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水無瀬が襲われた事件は発生直後にネットニュースに取り上げられた程度で、新聞やテレビで報道されることはなかった。隣慈学園役員という有力者の祖父が表沙汰にならないよう手を回し、自殺した加害者の遺族に対しても責め立てず、早期解決に至った。その一方で、傷を負った桐矢には有り余る感謝の代わりに医療費を全額支払い、今後の学費についても特別対応となる大幅減額を約束していた。
(水無瀬さんは二回も襲われて、二回とも桐矢に守られた)
子どもながらに身を挺して幼馴染みの水無瀬を助けた桐矢。
きっと強い絆で結ばれているはず。それこそ運命の番のように……。
「どうした、浮かない顔をして。そんなに難題なのか?」
雨が満遍なく街を濡らす放課後、前日と同じ場所で勉強する皐樹の隣には水無瀬がいた。
「数Aか。刀志朗も苦手な科目だ」
今日は一人で図書館を訪れた。窓際のテーブルに座って自習の準備をしていると、いきなり隣に水無瀬が着席してヒヤリとした。反射的に腕を庇ってしまった。
「そういえば弟はお前を気に入っているようだな」
六月も終わろうとしている中、ブレザーを着込んだ水無瀬を隣にして勉強どころではなかった皐樹は、返答に窮した。
「二見さんも皐樹のことを気に入っていた」
水無瀬が現れて歪な波紋を描いていた皐樹の胸は、その名前を聞いて激しく渦巻いた。
「お前はどうだった? あの人に興味を抱かなかったか?」
彼は微笑した。綻びのない笑み。作り物じみてすらいる完璧な美しさ。ただ、明けの明星さながらに瞬く瞳は底無しの深淵を覗かせていた。
「それとも心に決めた相手がもういるのか?」
凄艶なまでに匂い立つクイーン・オメガの威圧感に心臓を縛り上げられ、身動きできないでいる皐樹の顎を水無瀬は持ち上げた。
「皐樹。どうした。俺が怖いのか」
どこまでも見透かされている気がした。受け答えするのもままならず、皐樹は真っ暗な深淵に引き摺り込まれそうになった。
「図書館でいちゃつくのはやめてくれ」
睫毛の先まで凍てつきかけていた切れ長な双眸は、息を吹き返す。振り返れば桐矢がいた。肩に手を置かれ、肌身にまで熱が染み込んで、皐樹の心臓は金縛りから解放された。
「秩序正しい静謐な空間でいちゃつくのは禁止されている」
「お前が言うのか、それを」
今日は雑務当番の日である桐矢に水無瀬はクスクスと笑う。自習スペースにいた生徒達は、それまでの集中力を途切れさせ、絵になる二人にこぞって見惚れた。
「そういえば例の司書は。進捗は?」
「どうもこうも。誰かさんのせいで警戒されて、それきりだ」
「お前の興が削がれただけの話だろう」
皐樹は俯いた。金縛りから解放されたのも束の間、守った者と守られた者、運命の番じみた二人のテリトリーに中てられた。居た堪れずに逃げ出したくなった。
だが、桐矢の片手がずっと肩に置かれていて、急に力がこもったりするものだから、一人ひっそりと逡巡するしかなかった。
桐矢はいつまで狩人ごっこを続ける気でいるのか。この気紛れな暇潰しはいつ終わるのか。皐樹にはわからなかった。
「また雷鳴が聞こえる。ここまで来るかもな」
制服のシャツ越しに滲む掌の熱に、ずっと心臓が疼いている。わかっているのは、すでに自分の半身が桐矢に捕まっていることくらいだった。
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