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『My Chocolate』①

——そのまま寄り添って眠りについた響と奏だったが、響が目を覚ました時、ベッドに奏の姿はなかった。 目覚めた途端、そこが普段寝ている書庫ではなく、二階の奏の部屋だと気づいた響は 昨晩の出来事を思い出し、思わず再び目を閉じた。 あー……。 深夜のテンションも相まって、だいぶ大胆な発言ばっかりしちゃってたな……。 ……大胆なのは発言だけじゃなかったか。 奏は先に起きたのかな? 俺より早く起きるなんて珍しい。 下に降りていって朝食の支度をしないとだけど——なんでだろう。 奏と顔を合わせるのが、なんだか恥ずかしい。 ——昨日、とうとう挿入までしちゃったんだよな。 俺、奏の中に入って……それから、奏から出たものを呑んで……。 ああー…… 「……幸せだ……」 思わずそう漏らすと、覚悟を決めて布団を出た。 そうだ。 俺と奏は恋人同士になったんだ。 セックスだってして当たり前じゃないか! 気まずいとか、恥ずかしいとか、そんなの気にすることないだろ! 響は自分に言い聞かせ、階段を降りていった。 ——その途中で、ピアノの音が耳に届いた。 奏……朝からピアノを弾いているのか? 響がピアノの部屋を覗くと、そこには右手で譜面に何か書き込みながら、左手でピアノを触る奏の姿があった。 作曲してるのか。 邪魔しないよう、響がそっと部屋を出ようとすると 「響」 と呼び止められた。 「あ——おはよう」 「……おはよ」 「作曲の途中でごめん。朝ごはん未だだろ?キッチンに作って置いておくから」 「……うん」 奏はコクリと頷くと、再び譜面に視線を戻した。 驚いた。 前は、俺が同じ部屋にいても、作曲中の奏はまったく俺の存在に気づくことがなかったのに。 俺に気づいて、作業の手を止めてこっちを見るなんて、以前の奏ならば信じられないな。 響はそんなことを考えながら、だし巻き卵を巻いていった。 それからご飯と味噌汁とサラダを用意し、奏の分にはラップをかけた。 「……」 響は、ピアノの部屋から漏れ聞こえてくる音色をお供に朝食をとりながら、ふと思った。 そういえば、この時代にタイムスリップしてから、俺って家事ばかりをして一日を終えているけど—— どうせ他にすることがないのなら、俺も……久しぶりに挑戦してみるかな。 「——何してるの?」 奏がピアノの部屋を出てきた頃にはすっかり昼を過ぎていた。 響の用意していた朝食を食べた奏は、リビングに座っている響の姿に気付き、声を掛けてきた。 「奏の真似」 響は顔を上げ、五線紙を奏に見せた。 「奏が作曲する姿を見てたら、俺も何か作りたくなったんだ」 「……そういえば、初めて会った日にも披露してくれたよね。響の作った曲」 奏が言うと、響は「はは」と小さく笑ってみせた。 「あれも、奏の音楽に影響を受けて作った、奏の二番煎じだよ」 「そんなことない。良い曲だったよ」 「いやいや。音楽科の仲間たちに『如月奏っぽい音楽』って散々言われたんだよ」 「でも、響が生み出した曲なんでしょ? なら、響の曲じゃん。 『っぽい』とか言われる意味がわからない」 すると響は「ありがと」と言いつつ、寂しそうに五線紙を眺めた。 「……奏はさ、音楽を作る時に何か別の音楽を参考にしたことはある?」 「?——特定の音楽、というのはないかな。 ピアノを習っていた時は、色々な音楽を聞いたり弾いたりして基礎を学んだけど」 「作曲してる時、何か別のことを思いついたりして、作業の手を止めたりすることはある?」 「……お腹が空いた時と、眠くなった時には中断するよ。 丸一日食べない、寝ないなんてのを何日も続けることはできないから」 奏が不思議そうに答えると、響は微笑んだ。 