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秋祭り④

「な——」 奏が思わず目を見開くと、速水はニッと笑ってみせた。 「奏さん、今は大久保利通になりきるつもりで『彼ならばこんなふうに話すだろう』って頭で考えて演じてるでしょ? でも俺の経験上、考えながら演じてるうちは、どうしても違和感が出ちゃうんすよ。 だから目の前にいる西郷こと俺を、響だと思って話しかける感じでやってみません?」 「西郷隆盛を——響だと思って……?」 奏が繰り返すと、速水はうんうんと頷いた。 「このシーン、好きな人に自分の気持ちを気づいてもらいたい、でも強がってるせいですれ違う場面じゃないすか。 だから好きな人をイメージして演じれば、監督の指示に近づくと思うんっすよ!」 「……」 奏は、なぜ速水がそのようなアドバイスをしてくるのか不思議でならなかった。 速水には、自分の本心を話すような機会は一度もなかったからだ。 だが、演技の大先輩である速水のアドバイスは素直に聞いてみよう、という気持ちになった。 奏は五十嵐の元へ行くと、「もう一度お願いします」と告げた。 カメラが回り始め、周囲が静かになる。 響もスタッフ席から、息を呑んで眺めていた。 「……君の思想には、論理性がまるでない。 理想ばかりを語っていると気付かないのか」 奏は淡々とした口調で、見下すように西郷に視線を投げかけた。 「ハ!お前なんて、理想を忘れて利益主義に走ったくせによく言う! 俺は若き頃、お前とこの国の理想を語り合ったあの日から初志貫徹でここまで来た。 大日本帝国を守るためなら——祖国のためならば、俺は死ぬ覚悟がある。 死を恐れるような軟弱な輩には、分からない覚悟だろうがな!!」 速水は喧嘩をふっかけるように言い返す。 「……そうやって君は、簡単に命を投げ出そうとする。 理想のため、国のために命を捧げようとする。 そこが根本的に私とは合わないのだ」 奏は地面を見つめ、悔しさを押し殺すように拳を握り締めた。 「ああ、そうとも! 保身と金のために新政府を作ろうだなんて聞いて呆れる。 それで得をするのはお前を含む一部の特権層のみ。 それはこれまでこの国のために戦ってきた武人達を蔑ろにする行為だ。 先人の積み重ねてきた歴史を穢すつもりなのか!?」 速水の声が段々と感情を増す。 一方の奏の声は、段々と小さくなっていった。 「大日本帝国は今、歴史の転換点にいる。 君はただ過去に固執し、歴史を逆行しているだけだ。 私は国として在るべき機能を持った政治をすることを提示しているのだ。個人の利の為にあらず。 どうしてそれに気付かない? ——いや……気付けるはずがないか。 ……君は……昔からそうだ。 昔から……何もかもに鈍感な男だったからな」 己の感情がセリフとして剥き出しになるに従って、奏の声には張りがなくなっていった。 「……そうだ……。君が愚鈍なのが悪い。 私のように物事の機微に気付く、研ぎ澄まされた感性を持っていたのなら…… 私が君とここまで道を違えることもなかったというのに、な——」 奏はそこで小さく息を吐き出すと、ゆっくりと顔を上げ、速水と視線を合わせた。 「なあ、西郷……。 君は忘れてしまったかもしれないが—— 君とこの国の未来を語り合う時、私がいつも君に言っていたことを覚えているか?」 「フン——そのような大昔のこと、とうに忘れてしまったわ!」 速水が鼻をふんと鳴らしてそっぽを向くと、奏はおもむろに距離を詰め、速水のすぐそばまで接近した。 「!」 速水は、これまでは互いに一定の距離を保ちながら話す形で撮影してきたため、突然奏の振る舞いが変わったことに一瞬驚きをみせた。 速水が構えていると、奏は不意に手を伸ばし、手のひらで速水の頬を掴んで強引にこちらへ向けさせた。 「私を、見ろ」 ——そんなセリフはない。 五十嵐も速水も、スタッフ席にいる響も、これが奏のアドリブだとすぐに気がついた。 奏はそのまま速水と目を合わせたまま、じっと動かずにいた。 二人が見つめ合ったまま、長い間が流れていく。 やがて奏は、熱を帯びた視線を速水に送り、唇を震わせながら次のセリフを言った。 「……私は、君にこう言ったんだ。 『二人で良い国を築いていこう。 私が理想とする世には、必ず君がいる。 誰もが幸せに暮らせる国を共に作るために、君には隣に立っていてもらわないと困る』とね。 ——この意味を、もし君が真に理解していたのならば、このような末路は辿らなかっただろうね」 瞳を一瞬だけ潤ませながらも、その本心に気づかれる前に、再び気丈な表情を取り戻す奏。 ——そこで五十嵐から「カット」の声が掛かった。 「……今の、凄く良かった! これ以上にないほど完璧だったよ!!」 「アドリブ入れちゃったんですけど、大丈夫でしたか?」 奏が尋ねると、五十嵐は「問題ない」と返した。 「むしろ、あの一言に、大久保の本音が詰まっているようにも思えた。 自分を見て欲しい。自分の心の内を見透かして欲しい——と暗に訴えているのが伝わってきた。 『私を見ろ』……よくアドリブで出せたと思うよ」 五十嵐が絶賛すると、速水も大きく頷いて言った。 「このシーンのために同じセリフで何度も掛け合いをしてきたっすけど、初めてドキッとしましたよ! 大久保から好意を向けられてるってこと、あの熱を帯びた視線、震えた声、アドリブの言葉から伝わってきて——思わず俺もドキリとしてしまいました」 それを聞いた奏は、二人に対して小さく会釈をした。 「……ありがとうございます」 初めて奏から出た感謝の言葉に、五十嵐も速水もぽかんと口を開けたが、やがて二人とも目を細めた。 「——響」 その後休憩が入ると、奏は響の元へ駆け寄って来た。 「どうだった?今の演技」 響は、奏が速水に熱い眼差しを向けるシーンを近くで見ていた。 その時の奏の表情が、速水に対して本気で恋しているのが伝わってくるような切なさを醸し出していて—— 響は思わず、そんな視線を向けられている速水に嫉妬してしまった。 「……凄く良かったよ。 奏が……大久保が、西郷に強い思いを寄せているのが伝わってきて——」 すると奏は、唇の端を僅かに上げた。 「——良かった。 速水さんから、『西郷を響だと思って演じてみろ』ってアドバイスをもらってその通りにしたら、上手くできた」 「!!」 「じゃあ、撮影に戻る」 響が目を丸めたまま固まっていると、隣に座っていた早苗が頬を染めて響を覗き込んできた。 「……あらあらあらー!? やっぱり二人……そういうことぉ!?」 「……」 「同室にして正解だったわねえ! 初日に押しかけて酔い潰れちゃったから、昨日と一昨日は訪問を自粛したけど…… その間に二人の距離が縮まっちゃった感じ!?」 「……加納さん」 響は額に手を当て、大きく息を吐き出した。 「——俺、奏のことが好きみたいです」 こうして、このロケ地での見せ場のシーンを無事撮影できた後は、残りのシーンを早々に撮り終え撤収となった。 翌日に帰りのバスに乗るため、この日が宿泊最終日となった一行は 予定通りに撮影を終えた祝いと、残りの撮影に向けての景気付けとして、最後に旅館の宴会場を貸し切り打ち上げを行なった。 「はぁー、撮影を終えた後のビールは最高ねー!」 「わかるっす!クランクアップは未だだけど、一区切りついて解放された感じ!」 早苗と速水は陽気にグラスで乾杯し、ビールを流し込んでいっている。 「?……マネージャーは撮影してないよね?」 近くに座っていた奏がぽつりと呟くと、響は「まあまあ」と言った。 「マネージャーとしてここまでついて来てくれて、周囲にも気を回して何かと大変だったと思うよ。 撮影中も手帳を何度も開いて、後のスケジュールを確認したり、事務所に進捗報告の電話をしたり、予定が押してきたら他のスタッフさんと調整をしたりで忙しそうにしてたし」 「そっか。マネージャーはマネージャーで働いてたんだ。 見てなかったから、気づかなかった」 「そうだよ。一行の中で仕事をしてなかったのは俺くらいなものだよ」 響はそう言って苦笑いを浮かべると、瓶ビールを持ち上げて奏のグラスに注いだ。 「……響は仕事、したよ」 奏はグラスを手にしたまま、響を見た。 「響が居てくれたから、俺は演技ができた。 ここまで撮影を続けて来れたのも、響が居たから」 「……奏……」 「それから監督、速水さんにマネージャー、そしてスタッフさんや他の演者さん——皆が居てくれたお陰。 皆のお陰で、俺、頑張れてる」 シン、と一瞬あたりが静まり返った。 奏が不思議そうに周囲を見回すと、皆奏を見て、目を潤ませている様子だった。 「如月奏が……皆のお陰って言った……」 「何考えてるかわからない人だと思ってたけど、泣かせること言うじゃん」 「俺たちも、奏さんのお陰で良い映画が作れてるって実感してるよ!」 周囲の人々が口々にそう言い、奏のグラスに自分のグラスを重ねて行った。 「……なんで皆、グラスを合わせていくの?」 奏が不思議そうに、皆の行動を眺めていると、 「そーちゃんんん!!」 と早苗が号泣しながら抱きついて来た。 「偉い……っ! 皆に感謝の気持ちを伝えられるようになったんだねええ! 成長したねえー!