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寝台列車旅行③

座ったまま眠りについていた二人は、窓から差し込む朝日で目を覚ました。 窓の外には朝焼けの風景が広がっている。 「——おはよう」 先に目を覚ました響がそっと奏をゆすると、奏も半目を開いて「はよ」と返した。 「お腹空いたね」 「うん」 「出雲に着いたら、名物の蕎麦を食べに行きたいな」 「出雲は蕎麦が名物なの?」 「なんだ。やっぱ奏、旅のしおり読んでないんじゃん」 響は呆れたように笑うと、早苗お手製旅のしおりを広げてみせた。 「ほら。美味しいって評判のお店がピックアップされてる」 「ふうん」 「……奏ってグルメに関心ないよね。 美味しいもの食べるのも旅の醍醐味ってものだよ」 「だって美味しいものなら毎日家でも食べてるし」 「!」 「俺、響の作るご飯が好きだから」 奏は少し頬を染め、視線を遠くに向けたまま言った。 「……オムライスとかミネストローネとか、トマト料理もいつのまにか食べられるようになってたし。 俺がお腹空いた時、いつもあったかいご飯があって、響と一緒に食べて—— それより美味しいものなんて、ないと思ってる」 「……っ、奏」 響は奏をぎゅっと抱き締めると、 「——もっかいしよ」 と囁いた。 「はぁ……!?もうすぐ着くんじゃないの」 「予定では9時は過ぎるから……今8時前だし、一回くらいは……」 「昨日したばっかりで、よくやれるね」 「奏が悪いんだよ。嬉しいこと言ってくれるからさ」 「……悪いけど、お尻が痛いし続けては無理だよ」 「……そっか」 響は残念そうに呟くと、 「じゃあ、着くまでこうしていようよ」 と言い、奏の唇を塞いだ。 ——出雲市駅に到着し、個室を出て列車を降りると、少し遅れて早苗と速水も降りてきた。 「おはよぉ」 「列車、結構揺れたけど眠れました?」 早苗はバッチリ決めたヘアメイク、速水も見たことのないブランドの服とサングラスに身を包んでいた。 一方で響たちは、とりあえず服は昨晩から着替えたものの 普段通りの出で立ちであるため、その対比に戸惑ってしまった。 「……なんか、気合い入ってますね」 響が言うと 「当たり前じゃない!!」 と早苗が声高に返した。 「旅行って言ったら、うんとオシャレするものでしょ?」 「逆に二人は、いつも通りって感じだな」 速水は響と奏を上から下まで見て言った。 「いつも通り、なんてことない格好しててもサマになってる。 これがイケメン力ってやつか」 「イケメンりょく?」 奏が首を傾げると、早苗は 「ま、とにかくバスに乗りましょ!」 と三人に言った。 バスで出雲大社の近くまで来ると、事前に調べておいた蕎麦屋へ向かう。 まだ開店前の時間だったが、すでに行列ができていることに奏は驚いていた。 列に並んで開店を待っていると、四人の後ろに並んでいた女性客グループから「あのぉ」と声を掛けられた。 「もしかして、速水右京さん……ですか?」 「そうっすよ!」 速水は間髪入れず笑みを浮かべ、サングラスを外してみせた。 「きゃっ!やっぱり!」 女性がはしゃぎ声をあげる。 「映画雑誌で見たんです。 速水右京と如月奏のダブルキャストで送る、明治維新と禁断の愛をテーマにした映画が今度公開されるって!」 「速水さんは昔からテレビに出てる実力派で有名ですけど、相手役が本業は作曲家の方だと聞いてびっくりしました。 でも雑誌見たら、すっごいイケメンで……!」 「そう、最初写真を見た時はモデルさんが俳優デビューをされたのかな、と思ったんです。 そしたら音楽を作ってる人って紹介されてて……」 「如月奏もここにいるっすよ」 速水は、自分の前に並んで向こうを向いていた奏の肩に手を置くと、女性たちの方へくるりと身体を向けさせた。 「きゃあ!」 「かっこいい!」 女性たちから悲鳴が上がる。 「な、何?」 突然、知らない女性客たちと対面させられた奏が戸惑っていると、女性の一人がこう話しかけて来た。 「今日はオフの日ですか? お二人ってプライベートでも仲が良いんですね!」 「そうそう。映画の出演がきっかけで仲良くなったんだよ。なっ?」 