36 / 56

寝台列車旅行①

それから暫くして—— 夜九時を過ぎた東京駅。 「お待たせー!」 約束の時間よりだいぶ遅れて、待ち合わせ場所にやって来た早苗と速水。 「遅いよ。何してたの?」 奏が息を切らしてやって来た二人に言うと、 「すんません。いや、それがね……」 と速水が口を開き、 「そうそう。聞いてよ!」 と早苗もまた口を開いた。 「これから乗るのって寝台列車じゃないっすか。 折角だから起きて車窓眺めてたいじゃないすか! 仮眠取っとこう、と思ったらつい寝過ぎちゃって」 「私は髪のセットに時間がかかって。 ほら、寝台列車ってシャワー有料なんでしょ。 おうちでお風呂に入ってから出ようと思ったら、髪がなかなか乾かなくてぇ」 「それから、旅行先で着るつもりだった俺の服、まだ洗濯してなかったことに気付いて」 「出発も夜十時前だから、先にご飯を食べとこうと思って」 「で洗濯ついでに、夜のうちにゴミ出しに行っとこうかなあとか、他にも家事済ませてたら、荷物をまとめてなかったことに気付いて」 「私はスーツケースに詰めた中身を見直したら、大事なスキンケア道具を入れてなかったことに気づいて、慌てて小分けボトルに移して詰め直して」 「そして洗濯が終わった後に、そういえばウチ乾燥機ないから今洗濯終わった服なんて持ってける訳ないじゃんって気が付いて、代わりに着る服を選んでたらこんな時間になったっす」 「スキンケアを小分けしたら、化粧水が切れかかってることに気付いたから、ネットで注文しとこうってパソコン開いたのね。ほら、こういうのって気づいた時にやらないと忘れちゃうじゃない?それで通販してるうちにこの時間よ」 二人が同時に、自分の遅刻した理由を並べ立て、響と奏は死んだ顔でそれを聞いていた。 「……二人って、同棲してるんだっけ」 言い訳が終わったところで響が訊ねると、 「いや?」「いいえ?」と二人はそれぞれ返した。 「似た者同士なのは分かった」 奏が呆れたように言う。 「そーちゃん、でもね、私仕事で遅刻したことは一度もないのよ? どんなにお酒を飲んでも次の日はちゃんと出社するし、スケジュール手帳はオフの日も持ち歩くし。 ほんと今日の旅行に浮かれすぎて、調子が狂っちゃっただけ」 早苗が言うと、奏は 「それは知ってるけどさ」 と言った後、ちらりと速水を見た。 「この人と付き合ってることで時間にルーズになってきたんじゃないの?」 「誤解っすよ!」 速水は慌てて否定した。 「俺だって、仕事に穴を開けたことはないっすからね!? 関係者に迷惑をかけて嫌われたら、この業界でやってけなくなりますし!」 「俺と響には迷惑かけてもいいんだ?」 「ほんとすんません!!」 速水は深々と謝ると、 「とりあえず、乗りましょ」 と三人を促した。 ——寝台列車に乗り込むと、奏は通路を見渡して目を丸めた。 「個室?電車なのに?」 「だって寝台列車だもの。走るホテルみたいなものよ」 「こういうの初めて乗った」 「チケット取るの大変だったんだから! しかも、その中でも競争率の高い二人部屋を二つも押さえることに成功した私に感謝して欲しいわァ」 早苗が鼻高々に奏に言った。 「そういうわけで、目的地の出雲に着くまではカップル各々、自由に過ごしましょう! あ、鍵はかけといた方がいいですよ、誰かが部屋を間違えて入って来るかもしれないんで!」 速水は奏と響に鍵の掛け方や、ライトの付け方、アメニティの場所などを説明すると 「じゃあごゆっくり!」 と言い、早苗と二人の部屋に消えていった。 「寝台列車なんてワクワクするね」 響は部屋に鍵をかけると奏に言った。 「ここに12時間も滞在するの?こんなに狭いとこに?」 「事前に早苗さんが旅のしおりを作って、部屋の内装写真とかも添えてくれてたけど、それ読まなかった?」 響は、早苗お手製の『旅のしおり』をリュックから取り出してみせた。 「それなら見たけど……。