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血染めの理想郷③

「コンビニでたーくさん缶ビール買ってきたわよー!」 早苗は机の上にどっさりとビール、おつまみなどを置いていった。 「ここに滞在中は、朝食は出るけど夕食は各自外で取るか、近くのコンビニで買って食べてって言われてるの。 大御所俳優でもいれば、旅館の夕食も食べられたかもしれないけど、仕方ないわよねえ。 そんなに予算もかけられないでしょうし」 早苗は、夕食代わりにとお弁当の類も買ってきたことを話した。 「ありがとうございます、加納さん。 ……あの、奏がちょうど今シャワーを浴びているところで……」 「そうなの?じゃあ先に二人で始めてましょうよ」 「じゃあ、俺ビール注ぎますよ」 響は早苗に注いでやろうと、缶ビールの蓋を開けた。 すると、勢いよく中身が噴き出し、響の浴衣をビールがびっしょりと濡らした。 「わっ!?」 「きゃ!ごめーん!!」 早苗は、コンビニから歩いて持って来た過程で中身が振られた状態になり、炭酸が勢いよく出て来てしまったのだろうと語った。 「ごめんね、今おしぼりで拭くから……」 「あ、いえ大丈夫——」 響は早苗に言いつつ、浴衣の中まで濡れてしまっていることに気がついた。 せっかく温泉に入ってきたばかりだが、素肌にビールがかかってベタついてしまったため、響は「俺もシャワー浴びようかな」と口にした。 部屋の構造として、シャワールームの隣に洗面所があり、そこで脱衣ができるスペースが設けられている。 洗面所と客間は引き戸で仕切られているため、着替えをしても客間にいる人物に姿を見られる心配はない。 響は、べたついた身体を一刻も早くシャワーで洗い流したかったため 洗面所で奏が出て来るのを待つことにした。 せっかく速水にもらった下着にまで染み込む前に脱いでしまおう、と浴衣も下着も脱ぎ捨てた状態で待っていると、 何も知らない奏がシャワールームのドアを開けた。 そして、裸で待っていた響の姿を見て絶句する様子を見せた。 「——っ!」 奏は、響がいるのを見た瞬間、シャワールームに戻りドアを閉めてしまった。 「あっ、ちょっと奏!?」 響は、ビールで服や肌が汚れてしまったことを説明し、ここで順番待ちをしていたことを伝えた。 「——って」 「え?」 「バスタオル、取って」 シャワールームの中から、奏の小さな声が聞こえてきた。 「バスタオル?——ああ」 奏は、洗面所に置いてあったバスタオルを手に取ると、「開けるよ」と口にした。 すると奏は「俺が開けるから待って」と言い、ドアをほんの隙間だけ開いて、そこから手を伸ばして来た。 ——そんなに、俺の裸を見るのが嫌だったのかな。 いや、自分の裸を俺に見られたくないのかな……? 男同士でそんなに気にすることないのに—— 響はそう思いつつも、バスタオルを手渡した。 暫く待っていると、今度は下着と浴衣を取るよう言われ、響は再びドアの隙間からそれらを渡してやった。 さらに待っていると、浴衣を着付け終えた奏が中から出て来た。 「信じられない。座って待ってればいいのに洗面所で待機してるなんて」 「でも、これ見てよ」 響は、髪や顔にまでビールがかかってしまった姿を見せようとした。 だが奏は裸の響と目を合わせようとせず、 「もう出るから、シャワールーム入りなよ」 と言って響を促した。 響がシャワールームに入ったのと入れ違いで奏は洗面所の戸を開けると、客間で既に酒盛りをしている早苗と合流した。 「マネージャー」 「あ、おかえりそーちゃん!」 早苗は響にビールをかけてしまったことをあまり悪びれる様子を見せなかった。 既に酔いが回っているらしく、一人で楽しそうにテレビを見て笑っていた。 「マネージャー、後で響に謝りなよ」 「ああ、ビールかけちゃったことなら謝ったわよぅ」 「……」 「何?謝ったって言ってるじゃない」 「……俺にも謝って」 「そーちゃんにも?なんで!?」 「マネージャーのせいで、響に俺の裸、見られたかもしれないから……」 奏がそう口にすると、早苗はテレビから視線を奏に向けた。 そして神妙な面持ちで、 「……ごめんなさい」 と奏に謝った。 「……多分、一瞬だったからちゃんとは見られてないと思う。 でも、びっくりして心臓止まるかと思った」 「そっか……。 まあ、でもさ——仮に見られたとしても、面白おかしくイジってくるような人じゃないと思うよ?サツキくん」 「見られるの自体がイヤだ」 「……そうよね……ごめん」 早苗は自己嫌悪するようにビールを流し込んだ。 「あーあ……。私また、大事なことなのに忘れちゃってた……。 