速水が奏の肩をぽんぽん叩くと、奏は少し鬱陶しそうにしながらも 「……そーだね」 と、一応話を合わせた。 「旅行はお二人で来てるんですか?」 女性客に尋ねられ、速水は少し返事に躊躇った後、 「……いや、グループ旅行!」 と答えた。 「——あ。グループって、もしかしてそちらのお二人と一緒に?」 女性客は、早苗と響を見て言った。 「グループ旅行、いいですね!」 「楽しんでください!」 「映画の公開も楽しみにしてますね!」 最後に、速水が女性たちにサインを書いてあげたところで店が開き、列が動き始めた。 四人がけの席に座り、それぞれ注文を済ませると、奏がぽつりと言った。 「……グループ旅行? 前はあんた、ダブルデート旅行って言ってなかったっけ」 すると速水が「さっきのことっすか」と返した。 「まあ、そう言った方が面倒なことにならないと思って!」 「面倒?」 「俺、事務所的には恋愛NGではないっすけど、彼女がいることがバレたら 早苗さんにもパパラッチがついたりして迷惑かけちゃうかもなんで」 「私を気遣ってくれたのね」 早苗がうっとりした眼差しを速水に向けた。 「それにまあ、男3女1なんで。 外から見ればダブルデートには見えないし、仲良しグループって言っとけば違和感ないっすもん」 それを聞いた奏がぴくりと反応する。 「……俺と響が、恋人同士には見えないってこと?」 「!……ね、奏」 響は不穏な空気を感じて奏を止めようとしたが、奏は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべていた。 「あくまで世間的に見ればっすよ! ふつー男同士つるんでても、友達として仲が良いんだなーって思われるもんでしょ?って」 速水が言うと、響も奏を諭すように続けた。 「別に、周りから友達同士に見えたって何の差し支えもないだろ?」 「……でも、それって嘘じゃん」 奏は不服そうに言った。 「俺たちの関係は、周りに嘘をつかなきゃいけないものなの?」 「ねえ、そーちゃん。 私も速水くんのイメージを保つためなら、私のことは仲良しグループの一人って紹介されても別に構わないわ。 そーちゃんだって、一応は自分の名前を売ってる仕事してるでしょ? 人気商売ってどうしても、イメージは大事なのよ」 早苗が奏に優しい声で言う。 「イメージ?俺が響と恋愛してたら、俺の作る音楽までイメージが下がるの?」 「奏、この話は後でしようよ」 奏が眉間に皺を寄せると、響は奏の太ももをぽんぽんと叩き、落ち着くよう言った。 「ほら、そろそろお蕎麦も来るし」 響の言葉通り、その後すぐに蕎麦が届いたため、話は一旦幕引きとなった。 ——蕎麦屋を出た後も、奏の機嫌は治らなかった。 歩いてすぐの場所に出雲大社の境内入口があり、早苗や速水が写真を撮ったりしてはしゃぐのと反対に 奏はむっすりとした表情のまま鳥居を潜った。 響は鳥居の前で一礼し、ワンテンポ遅れて鳥居を潜ると 隣を響が歩いていないことに気付いた奏が振り返った。 「……なんでお辞儀なんてしてるの?」 「え?神社参拝のマナーだよ」 「マナー?誰かにお辞儀するのがマナーなの?」 「誰かって、神様にお辞儀したんだよ」 「神様?」 奏がぽかんとした表情を浮かべる。 「神様って、いるの?」 「……目には見えないけど……俺はいると思ってるよ。 だって世の中、目に見えないけど不思議なことが沢山起きてるわけだし。 ——事実、俺自身……」 「タイムスリップと、神様がいるかどうかは別の話だと思うけど。 それに神様がいるとして、なんでお辞儀をしなきゃいけないの?」 「そりゃ、今からお参りをするんだよ? 俺、奏とこれからも仲良く一緒にいられますようにってお願いするつもりだし。 お願いする以上、きちんと敬意を払わないと」 響が言うと、奏は再び怪訝そうな表情を浮かべた。 「……俺と響の仲は、誰かにお願いをしないと繋いでいられないような脆いものなの?」 「誰もそんなこと言ってないだろ」 響がムッとして言い返すと、奏は眉間に皺を寄せた。 「神様にお願いしなきゃ、俺と響は仲良く一緒にはいられないんでしょ?」 「そんな話はしてない」 「なら委ねなくたっていいじゃん」 「あのさあ、俺が奏と仲良くいたいってことを望むことの何が不満なの?」 