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20年後②
「……それでも君は、奏本人じゃないんだろう……」
響が声を震わせたまま言うと、翔は少し間を置いて言った。
「——確かに、如月奏本人ではないよ。
でも、如月奏として生きたことはちゃんと覚えてる」
いつの間にか、翔の話し方はくだけたものになっていた。
それは奏が話す時の口調によく似ていた。
「如月奏の人生で出会った相手にまた会いたくて、新しい人生が始まってからもその気持ちは少しも薄れることがなくて、
執念でここを探し出して押しかけちゃうくらい……俺は先生に会いたかったよ」
「……」
「それに——先生は、どんなに頑張っても如月奏にはもう会えない。
如月奏の前世の記憶を引き継ぐ存在がいることも、先生は知らない。
だけど俺は先生を知っていて、俺のほうからは先生を探しに行ける。
だから俺、今日まで本当に頑張って探してきたんだよ。
俺が先生のことを見つけ出さなきゃ、先生には絶対に会えないだろうと思ったから」
翔は不意に、響の手を取った。
翔の手は、なんだか懐かしい温かさと柔らかさに感じた。
「——もしかしたら先生は俺のことを忘れて、別の誰かと幸せになってるかもしれないって思った。
俺にとっては死ぬまで忘れられなかった相手だけど、先生は死んでしまった俺のことを引きずってたら前に進めないでしょ?
……だけど、それでも……先生に俺のことを思い出してもらいたかった。
そして俺が『俺』であることを信じてもらうためにはどうしたらいいかって考えて——
この曲を弾けるようになるまで、学校でピアノを借りて沢山練習したんだよ。
——『5月のコンチェルト』を」
「……っ!」
そう。そうだ。
どうして俺は今まで思い出せなかったのだろう。
『5月のコンチェルト』
俺が奏に贈った、大切な曲のタイトルなのに。
「あの曲を知ってるのは、この世界で二人だけ。
二人の名前になぞらえて付けられた——皐月響から如月奏に贈られた曲だけが、
俺が如月奏の生まれ変わりであることを証明できる唯一の手段だと思った」
「——ほんとに、弥生さんは……奏……の記憶を持った人なんだね」
「うん。っていうか、奏って呼んで欲しい。
先生からは、そっちのが呼ばれ慣れてるし」
「……じゃあ俺のことも、響と呼んでみてもらえるかな」
「——響」
そうだ。
この響き。
奏が俺の名を呼ぶ時の響きそのままだ。
「……ねえ、それで……」
「え?」
響が、まだ信じられないといった様子で呆然としていると、翔が少し緊張した面持ちになった。
「聞きたかったことがあるんだけど——
響って、独身?」
「独身だよ」
「……彼女もいない?」
「彼女もいないし、彼氏もいないよ」
「……じゃあ……俺、響の教室にこれから通ってもいい?」
「うん?」
響がきょとんとすると、翔は少し頬を赤らめて言った。
「——30分のレッスンを受けて、これでさよならなんてしたくないけどさ。
でも、もし響に特定の相手がいるのなら、こんな前世を持つ生徒が通ってくるのは迷惑かと思ったから……。
そういう相手がいないんだったら——またここに来てもいいよね?」
すると響は、初めてくすりと微笑んだ。
「はは。如月奏は、そんな遠慮をするような人じゃなかったよ」
「!」
「特定の相手なんて、この20年、一度も作ったことないよ」
「……ほんとに?」
「本当。その証拠に——」
響は立ち上がると、徐にシャツを捲ってみせた。
「年甲斐もなく、未だこれを付けてる」
「……そのピアス……!!」
翔は息を呑み、響の腹に顔を近づけた。
驚いたような、しかし懐かしいものを見るような眼差しで響のへそを凝視する翔に、響はくすりと笑いかけた。
「これは俺の気持ちそのものだから。
——ずっと君のことだけを想ってきた、奏」
翔はよろよろと立ち上がると、響に歩み寄った。
「……抱きついても、いい?」
「いいよ」
翔は恐る恐る響に触れると、そっと背中に手を回した。
「……響……会いたかった」
「俺も会いたかった」
響が翔を抱きしめ返すと、翔は響を抱く手に力を込めた。
「ほんとに会いたかった……!
前世から、ずっと会いたかった!」
「俺も20年間、君を思い続けてた」
「馬鹿。俺は43年も待ったんだ。
前世で響が突然消えてから死ぬまでの23年。
そして生まれ変わってからの20年——
ずっとずっと、響のことだけを思って生きて来たんだ!