写真より、狭い」 「この狭さがロマンなんじゃないか!」 響はどこか興奮した様子で言った。 「俺、一度この列車に乗ってみたかったんだよね。 旅行の行き先を決めてる時に、加納さんが『出雲大社でカップル二組の幸せを祈願するなんて素敵じゃない!?』って提案してくれてさ。 島根に行くんだったら、この列車に乗るチャンスだと思ったんだ」 「寝台列車、響の提案だったの?」 「うん。そしたら加納さんも右京もこれに乗ったことがあるらしくて。 楽しかったから、じゃあまた乗ろうかって話になって、チケットも早々に押さえてくれたんだよ」 「そうなんだ。俺、旅行なんて修学旅行や『2月のセレナーデ』でのロケくらいしか経験ないから、どこに行きたいとかもなくて……。 『どこでもいい』って丸投げしてたから、そういう話になってたのも知らなかった」 「まあそういうわけだから、楽しもうよ。 せっかく加納さんが気を利かせて二人ずつの部屋を取ってくれたわけだし」 響はリュックをベッドに置き、窓の外を眺めた。 「ほら、夜景が見えるよ。 丸の内はこの時間でも眩しいね」 響が言うと、奏も窓を覗き込んだ。 「ほんとだ。夜中なのに明るい」 「こんな遅くまで働いてる人たちがいっぱいいるんだろうね……」 「遊んでる人もいるだろうけど」 「遊ぶ人がいる分だけ、場所とかサービスとか遅くまで運営して頑張ってる人がいるってことだよだなあ」 「響だって我が家の家事、夜まで頑張ってるじゃん」 「う、うん……」 響は苦笑いを浮かべながら、その後も窓の外をぼうっと眺めた。 ——家事はしてるけど、お金を稼いでるわけじゃない。 専業主婦、主夫だって立派な仕事ではあるけれど、俺は主夫ではない。 奏の家に居候して、奏に衣食住のお金を出してもらっているからこの時代にいても暮らせているわけで……。 俺、奏に生活を依存してるんだよなあ。 本当は俺が稼げたら、奏も不規則な生活をしてまで色んな作曲の仕事を引き受ける必要もないのに。 まあ、別に奏はお金に困ってるわけじゃなくて、自分がやれると思うからほとんど断ることもしないんだろうけど。 ……でも俺が稼いだお金でなければ、例えば奏に何かプレゼントをしたいと思った時にもできないし…… 今回の旅行代だって、奏が俺の分まで列車代と宿泊代を加納さんに渡してくれたわけで…… 奏にばかりおんぶに抱っこって、やっぱ少し情けないよな、俺—— 「思ったより、はしゃがないんだね」 響がぼんやり外を見ながら自分と対話をしていると、ふいに隣から声が掛かった。 「えっ?……ああ。夜景を見るのに夢中になってた」 「夢中ってほど夜景見てた? ずっと一点だけ見つめてぼんやりしてたけど」 「そういう奏こそ、俺の顔をずっと見てたってことじゃん」 「悪い?」 奏がムッとした表情を浮かべると、響は 「いいよ。奏が飽きるまで見てれば」 と返した。 「それってフェアじゃなくない? 俺は響を見てるのに、響は外を見てるって」 「そう思うなら奏も景色を見ればいいじゃん」 「響が俺を見ればいいじゃん」 「ええー。せっかく寝台列車に乗ってるのに?今しか見れない貴重な景色なのに」 「それを言ったら俺の顔だって、ずっと見てられるかわからないでしょ」 奏が言うと、響は「確かに」と言って窓から顔を離した。 そしてじっと奏を見つめると、奏は今度は 「そんなにじろじろ見ないでよ」 と言い出した。 「俺はどうしたらいいんだよ」 響が困惑すると、奏はその問いかけを無視し、 「あ。工場夜景だ」 と呟きながら窓の外を見た。 「えっ!どこ?!」 それを聞いた響は、再び窓の方に身を乗り出した。 「ほら、ちょっと奥のほう。前方に見える」 「わ、ほんとだ!」 ……煙突から出てる煙が夜の空にくっきり見える。 オレンジとか緑とか、あのカラフルな照明にもそれぞれ意味があるんだろうな。 「……はあ、綺麗だ……」 響はうっとりした表情で、工場夜景が見えなくなるまで景色を堪能していたが、やがてはっとして奏を見た。 