二人が立ち止まって言い合いを始めたため、前を歩いていた早苗と速水は、二人が着いてきていないことに気付いて振り返った。 「二人ともー、何してるの?」 「本殿はまだ先だよー。ちゃきちゃき歩こうぜ!」 「追いつくから、先歩いててー!」 響は二人に笑顔で手を振ってみせた。 「——なんで笑ってんの」 すると、奏はそんな響の態度が気に入らなかったらしく、さらに不機嫌になった。 「だって俺まで不機嫌面してたら、二人が心配しちゃうだろ」 「響って他人に対しては気を遣えるよね」 「……は?」 「人前で俺とキスするのも嫌がったし。 俺以外の人の目、やたら気にしてる」 「——俺が誰に一番気を遣ってると思ってるんだよ」 響はカッとなり、奏の肩を掴んだ。 「俺、奏のことはいつも気にかけてるよ? 蕎麦屋でも、今だって—— グループの空気を悪くしてるって奏が疎まれないように、俺がフォローしてるんだってわからない?」 「フォローして、なんて頼んでない」 「そうかよ!」 響は手を離すと、早歩きで早苗たちのもとへ向かった。 「……」 奏は無言でその場に立ち尽くしていた。 ——響が早苗たちに追いつくと、すでにそこは本殿の目の前だった。 多くの人が参拝の列に並び、お守りやお土産の売り場にも人が集まっている。 「混んでるから、サクッとお参りして、どっかで休もうか」 速水が提案すると、早苗も 「そしたら一旦旅館に荷物を置いて、宍道湖の夕日を見に行きましょっか」 と返した。 「……あれ?奏さんは?」 速水は、奏が響と一緒に来ていないことに気付いた。 「奏、お参りするの嫌みたい」 響が言うと、速水は「えっ」と声を上げた。 「もしかして神社NGでした? 信仰してる宗教でなにか制約があるとか……」 「そーちゃんは無宗教よ」 早苗が答えた。 「でも、そーちゃんはこだわりが強い性格だから。 何か思うところはあるのかもしれないわ。 無理強いは良くないし。 サツキくんがそーちゃんの分までお参りすればいいんじゃない?」 「……はい」 響は元気なく答えると、早苗と速水と並んで賽銭箱の前まで歩み出た。 こんな気持ちで、奏との仲なんてお願いする気になれない。 響は賽銭をして手を合わせるだけ合わせると、心の中で何も唱えることなく、後ろの人に場所を譲った。 速水と早苗が真剣な表情で長々と手を合わせているのを暫く待ち、二人が響の方まで戻ってくると「行きますか」と声を掛けた。 「アッ待って!お守りも買いたいの!」 早苗は響を呼び止め、今度はお土産売り場に並ぼうとした。 「じゃあ俺、そっちで待ってますね」 響は空いているベンチを指さして言った。 悶々とした気持ちで響がベンチに座ると、隣に速水がやって来た。 「あれ?右京はお守り買わなくていいの?」 「あー。お守りって、一年経ったら返納するのがしきたり?らしいじゃん。 一年後にまた出雲まで来れるかもわかんないし」 「別に出雲大社じゃなくても、近くの神社でお焚き上げしてもらえばいいんじゃない?」 「まあそうらしいけど。 もう本殿でお参りしたし、お守りまではいーかなって」 「そっか」 「それに早苗さんが持っててくれるなら、それで効果バッチリっしょ!」 速水がニカッと笑うと、響も笑みを浮かべた後、はぁとため息をついた。 「……奏も右京くらい、シンプルに考えてくれたらいいのに」 「ん?俺が単純脳って話?」 「いやいや。右京は早苗さんが神社で縁結びのお参りをして、お守りを買ったって何も思わないでしょ?」 「何も?強いて言えば、女子っぽくて可愛いなと思うけど」 「……さっき奏がさ、『神様にお願いしないと仲良くいられないような関係なのか』って文句付けてきたんだよ」 「えぇー」 右京は呆れ半分、苦笑い半分で声を上げた。 「拗らせ系彼女?——あ、彼氏?」 「どっちでもいいけど、拗らせてるのはその通り」 響は深くため息をついた。 「……俺の言動を曲解して、悪い方に捉えられることが多くてさ。 俺の言動って、そこまで常識に外れてるものは少ないと思うんだけど」 「うん、響は常識人って感じするわ。 まあ常識人っぽい人の方が案外むっつりだったり、とんでもない性癖持ってたりするけど」 「はぁー?」 