そーちゃんがシャワーを終えて出て来るまで、サツキくんをここに引き留めておけば良かった……」 奏は早苗の対面に座ると、自身もビールの缶を開けた。 先ほどより時間が経過しているため、奏が開けた缶から中身が吹きこぼれることはなかった。 「あれ?そーちゃんも飲むの?」 「うん」 「めっずらしー。偉い人たちとの付き合いがある時くらいしかお酒は飲まないのに」 「飲んで忘れたい。じゃないと不安で明日の撮影に集中できない」 奏が缶ビールを傾け、ぐいぐいと流し込んでいたところに、髪や身体を洗い直して来た響が合流した。 「ふぅ……さっぱりした」 「あっ、サツキくん。さっきはほんとにゴメンね?」 「いいですよ。浴衣も予備のが部屋にあったんで。 そんなに気にしないでください」 響が笑みを見せると、早苗は 「サツキくんって心が広くて良いわねェ」 と感動したような表情を浮かべつつ、ビールを流し込んだ。 「……あの」 響は、早苗と奏の間に何本もの空き缶が置いてあるのを目にした。 「俺がシャワー浴びてる間にこんなに飲んだんですか?加納さん」 すると早苗はブンブンと首を横に振った。 「失礼ねえ!私はまだ三本目よ!」 「充分飲んでるじゃないですか! ……ん?ということは、残りの四本——」 響が奏の顔を見ると、奏は顔を真っ赤に染め、虚な瞳をしていた。 「……奏、大丈夫?」 響は、自宅にいる時は飲んでいる姿を見せたことのない奏が 明らかにハイペースで缶ビールを飲み進めているのを見て心配が込み上げて来た。 「明日撮影だろ?こんなに飲んで響かない?」 「……大丈夫……」 そう言いつつ、ふらふらと身体を揺らしている奏は明らかに大丈夫そうには見えない。 「……ああもう」 響は冷蔵庫に冷やしておいたミネラルウォーターのボトルを取ると、奏の口元に近づけた。 「ほら、飲んで」 「……ん……」 「あと、何か胃袋に詰め込んで。 ビールばっかじゃ酔いが回りやすくなるから。 手遅れな気もするけど」 奏は真っ赤な顔で目を閉じ、ミネラルウォーターを飲んだ。 普段は生気がこもっていないような青白い肌が、今は温泉上がりのようなのぼせた赤色に変わっている。 水を最後まで飲み切ると、奏は長いまつ毛を持ち上げ、ゆっくりと目を開いた。 「……もう、寝る」 「え……」 「そーちゃん、大丈夫なの?」 響と早苗が心配するのを他所に、奏は布団の中に入ると、まもなく寝息を立て始めた。 「……こんなに飲んだ奏、初めて見ました」 響は、机の上に散らかったままの空き缶をビニール袋にまとめながら言った。 「あなたのせいだからねぇ?」 すると、それに答えるように早苗が言う。 「俺のせい?」 「あっ、いやきっかけを作ったのは私か。 じゃ、私が悪いんだわァ!」 酒に酔った早苗がわっと泣き出した。 「こっちはこっちで悪酔いするし……」 響は呆れながらも鞄からハンカチを取り出し、早苗に渡そうとした。 加納さんにハンカチを渡すのはこれで二度目だ。 響がそんなことを考えていると、今度の早苗はハンカチを受け取らなかった。 「そーちゃんを傷つける人のハンカチなんて受け取らないわよぅ!」 「傷つける、って……。俺、今何かしましたか?」 「さっき、そーちゃんがシャワールームにいるのに洗面所で待機してたじゃなーい」 「それの何がいけなかったんですか!?」 響が目を丸めると、早苗は 「だって……それは……」 と言いかけた。 「それは?」 「それ、は……ぐぅ」 「……は?」 早苗はそのまま机に突っ伏すと、いびきをかいて寝始めてしまった。 揃いも揃って、なんなんだこの人達は! 響は、早苗の散らかした空き缶やおつまみの袋も片付けていった。 そして自身はビールには手を付けず、早苗が買って来たコンビニ弁当の一つに手を付けると、孤独に夕食を摂った。 翌日からロケ地での本格的な撮影がスタートした。 機材などの準備中、奏は五十嵐や速水と頻繁に打ち合わせをしていた。 恐らく、響が昨日の大浴場で彼らから聞いた話の通り、演技の難しいシーンについて話し合っているのだろう。 見た限り、二日酔いの様子はなさそうだ。 響はほっとしつつも、昨晩二人が寝た後に 部屋の片付けをしたり、早苗をどうにか起こして彼女の部屋まで連れて行ったりと 温泉とシャワーを経た後にまた汗をかかされたことに若干の怒りを感じていた。 おまけに今朝、速水に借りた服に袖を通していると、奏から「やっぱ似合ってないじゃん」と再び言われたこともあり、響の苛立ちはますます募っていた。 はあ。撮影を終えて部屋に戻っても、奏と話してるとイライラしてしまいそうだな。 ちょっと気晴らしをして、この苛立ちをリセットできないだろうか。 響がそんなことを考えた時、ふと早苗からバスの中で教えてもらった縁結び神社のことを思い出した。 