「そう。奏はそれが自然にできてるんだよ。 俺には、それができない。 曲を作る時には誰かの音楽、ほとんどは奏の音楽にインスピレーションをもらっていたし、構成や進行も参考にしてた。 それから作曲してても三食決まった時間に食べるし、同じ時間に眠くなるし、 学校の課題や友達との約束をふと思い出したり、電話が来たら出たり、作曲だけに集中するなんてことはできなかった」 「……でも、曲を作る過程なんて人それぞれでしょ。 出来上がる曲だって人それぞれ違うんだから」 奏が首を傾げると、響はこう返した。 「人それぞれだろうけど、それで出来上がる曲のクオリティに、過程の結果が出ると思うんだ。 ——俺は奏の作る、聴いた人の心を掴んで離さない中毒性のある曲は作れない。 作ってる本人が途中で集中を切らしてるんだから、聴いてる側が途中で飽きるのも至極当然だよね」 「自分の作る曲にネガティブなんだね」 奏は響の隣に腰掛けると、 「ちょっと見せてよ」 と言った。 「——まだ序章しか書けてないけど」 響が少しだけ書き込まれている譜面を渡すと、奏はそれを覗き込んだ。 「良い曲じゃん」 ものの数秒のうちに、奏はそう口にした。 「そんなことない。俺また、奏の作った曲に似た音楽を作っちゃってるかもしれないし。 特に、今奏が作ってる曲とはなるべく似たテイストにならないよう、 意識して作っていたつもりだったけど……」 「え?俺の書いてる譜面見たの? 今朝ピアノの部屋を響が開けた時、中までは入って来なかったよね。 まさかあの距離で見えたとか?」 「いや、そうじゃないよ。 ほら、俺は元の時代で奏の音楽を沢山聴いて弾いてきたから。 奏が今まで作った曲もこれから作る曲も知っているからさ——」 「ああ、なるほどね」 奏は納得したように顔を上げた。 「じゃあ俺が今作ってる映画用の曲——『My Chocolate』の完成系も、響はもうとっくに知ってるわけだ」 「……そうなるね」 響がなぜだか気まずい気持ちで頷くと、奏は 「じゃあ、俺が今作ってる曲、続きは響が譜面を完成させてよ」 と言った。 「えっ!?」 「だって完成を知ってるんでしょ?」 「そんなことしたら、奏が作曲したことにならなくなるだろ」 「え?俺の作った曲なんじゃないの?」 「いや、だからそんなことしたら未来が改変されるというか……」 「改変しちゃだめ?」 改変—— できた方が、いいよな。 だってそうすれば、奏が43歳で死ぬ未来も回避できるかもしれないんだから。 ……だけど、如月奏が音楽を生み出すのと、奏が死ぬことは因果関係になるだろうか? 「そこは、ちゃんと自力で生み出したものを披露してほしい。 ——如月奏のファンとしては」 響は本心からそう告げた。 「……ま、ズルは良くないか」 奏はうんと伸びをすると、 「続き、やるかあ」 と独り言を溢し立ち上がった。 「——あ。そうだ」 リビングを出て行こうとしたとき、奏は思い出したように振り返って響に言った。 「響は俺の音楽にインスピレーションをもらってるって言ったけど—— 『2月のセレナーデ』だって響からインスピレーションをもらったんだよ。 前にも話したけどさ」 「!……」 「それに、今書いてる曲だってそうだよ」 「え?」 響が思わず声を漏らすと、奏は少し顔を赤らめ、視線を外した。 「チョコレートって、響と居る時に感じる気持ちに似てると思った。 甘くて、とろけて、その味を知るともっと欲しくなる—— そう考えたら、自然にメロディーも浮かんで来た。 響が俺の曲にインスピレーションを受ける以前に…… 俺が曲作りにおいて、響からインスピレーションをもらってるんだよ。 だから——感謝してる」 奏はそう言い残すと、しゅっと姿を消してしまった。 「……なんだよ」 リビングに取り残された響は、くしゃりと後頭部の髪をかいた。 