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血染めの理想郷④
「え?なんで……だろ」
そういえば、俺も知らないな。
「わかんないけど、ハワイっぽい味なんじゃない?」
「ハワイっぽい味?」
「なんか……南国って感じ?」
「南国?」
奏はピンときていない様子だった。
「なんかこう、トロピカルな……
フルーツいっぱいの、ハッピーな感じ……?」
自分で言っておいて、なんか馬鹿っぽい説明だったな、と響は思った。
「……ごめん。俺もよく分かんない」
「響でも知らないことってあるんだ」
「そりゃあるよ。むしろ、世の中知らないことの方が多いと思うけど」
「ふうん」
奏はかき氷のカップの底に残っている溶けた氷をストローで吸った。
じゅっ、と音がなり、中身が全てなくなったことが分かると、奏は少し寂しそうにカップの中を見た。
「……無くなっちゃった」
「そんなに気に入ったなら、明日一緒に屋台行ってみる?」
「!」
「屋台は明日も出るみたいだよ。神社の掲示板にポスター貼ってあったから」
「明日もかき氷食べられるの?」
「うん。買いに行けばね」
それを聞いた奏は、少し嬉しそうに頬を緩めた。
「俺、かき氷って初めて食べた。
今まで知らなかった味だった。
——俺も世の中知らないことだらけだけど、知らないことを知るのって、嬉しい」
頬杖をつき、幸せそうにかき氷のカップを眺めている奏を見て、響は不思議な気持ちが湧いて来た。
そして思わず、その気持ちが声に漏れてしまう。
「……可愛いな」
「——え?」
「!何でもない」
奏にはちゃんと聞こえていなかったらしく、「なんて?」と聞き返されたが、響は「ただの独り言!」と押し通した。
「っ、それよりさ!
奏は今日もシャワーで済ませるの?」
奏の注意を逸らそうと、響は慌てて話題を変えた。
「昨日大浴場行ったけど、すごい良い湯だったよ。
隣には露天風呂もあったんだけど、昨日は室内風呂の方で監督たちと話してるうちにのぼせちゃって行けなかったんだよね。
今日は露天の方にも入ってみようかと思ってて」
「俺は温泉には行かないよ」
奏ははっきりと告げた。
「行くなら、俺は気にせず響一人で行ってきていいよ」
「せっかくの温泉宿なのに、本当にいいの?」
「いい」
頑なに断る奏に、響はふと思い浮かんだことがあった。
「——もしかして奏、タトゥーいれてるとか?」
「え?」
「ほら、刺青が入ってる人は入浴お断りのところが大半でしょ。
奏もいれてるから温泉に入れないのかなーって思って」
「……昨日、俺の裸見なかった?」
奏が不安げな表情で見上げてきた。
「いや?一瞬だったから見てないも同然だけど」
「……」
「まさかほんとにタトゥーあるの?」
「……あったら何なの」
「いや、まあ……別に偏見を持ってるわけじゃないけど……ちょっと意外だなとは驚くかも」
「……タトゥーって、身体に絵を描くやつだよね」
「うん」
「俺、無いよ」
なんだ。
じゃあ尚のこと、なんで温泉入りたがらないんだろう?
まあ……でも俺が気にしてないだけで、本人には色々なコンプレックスがあるのかもしれないな。
もしそうだとしたら、これ以上深く追及するのはかわいそうだよな。
「——じゃあ、俺だけ行ってくる」
響は新しい浴衣とバスタオルを持って大浴場へ向かった。
響が大浴場に着くと、偶然にもまた速水と遭遇した。
今日は五十嵐のほうは居なかった。
「あ、お疲れっす!」
「お疲れ様です。昨日は服、ありがとうございました」
身体を洗い湯船に入ると、響は早速速水に礼を言った。
「いえいえ!下着と服、1セットで足りました?」
「はい。初日に着てきた服は旅館内のコインランドリーで洗ったので、明日はそれを着ます。
……速水さんに借りた服、後でクリーニングに出してお返しするので借りたままでも大丈夫ですか?」
「OKっす!てか、クリーニングとか、そんな気は回さなくていいっすよ!」
速水がにかっと笑う。
この時代に来てから、奏や加納さん以外の人とは喋る機会があまり無い日々を過ごしてきた。
奏以外で、同年代の同性とこうやってサシで話すのは久しぶりだけど、つくづく思う。
速水さんのような棘がなくて陽気なタイプは今までにも沢山会ってきた。
こういう人当たりが良い人は、話していて嫌な気持ちになることがあまりない。
社会人になってからは特に、仕事の相手とはなるべく角が立たないよう、お互いに気を遣ったコミュニケーションを取るためか
学生時代以上に円滑な会話ができる人と多く会ってきた。
それと比べると、奏は本当に難しい。
会話を成立させるために、こちらが歩み寄る努力をしなければならない。
きっと奏自身が他者と深くコミュニケーションを取ろうという気がないし、奏が努力しなくても、周囲がお膳立てしてくれてきたのだろう。
幼い頃、ピアノ漬けの毎日を送ってきた俺は
クラスの男子たちとの共通の話題に飢えていた。
だから仲間外れにならないよう、相手の話を真剣に聞いてあげて、共感するということを心掛けてきた。
それに慣れたお陰もあってか、大抵の相手との会話は聞き役として場を繋ぐことができる。
けれど奏が相手だと、ただ聞いているだけでは会話が成り立たない。
こちらが言葉の足りなさを補ってやったり、話の裾野を広げてやらなければならない。
だから奏と話すとエネルギーを消費している感じがする。
「……俺、奏と上手くやれてない気がするんです」
温泉でリラックスしているためか、つい速水の前で愚痴をこぼしてしまう。
「奏とは同じ家に住んでいて、仕事でもプライベートでも密に関わっているはずなのに……
奏との距離感がうまく掴めないっていうか……」
「あー、そうなんすね。
サツキさんって優しいから、これは想像なんすけど
奏さんと居る時は多分すごい気を回してるんだろうなあとは思ってました」
響の愚痴を聞いた速水が、苦笑いを浮かべながら言った。
「奏さんってゴーイングマイウェイな人っすもんね。
俺とかは子役からこの業界にいて長いんで、現場の空気作りとか意識してやってたりしますけど、奏さんはそういうの気にしない人ですし」
「ですよね……」
「俺は自分の仕事をやりやすくするために周囲に気を配ってますけど、サツキさんって素で気配りの人じゃないすか。
それで奏さんと四六時中生活してたら、そりゃ嫌にもなりますよね」
「ん?」
嫌にもなる?
