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第38話

 最初は佐理の身分の低さを不満に思う臣下たちもいたが、佐理の類まれな才とその麗しい容姿を見てからは、誰も文句を言う者はいなくなった。  が、皆を一番黙らせたのは帝のある宣言だった。 「私は側室はいっさい取るつもりはない」  帝の佐理への真剣さがこの言葉から伺われた。  皇位継承問題に関して帝はさらりとこう返した。 「私が退位する頃には、定子の子が立派になっていることだろう。そのためにも近衛中将には定子以外よそ見はせずに頑張ってもらわないとな」  公の場で、帝から浮気防止の釘を刺された中将は苦笑いを浮かべながらも、帝に感謝の言葉を述べたという。    自分の子を次の帝にと宣言されたと同然なのだ。嬉しくないはずがない。  帝の花として文字通り花婿修行をさせられることになった佐理だが、なんとその教育係は伊勢で佐理と文章博士の歌合戦を見学していた勅使のお供だった。  重ねて佐理の聡明さに驚いた教育係は言った。 「さすがは帝がお選びになった方だ。私が教えることなど何もない。これからは帝と一緒にこの国がより豊かになるよう導いてくれることだろう」  教育係はそう漏らした。  また教育係はあの時の文章博士を招いてくれ、佐理が欲するままに文章道を学ばせてくれた。  文章博士も佐理との再会をたいそう喜んでくれた。  帝が従来の制度を廃止し、身分に関係なく優秀な人材をそれ相当の官位と役職に配置する新しい法令を出した時、それに反対する者はいなかった。  新法令はすぐに実地され、佐理の父は宮内省(くないしょう)での官位が上がり、大輔(たいふ)となった。  高子は武芸の腕前の噂がどこからか広まり、――帝の口添えがあったらしい――内侍司(ないしのつかさ)の典侍(ないしのすけ)に抜擢された。  本来は学問や礼法に通じた者が任命されるようだが、高子の場合は主に男子が立ち入れないところでの護衛の役目を担っているらしい。  女ばかりの内侍司で高子はモテモテで、文字通り両手に花で青春を謳歌している。  ついでに母も一緒に女官勤めを始めた。  佐理の力を借りなくとも、佐理の家族は自力で瀬央氏を立て直したのだった。  そして清友は見事近衛衛門佐(えもんのすけ)に着任した。  ずっと清友に恩返しをしたいと思っていた佐理は、近衛中将に頼んで清友を近衛兵にしてもらおうと思っていたが、そんな自分の口添えなど不要だったのだ。  清友の祝いの席で、佐理がポツリとそんなことを漏らすと、清友は言った。 「佐理がいたから新しい法案が生まれたんだ。俺が近衛兵になれたのは佐理のおかげさ」  佐理も清友も大出世で、こんなに嬉しいことはなかった。  それなのに清友と二人、豊楽院の御階(みはし)に腰かけ一つの削り氷を分けあった日々のことを思うと、佐理は懐かしくて胸が軋んだ。  桜の花びらが地面を覆い尽くし、雨がそれを流し去り、若葉が初夏の香りを運んで来る頃、帝と佐理の花月の契りが厳かに行われた。  帝と佐理の意向もあり、豪華さよりも神聖さを大事にする慎ましやかな式になった。  けれど純白の花の装束をまとった佐理はあまりにも美しすぎ、それはもう神々しいと言ってもいいほどだった。  人々はこんなに艶(あで)やかな婚礼は初めてだ、と感嘆の声を上げ、帝が佐理以外に正室を取らないと言った意味をこの時深く理解した。 「このお方以上に帝にふさわしい方はいない」  人々は口々にそう言い合った。  儀式後の夜、御湯殿(おゆどの)で湯あみをすませた佐理は、夜御殿(よるのおとど)で帝を待つ。  まとった薄い単衣(ひとえ)は心もとなく、さっきから緊張で心臓が口から飛び出しそうだった。  実は教育係からこの時のためのアレコレを佐理はしっかりと学ばされていた。  独学で学んではいたが、教育係は国内の物だけではなく、異国の書物まで使って佐理に徹底して、花月のいろはを叩き込んだ。  他の事については優秀すぎるほど優秀だった佐理だったが、これについてはからきしで、教育係に呆れられた。 「本来だったら実習もあるのですよ」 「じ、実習?」  思わず言葉を噛みそうになる。 「帝をすんなりとお受けするためのです」  要は初夜までに指や張型(はりがた)を使って佐理の後ろを拡張するというものだった。 「そ、それは誰が?」 「私ですかな」  頭は見事な白髪、余分な脂肪もなければ筋肉もない、ゴツゴツと骨と皮だけのような教育係は答えた。  佐理の背中に嫌な汗が流れる。 「嘘です。その時は佐理様が緊張なさらぬよう、佐理様と親しい間柄のそれ相当の人物が選ばれます。そうですねぇ、佐理様の場合でしたら苅野清友様などでしょうか。ですが、帝がそれは絶対にダメだとおっしゃいまして。とにかく佐理様には指一本、誰も触れることは許さぬとすごい剣幕でいらっしゃいますので、佐理様に限っては実習はございません」  佐理はほっとするも、本来は実習があるところを実習なしで、果たして自分は大丈夫だろうかと不安になる。

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