そんなすぐ居なくなられたら、お礼の一つも言えないじゃん。 響は小さくため息をついた後、口元に笑みを浮かべ、再び五線紙と向き直った。 ——『My Chocolate』と付けられたその楽曲は無事納品されたものの、奏は息をつく暇もなく次の作曲依頼が舞い込んできた。 それと同時に映画の撮影にも行かなければならない奏は 撮影のあった日には帰ってすぐに寝てしまうことが増えて来た。 二階の寝室まで階段を上る気力も起きず、リビングのソファで眠ったり 時には作曲中、ピアノの椅子に腰掛けたまま寝ていることもあった。 その度に響は奏の身体にブランケットをかけ、部屋の灯りを消してやっていたが 奏の忙しさを肩代わりできるようなことは何も無かった。 家事全般は今までも響が担当していたが、仕事を代わってあげることはできない。 作曲も演技も、奏自身でなければ務まらない。 響はそんな無力さを感じながらも、家の中のことはできる限りサポートしつつ、空いた時間には作曲をして過ごした。 ——こんな生活を、あとどのくらい続けられるのだろう。 この時代に、まだ戸籍の存在しない俺は 自分を証明する何もかもを持っていない。 病院にも保険証、マイナンバーは持参できない訳だし 車の運転も免許が手元にないからできない。 納めるべき税を納めていない代わりに 外で働いてお金を得ることもできない。 将来のことや、不測の事態が起きた時への不安は募るが、 かといって元の時代に戻ってしまえば 奏には会えなくなってしまう—— いつの頃からか、元の時代に帰りたいと望むことをしなくなっていた響は、 帰り方を探そうとはしていなかった。 だが多忙な奏を支えるために自分ができることに限りがあるというのは 自身の置かれている状況への焦燥感をも募らせていくのだった。 「——明日、雑誌の撮影に呼ばれてる」 それから少しして、夕食を摂っていた際、思い出したように奏が言った。 「雑誌?奏、雑誌に載るの?」 「うん」 雑誌といえば、前に女子高生や女子大生向けのファッション誌で 夏姫さんとデートする設定で載ったことがあったっけ。 夏姫さん、あれ以来すっかり見なくなってしまったけど、芸能界を引退したんだろうか。 あの時はまだ、俺が奏に対して特別な感情を持っていなかったから 二人が上手くいくことを望んでいた頃だっけ—— 響がぼんやりと思い返していると、奏がそれに気づき 「言っとくけど、ファッション誌ではないよ」 と返した。 「——映画情報誌ね。 『血染めの理想郷』改め『2月のセレナーデ』でダブル主演を務める俺と速水さんにインタビューしたいんだって」 「へえー、右京と?それなら心強いね!」 響が笑顔で言うと、奏は少しむすっとした表情を浮かべた。 「響って、速水さんのこと気に入ってるよね……」 「友人として、ね」 「あ、そ」 「何?また焼きもち妬いてるの?」 響がにやにやと笑うと、奏は 「別に」 と言って顔を背けた。 「妬いてないってことの証明に、明日の撮影、響も付いてくれば?」 「え、いいの?」 「速水さんと仲良くしてても、気にしないし」 「いや、っていうか撮影に関係ない俺がそこに居て良いの?」 「知らないけど、いいんじゃない? ファッション誌の撮影だって、『2月のセレナーデ』の撮影にだって自由に出入りできてたじゃん」 「ふうん。面白そうだから、行こうかな」 奏がインタビューで何を語るのか興味あるし。 役者としての奏はだいぶ見慣れてきたけど、モデルをしている奏を見れるのは珍しいもんな。 響がそう考えていると、奏はじとりとした目で響を見た。 「……そんなに、速水さんに会いたいんだ……。 確かに『2月のセレナーデ』では西郷隆盛が死ぬシーンまで撮影が終わっちゃったから 最近現場に速水さん呼ばれてないしね」 「そりゃ右京にも会いたいけどさ。 