響以外の誰かに心惹かれたこと、一度もないよ。
もう二度と会えるかもわからなかったけれど、それでも俺、響を諦めきれなくて——
やっと、ここまで辿り着けた。
20年なんかでマウント取るなよな……ッ」
翔が声を潤ませて言うと、響は翔を離し、唇を塞いだ。
「んっ……!」
翔が驚いて声を出すと、響は唇を離した。
「ごめんね。こんなおじさんから突然キスされたら、さすがに引くよな」
すると翔は、ふるふると首を横に振った。
「俺の方が、精神年齢のトータルで言えばおじいちゃんだから」
「はは、全然そうは感じないけどね。
奏はずっと変わらず奏のままだ」
「響だって変わってないよ」
「まさか。見ての通り、こんなに老けて——」
「そんなのどうだっていい。おじさんだって、おじいさんになってたって、響は響なんだから。
それより——もう一回、して」
翔はせがむように瞼を閉じた。
響は先ほどよりも深い口付けを落とすと、翔の耳元で囁いた。
「……おかえり、奏」
「——ただいま」
翔は照れたように微笑むと、「もっと」と言って再びキスを催促した。
そうだ。奏はこんな風に、俺に甘えるのが上手だったっけ。
甘えたがりのはずなのに、奏は長い間、一人で俺を探してくれていたんだな。
俺ばかりが過去に囚われ、思い出の中で生きている間にも、
奏はずっと俺のことを諦めずに探し続けてくれていた——
「——ッ」
その時、響はぞくりと身体を震わせた。
翔の手が、響のシャツの中に忍び込み、響のピアスに触れたのだった。
「……奏、そこは……っ。
——弱いって、奏なら知ってるだろ……」
「ごめん。でも、ずっと付けてくれてたのが嬉しくて……愛おしくて、触りたかった」
「……奏は生まれ変わったからもう、乳首とへそにピアスは無いんだよね?」
「うん。ありがたいことに、弥生翔として俺を産んでくれた今の両親は、俺の身体を傷つけるようなことはしないから。
今も大学に通わせてくれてるし、ずっと大事に育ててもらってる」
「そっか。良かった。——本当に良かったね、奏」
「——響と繋がっていた痕が消えてしまったのは寂しかったけどね。
でも、俺には『5月のコンチェルト』があったから。
生まれ変わってからも、響の音楽だけはずっと、俺と響が繋がってた証として、残ってくれてた。
……けどやっぱり、本物の響に会えたのが一番嬉しい。
だからさ——もっともっと、響に触れさせてよ」
「——うん」
響と翔は暫く時を忘れて抱擁と口付けを繰り返した。
「……生徒として通うことはないよ」
響は翔の身体を離した後、開いていたテキストを閉じて言った。
「俺のパートナーとして、ずっと側にいてよ」
「!……いいの?」
翔は目を輝かせて言った。
「でも、俺……前世の記憶はあるのに、作曲家としての才能はまるで持たずに生まれて来た。
前世ではあんなに曲を思い付くことができていたのに、今はどうやって曲が浮かんできていたのかを思い出せないんだ。
——今の俺じゃ、響を感動させるような曲は書けないけど……それでも、受け入れてもらえる?」
「いいよ」
響は迷うことなくそう返したあと、こう続けた。
「奏は今まで充分過ぎるくらい、音楽を遺していってくれたでしょ。
——奏の作った曲、全部聴いたよ。
全部、何度も何度もピアノで弾いた。
そして全部が、俺のお気に入り」
響はそう言うと、もう一度翔を抱きしめた。
「音楽の才能がなくなったって、奏は奏だよ。
二度と離れ離れになってたまるか」
「——お願い。もう俺の元からいなくなったりしないで。
あんな思い……もうしたくないよ。
これから先も、ずっといなくならないって約束して」
「約束する」
——いつか、俺と奏の関係は『カノン』みたいだと奏に話した。
奏という超えられない憧れをいつまでも追いかけて生きているみたいだ、と。
そしたら奏は、カノンは追走曲だけど、追いついて重なったときにも綺麗な音になると言ってくれた。
俺はずっと奏を追いかけていて、奏も俺のことを追いかけてくれていた。
それが今、やっと二人の時が重なった気がする。
これからは、もうどちらかが置いて行ったり、追い越したりしないで済むよう、歩幅を合わせて生きていこう。
「奏——もう一度、生まれて来てくれてありがとう。
これからは同じ時を生きて行こうな」
「うん。いっぱい長生きしてよね」
「もちろん。……奏、大好きだよ」
「俺も。大好き。いくら言っても足りないくらい。
これから死ぬまで毎日、響が嫌になるほど、大好きって言い続けてやるから」
「じゃあ、俺も。奏がうんざりするくらい言い続けるから覚悟して。
大好き。大好き。大好きだよ——」
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