また窓の外に夢中になってたとでも小言を言われるのではと思ったが、 今度は奏の方も夜景に釘付けになってる様子だった。 「奏も好き?工場夜景」 「……工場の建物群って、細かい部品の集まったフィギュアみたいで面白い」 「おお、独特な視点だね」 「グランドピアノの中も、あんな風にゴチャゴチャしてて、工場に似てる。 あのゴチャゴチャしたパーツ全部に意味があるんだと思うと感慨深い」 「!——俺も今、似たようなこと考えてた」 響は、今度は奏のほうに身を乗り出して言った。 「そーなんだよ。楽器も工場も、パーツの一つ一つにちゃんと意味があるんだよな。 音楽だって、一音、一拍違うだけでも途端にバランスが崩れたり……。 音楽に限らず、世の中何でもパーツの全てに意味があって、それが寄せ集まって社会になってるんだなって。 そういうことを考えたりするの、好きなんだ。俺」 響が熱く語ると、奏はその勢いに圧倒されながらも、僅かに唇の端を上げて言った。 「……俺も好き。 そういう風に、自分の思ってることを何でも言語化して俺に共有してくれる響のことが」 「え——」 「俺、自分の気持ちを言葉にするの、あんまり得意じゃないから。 心で感じていることを、どう言語で表現すればいいか迷って、誤解を与えるくらいなら話さない方がいいって思っちゃう。 響は俺にも分かるように、響が思ってることを口に出してくれる」 「そう……かな。俺、奏のほうが思ってること何でも口にするタイプだと思ってた。 いつも俺に、あれしてこれしてって頼むし。 ——それから今みたいに、俺に『好き』って伝えてくれるし」 「……うん。自分の中でハッキリ分かること——要求とか好意とかは、言葉にしてる。 言葉を選ぶのに迷わなくて済むから」 「そうかあ……。本当は奏って、俺が思ってるより色んなことを、常日頃頭の中で考えてるんだろうね」 響はそう言った後、ふと何かを思いついたようにニヤリとした笑みを浮かべた。 「俺とセックスした時も、頭の中でいろんなこと考えてたの?」 「っ、何でいきなりそういう話題を出すの」 「好きって言われてムラッとしたから」 「発想が穢れてる」 「ほら、今だって鍵のかかった個室に二人きりなんだよ? シチュエーションにときめくだろ?」 「ときめくとか、23の男が言うな」 「年齢や性別を持ち出すのは差別じゃない?」 「差別のつもりはない。ムラッとするだとか、こないだのダブルデートだとか、もっと年相応の落ち着いた言葉遣いをしてよ。 俺より三つも歳上なんだからさ」 「違うよ。本当は俺のほうが、20歳歳下だよ」 「……はぁ」 奏は呆れたように息を吐いた。 「そんな呆れるなよ。奏は俺と狭い部屋で二人きりになるの、嫌?」 「……ヤだったら、旅行に着いてくる訳ないじゃん。分かってるくせに」 「分かってる。奏がツンデレなのはだいぶ前から把握してるもの」 「ツンデレって何。また若者言葉?」 「奏みたいなののことを指す言葉だよ」 奏が「は?」と首を傾げていると、響は奏の顎を掴み、唇を重ねた。 「——可愛いってことだよ」 唇を離して響が言うと、奏は頬を染めて俯いた。 「……響ってカッコ付けたがるよね」 奏がむすっとした表情で言うと、 「カッコ付けるのは好きな人の前でだけだよ」 と響が返した。 「ほら、そういうところがキザだって言ってんの」 奏は呆れたように言いながら、 「でも、嫌いじゃないよ」 と小声で続け、唇の端を上げた。 その後も二人は窓に張り付いたまま、流れていく景色を眺めていた。 街明かりがなくなり、山や田園が広がるエリアに来ると、今度は月と星の明かりが煌々と空に輝き始める。 どこか現実離れしたような幻想的な景色を見て、響がひっそり感動していると、隣に座る奏が口を開いた。 「こんな風に、同じ景色を見れるのって——なんていうか幸せ」 「……うん。