嬉しい……」 酔っ払っていることも相まって、いつも以上に感情的になっている早苗は、わんわんと泣きながら奏に頬ずりをした。 奏は頬ずりをされている間、無表情のままそれを受け入れていたが、 響は人目を憚らず奏とくっつける早苗の立場が少し羨ましく思えた。 「それもこれも、サツキくんのお陰だね……っ!」 「え?俺ですか?」 突然、早苗から名前を出された響が反応すると、速水も 「確かに響のお陰かもなあ!」 と含みを持たせた笑みを見せた。 すると、少し離れたところで飲んでいた五十嵐もやって来て、響と肩を組んで言った。 「この映画は役者、スタッフ皆で作り上げている映画だ。 ここにいる全員が、映画の完成のために必要な存在だ。 ——皐月くん。君ももちろんその一人だ。 これから先も、チームの一員としてよろしく頼むよ!」 五十嵐に肩を叩かれ、奏と同様に皆に取り囲まれた響は、照れ臭さを感じつつも、心がじんわりと温まるのを感じた。 ——部屋に戻って来ると、奏はぐったりしたように窓際の椅子に腰を下ろした。 「……はぁ。いろんな人にお酒注がれて、凄い飲んだ」 「まあ最終日だしね。明日はバスで帰るだけだし、一区切りついたことで皆リラックスして飲んでたね」 「響は酔ってないの?」 「俺は響ほど飲んでないし、元々お酒は強い方だから平気」 「……ふうん」 奏は目を閉じ、酔いを醒まそうと深呼吸を繰り返した。 「大丈夫?水、飲んだほうがいいんじゃない?」 「うん……」 響は客室備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、奏に手渡した。 奏がボトルを傾けて体内に流し込んでいく間、響は思い出したように室内の押し入れに歩いて行き、中から大きな袋を取り出した。 「……そういえば、昨日これを渡すのをすっかり忘れてしまってた」 「……この袋……響が射的で当ててた景品?」 「そうだよ」 「……俺に?」 「うん」 奏は袋を開け、中からぬいぐるみを出した。 「クマのぬいぐるみって……俺、ハタチなんだけど」 「これ、ただのぬいぐるみじゃないんだよ」 響は一度奏からぬいぐるみを取り上げると、お尻のネジを回してみせた。 部屋の中に、カノンの旋律が流れる。 「!……これ……」 「パッヘルベルのカノン。これオルゴールなんだよ」 「……」 奏は食い入るような目で、音の鳴っているぬいぐるみを凝視した。 「……不思議なぬいぐるみだ」 「これさ、俺の実家にも同じのがあったんだ。 俺が小さかった頃、母さんのやってるピアノ教室のレッスン部屋に飾られてたんだけど 生徒たちが皆面白がってネジを回しているうちに、いつからか鳴らなくなっちゃって。 射的の景品でこれを見つけた時、当てて奏にプレゼントしたいなって思ったんだ」 「俺に、プレゼント……?」 奏はまじまじとぬいぐるみを見つめていたが、やがてカノンの音楽が鳴り止んだとき、そのぬいぐるみを両手でそっと抱き締めた。 「……嬉しい。 響がくれたプレゼント。 俺のものだ……」 ぬいぐるみを抱き締める奏が、まるで子どものように愛らしく見えた響。 「……あのさ」 響は、今朝奏に聞けなかったことを尋ねてみた。 「昨日のこと、覚えてる?」 「昨日?……うん」 「今朝の奏が、なんていうか…… ちょっと素っ気ない感じがしたからさ。 昨晩はその、色々あったけど、一晩明けて冷静になったことで、奏が何か後悔してることがあるんじゃないかって不安に思ったんだ」 すると奏は、ぬいぐるみを抱き締める手を緩め、響を見上げた。 「……それこそ響だって後悔はないの?」 「え?」 「響こそ、一時的な気の迷いがあったんじゃないかって——俺、目が覚めた時、すごい怖かった。 昨日のことが全部夢だったらどうしよう。 響は何も覚えてなかったらどうしよう、って」 「夢じゃないし、何も忘れてないよ」 「……俺、今日は大事なシーンを撮影するって聞かされてたから…… もし響に近づいて拒絶のような態度を取られたら、気持ちを切り替えることができなくなると思って……自分から距離を取ってたかもしれない。 ——ごめん」 奏が言うと、響は「はは」と思わず笑った。 「奏が謝ってくるなんて珍しい。 ——でも、そっか。俺も不安に思ってたけど、奏も同じように思ってたわけだね。 ……良かった。安心した」 響は思いっきり伸びをすると、 「じゃ——俺、酔いも冷めてるし温泉入って来ようかな」 と言って背を向けた。 「待って」 すると奏が後ろから響のシャツを掴んできた。 「……響が温泉に行くなら、俺も行きたい……」

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