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秋祭り①

次の日の撮影も無事に終わった。 響が帰り支度をしていると、 「よっ!」 という明るい声で肩を叩かれた。 「!——右京」 「お疲れっす!なあ、俺さっきスタッフさんから聞いたんだけど、旅館の近くで秋祭りやってるの知ってる?」 「ああ、縁結び神社でやってるやつ?」 「そうそう!」 「それなら、昨日も行ってきたよ」 「まじかー。俺、まだ行ってないんだよねえ。 響さあ、この後暇だったら一緒に行かない?」 「っ、えーと」 昨日奏を、『一緒に屋台行くか』って誘ったんだよな。 あの後ちょっと言い争う感じになっちゃったし、奏はもうそんな気なくなってるかもしれないけど…… 「奏にも、声かけてきていい?」 右京に断りを入れ、響は奏の元へ歩いて行った。 「奏。このあと右京も秋祭りの屋台に行きたいって言ってるんだけど、三人で行く?」 すると、それを聞いた奏は 「——俺、行かない」 と告げた。 「……あ、そう」 やっぱ、まだ不機嫌そうだな。 響は、特に奏に食い下がるようなことはせず、そのまま右京と共に秋祭りへ出かけた。 「ねっ!あれ、俳優の速水右京じゃない?」 右京と共に歩いていると、祭りに来ている客たちの中からそんな噂話が耳に入ってきた。 「あのぅ。サインもらえますか?」 「いいっすよ!」 客の一人からサインを求められた右京は、にこやかな笑顔でそれに応じる。 サインを書いてもらった客が嬉しそうに去って行った後、響は 「やっぱり右京って人気なんだね」 と声を掛けた。 「まあ昔からテレビに出てて顔の認知度だけはそこそこあるからさ。 ファンじゃなくてもとりあえず芸能人に会えたってことで記念にサインをねだられてる感じがしなくもないけど」 右京が自虐的に笑う。 「俺より、響や奏さんの方がよっぽどイケメンだしさ」 「いやいや……。奏はともかく、俺は人並みだよ」 響がそう返すと、右京は 「確かに奏さんは別格だよな」 と同意した。 「奏さんは顔の造形がめっちゃ整ってるよね。 線が細くて中性的な顔立ちだから、女性ウケする顔っていうか」 「確かに、奏は女性に人気が出る顔立ちだと思う」 ——ただ奏本人は、女性があまり好きではない。 その理由は奏が母親から性的虐待を受けていたからだ。 一緒に出かけるようなデート程度の付き合いならば問題ないけれど、一歩先の関係——身体を重ねるような行為には恐れを感じている。 夏姫を突き飛ばし、恐怖に震えていたあの日の奏が、響の脳裏に蘇る。 身体に触れられることをあんなに恐れていたのに、俺に対してはセックスしないかなんて言ってきたり。 怖いんだか怖くないんだか、奏の中での基準が今ひとつわからない—— 「おっ。響、見てみろよ」 「うん?」 響が我にかえると、右京が興奮した様子で向こうのほうを指差していた。 「あれ!射的じゃん!俺、得意だったんだよなー。 ——ちょっとやってかない?!」 右京に誘われ、響も後に続いて射的の屋台を訪れる。 右京が二人分のお金を支払ってくれたため、響も射的に参加することになった。 「——んんっ?あれぇっ」 右京は自信満々に引き金を引いたが、狙っている景品になかなか当たらない。 「おっかしいなー。数年やってなかったから、腕が鈍ったかぁ」 結局、当てることができなかった右京が悔しそうにぼやく。 「次、響やってみなよ。どれ狙う?」 「うーん」 そうだなあ…… 特に欲しいものはないから、当てやすそうなものにしておくか…… そう思って景品を眺めていた時、ふと視界に入ったものがあった。 「俺、あのぬいぐるみ狙ってみる」 見た目は普通のクマのぬいぐるみだが、お尻にネジがついているオルゴールのぬいぐるみ。 響が小さい頃、母親が開いているピアノ教室のインテリアとして同じものが飾られていた。 それを見つけて不意にノスタルジーを感じたのが理由の一つだ。 そしてもう一つ。 そのオルゴールに使われている音楽がパッヘルベルの『カノン』だった。 たぶん、音楽のチョイスと見た目の可愛らしさからいって、子どもの寝かし付け用のおもちゃなのだろう。 しかし、響はこのぬいぐるみが『カノン』を奏でることを知っていたため手に入れたいと思った。 これを奏へのお土産にしたら、きっと奏が喜ぶんじゃないかと思ったからだ。 「ええっ?響はぬいぐるみ狙うの? あー、もしかして彼女へのプレゼント?」 右京がにやついた顔で言う。 「なら、絶対当てないとな!」 響は黙って集中すると、射的の引き金を引いた。 弾はすべて外れてしまった。 「もう一回いいですか」 響は店番の人にお金を渡し、もう一度射的にチャレンジした。 今度こそ狙いを定めて撃つと、今度は見事に命中した。 「……やった!」 