同じ時代の同じ空間に居れて、同じ気持ちで同じものを見て—— 奏と一体化したような感覚になるね」 響はそう返すと、「そろそろ横になろっか」と言った。 ベッドは二台あるが、通路を挟んだ位置で固定されており、くっつけることはできない。 加えてベッドの幅も狭く、二人が横並びで眠れるような広さはなかった。 「……」 奏は無言で、何かを言いたげな視線を響に送った。 「何?」 「同じベッドで寝たい」 「そんなスペースないと思うけど……」 「狭いけど、ぴったりくっつけばいけると思う」 「じゃあ、こっちに来る?」 響が壁の方に身体を寄せると、奏はその隣に横たわった。 「……やっぱ、大の大人二人は狭くない?いくら奏が細身でもさ……」 響は、手足が自由に動かせないほど壁に追い詰められていた。 「じゃあ、横向きになって」 奏が響に促すと、響は壁の方を向くようにして横になった。 「なんで向こう向くの」 「だってこっち側に窓あるし。寝ながら景色を楽しみたいじゃん」 「……そ」 奏は不服そうにしながらも、響の背中に腕を回し、背後にぴったりしがみついた。 暫くそのままの体勢で、窓から見える夜空を眺めながらうとうとする響だったが、やがて奏の手がゴソゴソと動いた。 「……んあっ!?」 ——突然、服の中に侵入してきた指にへそを弄られた響は、思わず変な声を上げてしまった。 「な……に」 「おへそ、もう痛くない?」 「痛みや腫れは引いてきたけど——いきなり触られてびっくりした」 響がそう言った後も、奏はへそに指を差し込んだまま、ピアスを触って様子を確かめていた。 「ふ……ふふっ」 響がくすぐったさに身を捩らせると、奏は 「そんなに動かないで、狭いんだから」 と言った。 「だって奏がくすぐるからだろ」 「くすぐったつもりはないよ」 「とりあえず、へそから手を離して?」 「イヤ。俺とお揃いの場所、触っていたい」 「じゃあ触るのはいいけど、くすぐるのはやめて」 「くすぐってないってば。 ——さっきから、動くなとかくすぐるなとか、注文多くない?」 「奏が一緒に寝たいって言うからじゃん。 俺だって狭いのを妥協してるんだから」 二人が軽口を叩き合っていると、不意に列車が減速を始めた。 「あ……停車するっぽい」 響は景色の流れがゆったりしていくのに気付くと、枕元のスイッチを押して窓の自動カーテンを下ろした。 「なんで閉めてるの?景色見えなくなるじゃん」 「この列車、主要駅で何回か止まるんだよ」 「え、もう12時過ぎてるのに?今から乗り込んでくる人たちがいるの?」 「寝台列車ってそういうもんだから」 「ふーん。で、止まるからってなんでカーテン下ろす必要があるの?」 「この個室って二階建ての一階にあるから、駅のホームより低い位置にあるんだよ。 つまりカーテンを開けたままだと、抱き合ってる俺たちが他のお客さんから丸見えってことになる」 「丸見えだと、何が悪いの?」 「恥ずかしいじゃん」 「出た。響、いっつも他人の目を気にするよね」 奏は不満そうに言った。 「逆に聞くけど、奏は俺たちがイチャイチャしてる姿を他人に見せつけたいの?」 「別に見せつけるつもりはないけど、人に見られて恥ずかしいとも思わない」 「でもさ。奏だって、以前は胸とへそのピアスを見られるのが嫌で、温泉やプールを避けて来たんだろ? 人に見られるのが恥ずかしいって感情、奏にもあると思うんだけどな」 「……」 奏は不服そうにしながらも、響の言い分に一応納得したらしく、それ以上は反論して来なかった。 「……ねえ。カーテン閉めたから、外からはもう何も見えない訳だよね」 少しして、奏が再び口を開いた。 「そうだね」 「なら、恥ずかしいことしようよ」 「え?」 「俺、さっき響のを触ったら……変な気分になっちゃった」 奏はベッドから起き上がると、シャツを少しだけ捲り上げ、へそピアスを覗かせた。 「また、お互いのおへそ……舐めっこしようよ」

ともだちにシェアしよう!