嫌……なのか?
「……いや、そういうことは感じないですけど……。
ただ、奏とどうやったら良い関係を続けていけるんだろうって考えているうちに、自信が無くなってしまったというか」
「あ、奏さんと離れたいって話じゃ無かったすか?」
「離れたいというか、諸事情で離れることができないから、円滑な人間関係を結べたらいいなって気持ちなんですけど」
「あー、なるほど?」
多分、速水さんに話しても伝わらないだろうな。
かといって経緯を説明するのもな。
加納さんにだって、俺がタイムスリップしてきた人間だってことは話してないんだし。
「——てか、俺たちほぼ同い年じゃないすか?
ここからはお互いタメ口でいかない?」
「!……そうだね」
速水の提案で、響は
「じゃあ、呼ぶときも下の名前の方が話しやすいかな?」
と尋ね返した。
「おっけ、俺のことは右京でよろしく。
サツキさんのことは、響って呼ぶわ」
「分かった。よろしく、右京」
「あ!下の名前で呼び合って気付いたんだけど、俺ら名前似てない?」
「えっ?」
「ウキョウとキョウじゃん?」
「……確かに」
あれ?こんな会話、前にも奏としたな。
ソウとキョウも、音の響きが似てるって話になって、そのとき奏がたしか——
「……カノンみたいだ」
「カノン?」
「!——あ、いや」
そうだ。カノンで例えたって、音楽に通じている人じゃなければきっと伝わらない。
……それにしても、発音の響きを音楽に例えるなんて、やっぱり奏は音楽に生きてるって感じがする。
そうだ……奏は作曲家であり、音楽に生きる人なんだ。
奏にとって必要なのは音楽で、世間が奏に求めているものも音楽。
円滑なコミュニケーションだとか、場の空気作りだとか、そういうことを奏は望んでこなかっただろうし、周りも求めたりしてこなかっただろう。
それなのに俺は、奏に会話にもっと気遣いを持って欲しいだとか、そんなことを考えてしまっている。
「——俺、今まで奏に振り回されてることが多いなって思ってた。
でも……よく考えたら、俺が自分の常識で物事を見て、奏をどうにかその常識の枠に嵌め込もうと必死になってるのかもしれない」
響は自分を戒める気持ちでそう口にした。
「奏さんを常識人の枠に入れるのは難しそうだよねえ。
でもまあ、演技はちゃんとやってくれるんで、俺は別に奏さんに対して人間性までは求めてないや。
響みたいに、一緒に暮らしていくとなると、そうも言ってられないだろうけどな!」
速水が同情するように言った。
「仕事仲間とかちょっと嫌なとことかあっても指摘することってあんまないじゃん?
