにだって息抜きは必要だと思うよ?」
「サツキにはやってもらってることが色々あるから、家にいてもらわないとだめ」
「それはちょっとかわいそうだよ……」
「かわいそう?なんで」
「フツーに考えたらわかるじゃん?
若いのに恋愛しないで家に閉じこもってるなんて、フツー耐えられないよ」
「フツーって何。よくわからない」
響は自分の話題で二人が言い合いになるのは避けたいと思い、こう言った。
「紹介の件はお気持ちだけ受け取っておきます。
いつかは誰かと自然に出会って、付き合うこともあると思いますし。
その時までご縁を気長に待ちますよ」
するとその言葉に、奏はこう投げかけた。
「それ、俺に聞いてから付き合うことを決めるよね?」
「え?なんでそんなことしなきゃならないんです?」
響が腑に落ちない様子で返すと、奏は
「だって、俺は事前に相談したし」
と告げた。
「いや、俺は事前に相談するつもりはないですからね?
自分が好きになった相手には自分からアプローチしますし、
告白したり、付き合う話になった時には、自分とその相手との二者間で決めます。
奏さんに相談する必要性なんてないと思いますけど」
「サツキさんの言うとーりっ!」
夏姫も、酒を飲みながら勢いよく言った。
「恋愛は自由だよっ!
誰と誰が付き合うかは、本人たちが決めること!
事務所とかファンとか世間とか、外野があれこれ言うことじゃなーい!」
「……サツキが誰かと恋愛をしたら、俺はサツキにとって外野になるってこと?」
夏姫の話を受けて、奏が言った。
「それは当たり前です。
いくら奏さんが、ここに住まわせてくれている恩人でも、そこは切り離して考えますから」
響が言うと、奏は大人しく
「……そう」
と溢し、箸を置いた。
「ごちそうさま」
奏が皿を片付けようと立ち上がりかけると、奏の肩に夏姫が顎を乗せ甘えてきた。
「……あたし、酔って眠くなっちゃったあ。
早めに寝たいから、シャワー借りてもいい?」
首をもたげた拍子に胸元の服が緩み、響は思わず目を背けた。
頬を赤くし、奏に甘えるそぶりを見せる夏姫は、元の容姿に加えて可愛らしさが増していた。
奏がバスルームの場所を伝えると、夏姫はややフラフラとした足取りでシャワーを浴びに行った。
「……交際、順調なようで良かったですね」
夏姫がキッチンを去った後、響は洗い物をしながら奏に言った。
「この後って、奏さんもシャワーを浴びたら寝室に行きますよね?
俺、邪魔しないようにするんで安心してください」
「…‥ねえサツキ」
奏は響の隣に立つと、何かを言おうとして口を開きかけた。
だが、言葉に詰まってしまったのか、何も言わずに俯く。
「何ですか?」
響が皿を洗う手を止めて目線を合わせると、奏は少し経って、こう言った。
「……サツキにとって俺が外野になるって、なんか嫌だ。
だからさっき言ったことは撤回して」
「え……?」
響が困惑した表情を浮かべると、奏は
「……やっぱ、いい」
と言い、キッチンを離れてしまった。
それから、バスルームから出て来た夏姫と入れ違いに奏がシャワーを浴びに行った。
二人ともシャワーを終えて2階に上がって行ったのを見届け、響はようやく息を吐き出した。
これで、二人をお膳立てする俺の役目は終了。
俺が早めに寝ちゃえばいい話だけど、上から『音』が聞こえて来たら気まずいから、眠くなるまではテレビでも付けておこうかな。
響は自分もシャワーを浴びて一息つくと、リビングのソファに横になり、テレビを付けた。
いつものこの時間なら、このソファは奏が占拠している。
今日は俺が独り占めしてやっているぞ、と響は密かにほくそ笑みながら、特に観たいものがあるわけでもないテレビをなんとなく流し続けた。
——響がテレビの前で、うとうとし始めた頃だった。
「もう帰る!!」
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