「やったじゃん、響!」 当てた瞬間、右京と一緒にはしゃぐ響。 良かった、これで奏にお土産が渡せる。 そう思いながら、景品を手提げ袋に詰めてもらっている間、ふと周囲のお祭り会場を見渡すと—— こちらを見て、一人佇んでいる奏の姿を見つけた。 「奏!?」 響が思わず声を上げると、右京も奏の存在に気づいた。 「あれっ、奏さんも来たのか。 おーい、奏さーん!」 響と右京がそれぞれに声をかけると、奏は呼びかけに何も答えず背を向けてしまった。 「あっ……」 なんだよ! 返事くらいしたっていいだろ! 無言で去って行く奏にふつふつとした怒りが湧いた響は、店番からぬいぐるみを受け取るや否や右京に言った。 「ごめん!俺、奏に渡すものがあるから追いかけてくる!」 ——右京の返答も待たず、ぬいぐるみの袋を持って駆けて行く響。 右京はぽかんとした表情で暫く眺めていたが、ふと気づいたように独り言をこぼした。 「……あのぬいぐるみ、奏さんへの贈り物だったのか」 「待って、奏!」 「……」 「なあ、待てってば——」 無言で歩いて行く奏の二の腕を掴むと、響は無理やり身体を自分の方に向けさせた。 「奏も来るんだったら、何でさっき『一緒に行く』って返事しなかったんだよ」 「……屋台には行きたいけど、響と右京と三人で行くのはヤだったから」 「なんだよそれ……!」 響はカッとなり、奏を掴んでいる手に思わず力が籠った。 「そんなに俺と出掛けるのが嫌だった? それとも、まさか右京のこと嫌ってるの?」 「……響と出掛けるのはイヤじゃない。 速水さんのことも、別にイヤじゃない」 「じゃあ、なんで——」 「でも、響と速水さんが仲良くしてるのを見るのは、なんかイヤだ」 「……っ」 響は言葉を失い、奏を掴んでいる手を離した。 「……俺が誰と仲良くしようと、俺の勝手じゃん」 「うん。二人の邪魔をするつもりはないよ」 「いや、そんなこと言われたら、こっちだって気を遣うだろ」 「気を遣わなくたっていい」 「遣うよ!!」 響は周囲の人の目を忘れて叫んだ。 「奏がいくら口で気を遣うなと言ったって、俺は気にするんだよ!そういう性格だから!! 奏が不機嫌だと気になるし、奏が悲しんでたら励ましたくなるし、奏が嬉しそうだったら俺も幸せな気分になるし——」 ……あれ? なんで俺、こんなこと言ってるんだろう。 「今日だって……本当は奏とも一緒に回れたらいいって思ってたよ。 昨日約束してたのに、奏に行かないって言われてショックだったしさ。 今なんて顔を見ただけで逃げられたりして、ほんとに頭にきてる。 しかも理由を聞いたら俺が他の人と仲良くすることが気に入らないとか—— 彼女でもないのに、彼女みたいな焼きもち妬かれて、俺どうしたらいいか分からないよ!」 ……焼きもち? そうか、奏の今までの言動は——焼きもちから来るものだったのか。 響は、自分が発した言葉によって、奏の言動に合点がいった。 響が速水の服を借りて着たとき。 速水と同じ香りのヘアオイルを付けたとき。 二人で行く予定だった秋祭りに速水も来ることになったとき。 奏は速水に対して嫉妬の感情を向けていたのだ。 「……彼女でもないくせにさ……」 響は怒りを込めて言いつつも、その後自分の口から出てきた言葉に動揺してしまった。 「彼女でもないくせに…… 一丁前に焼きもちを妬いてくる奏のことがさあ…… 可愛いって思ってしまうんだよ……!」 ——は? 俺、何を言ってるんだ……? 「奏が俺の作った料理とか、俺が買ってきたかき氷とか美味しそうに食べる姿とかさ。 奏が一生懸命演技に打ち込んでる姿とか……っ。 奏が人に話せないような重い過去を、俺に話してくれたことも—— 俺の頭の中、いつも奏のことばっかり考えさせられてる。 奏のことで一喜一憂してしまう。 なんでこんなに振り回されなきゃいけないんだよ……!」 こんなこと、言うつもりじゃなかった。 男同士なんだから。 そんな感情、持つわけないじゃないかって 自分と何度も対話してきただろ—— 「俺のことをこんなに奏のことで夢中にさせておいて、素っ気ない態度を取るなよ! 俺のことが好きだって思うなら、ちゃんと真正面から俺と向き合えよ……!!」 息を切らしながら、感情のままに言葉を出し尽くした響。 辺りは客達の喧騒が広がり、響の声だけが目立つようなことはなかったが、 それでも激しい口調で話す響の方へ訝しげに視線を向けて来る者達はいた。 他人の目なんて、今はどうだっていい。 俺は今、奏と話したいんだ。 奏に対してぶつけたい言葉を、ここで全部吐き出したことに悔いはない。 響が奏の返答を待っていると、奏はしばらく石のように固まっていたが、やがて小さな声で言った。 「……る」 「え?」 「……響と向き合いたいから—— 俺の……響に、見せる」 何を言っているのかよく聞こえず、響が聞き返そうとすると、奏は「来て」と言って歩き始めた。 