縁結び——縁結びかぁ。 特に今、恋人が欲しいと思ってるわけじゃない。 そもそもできたところで、俺は本来この時代の人間ではないのだから いつか物理的な別れが来てしまう可能性も否めない。 だから特に祈願する内容はないんだけれど、 神社の境内って自然に溢れていて、散策するだけでも気持ちが良かったりする。 よし、撮影が終わったら、観光がてら神社へお散歩してこようかな。 ——こうして響は、この日の撮影をすべて終えた後の自由時間に入ると、一人で神社の散策へ向かった。 小さな山の上にある神社の麓ではちょうど秋祭りをしているらしく、小規模だが屋台などが出ており活気があった。 辺りに集まっているのは、皆この近くの温泉街に泊まっている宿泊客たちだろう。 そんなことを思いながら、響は屋台を眺めて回った。 そうだ。今日の夕飯はこの屋台で買っていこうかな。 どうせ奏は自分で買いに行くなんてことはしないだろうから、奏の分も買って帰ろう。 元々、俺の持ってる財布のお金は奏のものだし……。 響は、境内に続く石段を登っていくのが若干面倒に感じたこともあり、神社でのお参りは省略して 代わりに麓の屋台で美味しそうなものをひと通り買うと、旅館へ戻って行った。 ——部屋に入ると、奏が驚いたようにこちらへ視線を向けて来た。 「今までどこ行ってたの?」 「ああ、この辺りで有名だっていう神社にお散歩に行ってた」 「神社?……あー、マネージャーがなんかそんな話してたっけ」 「まあ、神社が山の方にあって登るのがしんどそうだったから、参拝はしなかったんだけど。 麓に屋台が出てたから色々買ってみた。 奏、どうせ夕飯まだでしょ?」 響は机の上に、屋台の食べ物を並べて行った。 たこ焼き、焼きそば、焼き鳥、チョコバナナ、わたあめ、あんず飴。 それから少し季節外れだがかき氷も。 すると奏は、それらをひと通りじっと眺めた後にこう呟いた。 「……全部、食べたことのないものだ」 「ええ!?奏、お祭りとかでこういうの買ったことない?」 「お祭りに行ったことがない」 「……そう、なんだ……」 響は少し驚いたが、 「とりあえず、気になるもの食べてみなよ」 と奏に勧めた。 「……じゃあ、これ」 奏はイチゴシロップのかき氷を手に取った。 「大丈夫?それ、イチゴだけど」 響が念のため聞くと、 「酸っぱい?」 と奏が尋ねた。 「いや、これはシロップだから全然酸っぱくないよ。むしろ甘い方かな」 「じゃ、食べられる」 奏はそう言ってかき氷を口にした。 「……何これ」 奏は目を丸め、じっとかき氷を見つめた。 「口に合わなかった?」 響が尋ねると、奏はかぶりを振って言った。 「……おいしい」 そして何口か食べた後、奏は机の上にもう一つかき氷があることに気がついた。 「そっちも、これと同じやつ?」 「こっちはブルーハワイ味のかき氷」 「ブルーハワイ?」 「食べ比べてみる?」 「ん」 奏はイチゴのかき氷を端に寄せると、ブルーハワイの方も口をつけた。 「……さっきのやつの方がおいしい」 奏はブルーハワイを端に避け、再びイチゴ味を食べ始めた。 こうして見ると、奏ってほんとに子どもみたいだ。 初めて食べるものに目をキラキラ輝かせて、 美味しかったら素直に美味しいって言うし、好みに合わなければ自分から遠ざけて。 こんなにわかりやすい性格をしているはずなのに、 どうして俺は奏と分かり合えないような気がしてしまうんだろう。 ……奏が俺に対して、変な感情を持ち合わせているんじゃないかと身構えてしまうせいかもしれない。 でも—— 俺は奏のことを、そんなに全身全霊で拒みたいとまで思ってるのか? 奏が男だから、奏と特別な関係になるなんてあり得ないと思っているだけで、 奏という人間そのものを嫌っているわけじゃない。 むしろこんなにワガママに振り回されてきたのに、それをなぜか許せてしまうのは、相手が奏だから——と思えてならない。 どうして俺は奏との距離感に悩んでいるんだろう。 なんだかもう、よく分からなくなってきた。 でも…… やっぱ、セックスは無理だよな。 その行為を奏とすることが想像できない以上、やっぱり俺は奏のことをそんな目では見られない。 うん、何度考えたって、俺と奏が恋愛関係になることはありえない—— 「……響は食べないの?」 響が黙って奏を眺めていると、視線に気がついた奏が顔を上げた。 「そうだなあ。じゃあ俺は奏が残したブルーハワイ食べ切るかな。溶けちゃうし」 響がブルーハワイのかき氷を食べ始めると、奏はふとこんなことを尋ねてきた。 「ね。ブルーハワイって、なんでハワイなの」

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