俺は雑誌のインタビューを受ける奏を見てみたいと思ったから、行きたいって言ったんだよ」 響は呆れたように苦笑いを浮かべた。 「それに、奏だって声をかけて来たってことは、俺に付いてきて欲しいと思ってるんでしょ?」 「……」 奏はむっとしつつも、小さく頷いてみせた。 そんな奏の態度が可愛らしいと思いつつ、響は食器を下げ、明日に備えて寝る支度を整えた。 翌日、早苗と合流してから映画情報誌『レオナルド』の撮影現場に向かった響と奏。 映画で着用しているものとは異なるが、幕末を思わせる和服に袖を通し、その後メイク室で髪や肌を整えていく。 「男の人も、メイクってするんですね」 メイクアップアーティストが、奏の頬にファンデーションを塗り込んでいる姿を側から見ていた響が驚いたように言うと、 隣で手帳を覗いていた早苗が顔を上げ、こう返した。 「するわよ!女の人ほどガッツリとじゃないけど、クマとか青髭とかを隠すためにうすーくお化粧するの。 まあ、ファンデやコンシーラーで隠しきれない肌荒れがあっても、後からパソコンの専門ソフトで修正できるんだけどねえ」 「へえー……」 響が関心しながら頷いていると、メイク室の扉が開いた。 「遅れてすんません! ——って、響!久しぶりだなぁ!」 扉から入って来たのは速水だった。 「右京!——雰囲気変わった?」 久しぶりに見る速水は以前の黒髪から一転、金髪に変わっていたため、一瞬別人のように見えたのだった。 「おう!『2月のセレナーデ』がクランクアップして、今は新しいドラマの撮影に入ったからさ。 チャラ男を演じるから、役作りでこんな派手髪にしたんだけど、こっちの方が似合ってるって言われることが多くてさあ。 チャラい役が似合うって、なんか複雑だよな!俺全然チャラくないのに」 そう自虐しつつ、明るく話している様子を見るに、本人はあまり気にしていない様子だった。 「ほんと!見違えたわねー」 早苗も驚いたように言うと、速水の側まで寄り、彼の顔をまじまじと見つめた。 「あら、眉毛もブリーチしてるの?」 「ええまあ。男の金髪って眉は地毛のまんまって人も結構いるっぽいんですけど、 個人的に髪と眉の色が揃ってないのは手抜きっぽく思われそうだから落ち着かなくて!」 「ああー分かるわぁ。 眉だけ黒いと浮いちゃって、バランスが悪く見えるのよねえ。 私も髪を染めてるから、アイブロウマスカラが欠かせないのよー」 早苗と速水が楽しそうに話す合間に、響も 「右京は相変わらず美意識高いな」 と入る。 「温泉宿でもヘアオイル使ってたし、私服も海外ブランドのお洒落なものだったし」 「まあな。ビジュアルで売ってないとは言っても、人に見られる職業である以上、その辺の人よりかは見栄えに気をつかう方だと思う。 響みたいに元からイケメンだったら、小手先で盛る必要もないんだけどなー」 「はは、なんだよそれ」 三人が盛り上がる最中、奏は口を開くことなく、ヘアセットされていく鏡の中の自分を見つめていた。 「——よっ!奏さんも久しぶり!」 会話にひと息ついた頃、速水が奏にも挨拶をする。 「どうも」 「ははっ。奏さんは相変わらずのあっさり対応ですねえ。 カメラの前じゃ、あんなに熱い思いをぶつけ合った仲なのになあ」 速水が茶化すように言うと、奏は 「芝居は芝居。現実とは違うから」 と冷たく返した。 「もうっ、そーちゃん? 今日一日いっしょにお仕事する相手に、もうちょっと愛想良くできない?」 早苗が嗜めるように言うと、速水が 「あ、いやいや俺こそすんません!」 と慌てて謝った。 「そっすよね。現実の方じゃ、奏さんと熱い思いをぶつけ合ってる相手は俺じゃなくて響ですもんね!」

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