奏は屋台の並ぶ通りを離れ、森の中の階段を登って行った。 階段の先には例の縁結び神社の境内がある。 すっかり日が沈んでしまったこともあり、参拝に訪れている客はいない。 皆、屋台の方に集まっているため 境内を歩いているのは自分たちだけだった。 奏は本殿の裏側まで歩いて来ると、そこで立ち止まった。 「……奏?こんなところまで来て、何?」 響が問いかけると、奏はおもむろに服を捲り上げ始めた。 「な……!?」 まさか奏、ここで『そういうこと』始めようって言うんじゃ—— 響が仰天して身構えていると、奏は上半身だけを裸の姿にしてみせた。 「……俺が温泉に入りたくない理由」 奏はそう言って、一歩響の方へ歩み出た。 「見て。響に見られてもいいって決心したから」 「っ、何を……?」 響は気まずい思いを抱えながらも、奏に言われるがまま奏の身体を見た。 暗くて分かりにくいが、月明かりが出ているため、うっすらと身体の輪郭が浮かんで見える。 「……胸。見て」 「胸?」 視線を奏の胸元へ向け目を凝らすと、響は言葉を失ってしまった。 奏の乳首にはピアスが付いていた。 左右それぞれ、体内を貫通する銀色のピアスは、奏にはおよそ不似合いな存在感を放っていた。 「……」 響が何も声に出せず、ただ胸を凝視していると、奏は 「こっちも見て」 と言って腹部を指さした。 「……っ!」 奏はへそにもピアスを付けていた。 「——俺が小学生の時、母さんが開けた」 「っ——母さん……?」 「母さんが俺で楽しむためにカスタムした名残り」 「……カスタム、って……」 響は言葉にならない怒りを感じた。 まだ小学生だった当時の我が子の身体にピアスを開けるなんて。 海外には、魔除けの意味を込めて生まれたての我が子の耳にピアスを開ける慣例のある国もあると聞くけれど、 きっと奏の母親は、魔除けや母国の文化といった意味合いでこれを開けた訳ではないだろう。 性的暴行だけじゃなかった。 これだって明らかな暴行の痕だ。 「小学生の時の記憶、最近まで忘れてた。 だからなんで自分の身体にピアスがあるのかも覚えていなかった。 他の人の裸を見るまでは、これが普通なんだと思ってた。 ——けど、中学生の時に友達と皆でプールに行った時、皆が俺を見て『ぎょっ』としてたのを覚えてる。 俺も、友達の胸やおへそにはこんなものが付いていないのを見て驚いたよ。 俺の身体が普通じゃないってことをそこで初めて知って、それから人前で裸になるのはやめた」 「……外そうとは、しなかったの……?」 やっとのことで響が口を開いた。 すると奏は、小さな声で答えた。 「……プールの帰りに、外そうとした。 でも、キャッチのところに接着剤が付いてて外れなかった」 「接着剤!?」 「母さんが、一生外れないようにってキャッチを固定してしまったんだ。 無理に力を入れてどうにか外そうともしたけれど、キャッチは動かなかった。 それに、外そうとするたびに酷い痛みもあった」 「……病院で外してもらうとかは……」 「誰かに外してもらうために、他人に裸を晒す勇気が出なかった。 友達が俺に向けてきた、何か別の生き物を見るような目が、忘れられなかったから……」 奏はそっと自分の胸元に手のひらを添えた。 僅かに赤く熟れたようになっている乳首が痛々しく見えた。 俺は本当に、奏のことを知らなかった。 奏の過去に触れて、奏のことを知れた気になっていたけど、まだまだ奏には深い傷がたくさんあったんだ。 それに気付かず、その可能性を考えもせずに俺は—— 「温泉にしつこく誘ったり、裸の付き合いの良さを語ったりなんかして、ごめん……」 響が謝ると、奏は 「俺が話してなかっただけだから」 と返した。 「……こんなに痛々しい痕があるなんて知らなかった……」 「響も引いたでしょ?」 「え?」 「今の響。中学生の時、俺の乳首を見た時の友達みたいな顔してた」 「……っ!」 違う! 俺はその人達とは違う!! 奏の痛みをちゃんと分かってあげられる。受け止めてあげられる。 俺はこんなことで奏に引いたりしない! 「俺は……っ!」 引いてない、と言ったところで—— 表情からすべてバレてしまっているのだからもう遅い。 「俺、は……」 痛々しい、可哀想、驚愕—— 奏のことを嫌いになんてならないけど、奏の身体を見て様々な感情が湧き起こり、反応を見せたのは紛れもない事実だ。 俺は……なんと言えば、奏を安心させてあげられるのだろう? 奏の心の痛みを取り除いてあげることができるのだろう? 俺は奏の抱えてきた苦しみを和らげてあげたいんだって、行動で示すには—— 「俺……奏に触りたい」

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