「いや、響のことは言ってないよ? 俺の知ってる、善良そうで御意見番みたいなタレントは 大概裏でヤバいことしてたりするからさー。 例えば大物芸人とか——」 速水が、自分の知る芸能界のゴシップを耳打ちすると、響は「ひえ……」と声を漏らした。 「それ、世間バレしたらヤバい話じゃん。 ——って、そんな大物芸人と俺をいっしょくたにするなよ!」 響が笑っていうと、速水も「すまんすまん」と言って笑った。 何も考えず、軽口を叩き合って笑える気軽さが楽で心地良かった。 「ごめーん、お待たせー!」 暫くして、早苗がお守りを買って戻ってきた。 「じゃあ、奏さん探して旅館行きますか!」 速水が腰を上げると、響も「うん……」と力無く立ち上がった。 響たちが境内入口の方まで戻って来ると、奏は参道脇にある池のほとり——屋根付きのベンチに座り、無心で筆を走らせていた。 「……奏」 響が声を掛けたが、奏は無視して手元の紙に向かってペンを動かし続けた。 「そーちゃん!作曲中にごめんね」 早苗は奏の隣に座ると、優しく奏の手を掴んで動きを止めさせた。 「これから、一度松江で取った御宿に荷物を置きに行こうと思って。 それから徒歩で夕日を見に行こうと思うの」 「……」 奏は大人しく、書きかけの譜面をしまって立ち上がった。 なんだよ。加納さんの言うことなら聞くのかよ。 響はむっとしながら、奏のことは早苗に任せ、自分は右京と話しながら歩き始めた。 「あ」 背後で奏が小さく声を漏らすのが聞こえた。 響が無視していると、奏の隣を歩く早苗が声に反応した。 「そーちゃん、何見てるの?——あらっ」 早苗は、神社の敷地に植えられている木々の中で 『サツキ』という名前のプレートが立てられているツツジ科の植え込みを奏が見ていることに気づいた。 「よく気づいたわねえ!サツキくんに教えてあげましょうよ!」 ——後ろで何を話してるんだろ。 俺の背中に汚れでも付いてたのかな? 響は一瞬気になったが、早苗が「そーちゃん、待ってぇ」と言う声が聞こえたため 奏が答えずに歩き始めたことを察して振り返ることをやめた。 ……なんだよ。俺に言いたいことがあるかのような会話しといて…… 「——でさ、そのクイズ番組に出てる時、司会の人に言われたわけ。 『へえー速水さんって、頭の良い回答もできるんですね!』って。 いやいや、俺これでも早慶出てるから! なんなら登場シーンで『高学歴俳優・速水右京さん』って司会に紹介してもらったし!」 「あはは、右京がよっぽど馬鹿そうに見えたんじゃないの?」 「まーな。インテリぶって答え外すの恥ずいじゃん? 基本トンチンカンな回答しといた方が、たまに正解した時褒めてもらえるし」 「なんだ、最初から戦略だったんじゃん」 「うん。作戦大成功ってわけ」 「てか、右京って早慶なんだ。意外」 「意外ってなんだよ。ま、タレント枠だけどな!」 「ほんとにあるんだ、タレント枠って」 「あるある。最低限の学力は必要だけどな。 俺の場合、中高と学年トップの成績だったからちゃんと実力もあるよ」 「へー。小さい頃から芸能人として活動しながら勉強も頑張ってたんだ。偉いじゃん」 「偉いっしょ!……って言っても、こういう業界にいるからさ、いつ仕事が無くなるかわからないだろ? 役者を辞めても食いっぱぐれないようにしとこうと思ってやってただけだよ。 備えは大事だからなー」 松江行きの電車に乗り込んでからも、降車し旅館に向かって歩き始めた後も 奏を無視して速水と二人で盛り上がる一方、奏は彼らの後ろを終始無言でとぼとぼ歩いた。 「……そーちゃん」 早苗が囁くように尋ねる。 「サツキくんと喧嘩でもした?」 「別に」 「もしかして、きっかけはさっきの『グループ旅行』?」 「……」 「あの場でほんとのこと言うより適当に取り繕った右京くんの対応は正解だと思うわ。 ——まあ、でも本音を言えば『デートです』って答えて欲しかったな、とは思うけど」 奏が、少し驚いたように顔をあげると、早苗は「ナイショよ?」と微笑んだ。

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