お互い嫌な気持ちになるだけだし。
友達なら、目をつぶれるような欠点はやっぱり指摘しない。
許せないレベルの欠点だったらそもそも友達にならないから。
——だから相手の治して欲しいところとかズケズケ言っちゃうとしたら、俺の場合、彼女に対してくらいかなー」
「彼女?」
響が聞き返すと、速水は
「あ、今はフリーだけどな!」
と断りを入れた。
「今まですっぱ抜かれたことはないけど、過去に何人か付き合っては来たんだよ。
でも付き合うと、『俺の女だ』って気持ちが働いてしまうせいか、相手の言動や、果ては服装とか外見にまであれこれ口出ししてしまって——
それで振られたことが何度もある。ははっ」
「はは……」
「俺にとって『理想の彼女』でいて欲しいって願望に支配されちゃうんだよねえ。
それで、元々の彼女の性格を変えさせてでも、俺好みに近づけようとしちゃったり……。
あー、話してて気づいたけど、俺めっちゃ嫌なやつじゃん!」
速水が自虐的に笑っているため、響も合わせて笑ってみせつつ、ふと思うことがあった。
俺が奏にしてることって、右京が彼女にしてしまうことと似てるかもしれない。
奏にこうであって欲しい、っていう思いがあって、自分の価値観に寄せようとしてしまう。
奏と知り合うまで、俺は割と共感力があるほうだと思ってきたけど
奏の話すことにはあんまり共感してあげられて来なかった気がする。
それは奏が理解不能な人間だからではなくて、
俺が奏に共感してあげよう、と歩み寄る意識が欠けていたから。
奏のことを、俺の理想とする奏であって欲しいと望んでしまっていたからかもしれない——
その後も右京とお互いの趣味など他愛のない会話で盛り上がり、この日も露天風呂に入ることなく温泉を出た響。
二人で脱衣所で髪を乾かしていると、先に乾かし終えた右京が持参した荷物の中からヘアオイルを取り出した。
「これ、髪がツヤッツヤになるんだよねー」
「へえー。俺使ったことないんだけど、男って割と皆ヘアオイル使ってるの?」
「どうだろ?けど俺の場合は、これ使うと扱いやすい髪質になってさ。
特に撮影とかテレビ出演とかでヘアセットする機会が多い俺的には、このオイルが欠かせないんだよ」
「へえー。……あ。なんか良い匂いがする」
「そうなんだよー!俺、この匂いも好きでさあ!
なんか香水みたいな良い匂いだけど、香水ほどキツく香らないから丁度いいって感じ?
撮影現場でも、至近距離で話してる相手にくらいしか届かないレベルだから、そこも使い勝手良いんだよねー」
右京はヘアオイルを毛先に塗っていきながら、
「良かったら響も使う?」
と勧めてきた。
「うん。俺はあんまり髪にこだわりないけど、香りはすごく好きだから借りるね」
響は右京からヘアオイルを借りると、少しだけ手に取って髪に馴染ませてみた。
自身からふわりと良い香りが漂い、少しだけイケてる自分になれた気がして嬉しくなった。
——脱衣所を出て右京と別れた響は、自分の部屋に戻ってきた。
「ふう……」
冷蔵庫へ歩いて行き、ミネラルウォーターを取り出して飲んだり、バスタオルをかけたり、荷物の整理をしたりと部屋の中を歩き回っていると
先にシャワーを済ませて寝転んでいた奏がぽつりと呟いた。
「……速水さんの匂いがする」
「え?——あ」
響は奏の言葉を聞き、思い出したように答えた。
「そうそう、また浴場で右京に会ってさ。
右京お気に入りのヘアオイルってやつを貸してもらったんだよね」
響がにこやかに言うと、奏は
「ふうん」
とつまらなそうに返事をした。
そのあと、寝る支度を整えた響が布団に入ると、奏がぽつりと言った。
「——布団、もっと離してくれない?」
「え?」
「もっと離れて寝て」
個室の中に布団が二組敷かれているが、部屋のスペース的に隣にぴったり並べるほかなく、布団を離すにしても十数センチが限界である。
「悪いけど、スペースがないから離せないよ。
てか、なんで?俺、昨日奏より遅くに寝たけど、もしかして俺のいびきで目が覚めたとか?」
響が言うと、奏は「違う」と返した。
「匂いが、イヤ」
「匂い……?」
「速水さんの匂いが横からするの、なんかイヤだ」
「……!」
響はムッとして身体を起こした。
「ヘアオイルの匂いが気に入らないなら、もう一度髪を洗って落としてこようか?」
やや苛立った調子で言うと、奏は
「そんなこと、わざわざしなくていい」
と答えた。
「我慢できるレベルなら、わざわざ文句を言うなよ」
そう言って響が再び布団の中に入ると、奏はまた口を開いた。
「響。いつのまに速水さんのこと下の名前で呼び出したの?」
「はぁ?」
なかなか寝かせてくれない奏に、響は再び苛立ちながら
「さっき浴場で会った時からだけど?」
とややぶっきらぼうに返した。
「浴場で仲良くなったの?」
「まあね。裸の付き合いってやつかな。
温泉で話してるうちに仲良くなった」
「裸の付き合いをしたら仲良くなるの?」
「そーだよ。奏は知らないことかもしれないけど」
つい、口調が強くなってしまう。
さっきまで、奏との接し方について自己を省みていたばかりだというのに
今は奏の言葉に怒りを感じてしまう自分がいた。
「……うん。知らなかった」
奏は暫くしてからそう答えた。
そしてさらに間をおいた後、奏が言った。
「……響は、人の裸を見ても何とも思わない?」
「思わないよ。男同士なら」
「ほんと?」
「うん。温泉で他人の裸をジロジロ見る人なんていないよ。
少なくとも、俺は見ない」
「……」
奏は黙った後、「わかった」と口にした。
わかったって、何がわかったんだろう?
響は疑問に思ったが、その後奏は何も言わず、やがて眠ってしまったため
自分も釣られて眠りに落ちていった。
それから後に、響は自分の言動を深く後悔することになるのだが、この時の響は知る由もなかった。
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