36 / 41
7-4
電話が繋がらず、自分が想定した最悪なパターンをまず打ち消すために「PURITY」に彼はやってきた。
閉め切られていた店の出入り口は無視し、把握していた二階の事務所へ出向くと、ガラの悪い男二人に絡まれた。速やかに彼等を打ち負かして侵入してみれば本物の悪夢としか思えない光景が広がっていた。
制服を乱され、手錠をかけられ、猿轡までされている皐樹の姿に桐矢の怒りは一気に頂点に達した。
「廻、お前」
向かい側でただ眺めていた幼馴染みに対しても悪感情が噴き上がるのを止められなかった。
「このガキ、ふざけてんじゃねぇぞ!」
「見張りは何やってんだ!」
予期せぬ闖入者にポカンとしていた男二人がやっと動いた。丸腰の高校生に荒々しく掴みかかる。一人はローテーブルに置かれていた空のビール瓶を手にし、大きく振り上げた。
桐矢目掛けて振り下ろされる前に、ビール瓶を手にしたタトゥー男の横っ面に強烈な蹴りが入った。
凜だった。
狭い場所で標的に的確にハイキックを決めた彼女は、三人目の男の鳩尾にダメージジーンズ越しの膝蹴りを放った。
「汚い手でお兄ちゃんに触らないで」
乱れた長い髪もそのままに、声もなく蹲った二人に言い放つ。
七年前、見知らぬ訪問者を水無瀬宅へ招き入れた凛は、自分の行動をずっと後悔していた。もう二度と誰にも兄を傷つけさせない。守るための力を身につけようと、最初は警備会社に勤務するアルファの父親に兄妹共に護身術を教えてもらった。中学に進学してからは格闘技のスクールに一人で通い始めていた。
「もう大丈夫」
入り口にいた見張りを片づけるのも造作なかった彼女は、しゃがみ込み、放心している皐樹の猿轡を外した。
「皐樹、大丈夫⁉」
刀志朗もやってきた。あられもない出で立ちの皐樹に驚愕した彼は、直ちに棒立ちと化した。
「兄さん、何があったの、皐樹はどうしてこんな……?」
幼馴染みや弟が来ようと、水無瀬は依然として落ち着き払っていた。凜にシャツのボタンを留められていく中、皐樹は沈黙する彼を気にしつつ、大股で歩き出した桐矢を目で追った。
「あのときよりも怒ってる? キックの威力が増してる」
怒れるアルファが向かった先には、バーカウンターの傍らに座り込む二見がいた。
「前は中学生だったし、成長したってだけの話かな」
背中を屈めた桐矢は、鮮血で唇を濡らした、スツールにもたれて愉しげに話す二見の胸倉を鷲掴みにした。
「手錠の鍵はどこだ。妹にのされた奴が持ってるのか」
「なるほど。君にとって吉野皐樹君は本当に大切なオメガなわけだ」
「……」
「桐矢君がそれ程入れ込むのなら、せめてもうちょっと味見しておくべきだった。確かに肌はサラサラしていて愛撫する価値は十分にあったかもなぁ」
胸倉を掴む両手にさらに力が込もった。皐樹を平気で嬲ろうとしていた二見が軽口を叩き、ただでさえ研ぎ澄まされていた眼光の殺気が増した。
「本当は吉野君を有難く頂いて、後日、それを知った君が乗り込んでくるのを待つつもりでいたんだけど。予定が狂ったね。残念」
怒りの炎に半身を呑まれ、激情に促されるがまま、桐矢は外敵に鉄槌を下そうとした。
「桐矢」
ふと背中に触れた温もり。
「もういい」
手錠をしたままの皐樹が桐矢にしがみついていた。
「二見さんは桐矢が暴走するのを見たがっていた。今殴ったら、その人の思う壺だ」
触り心地のいいジャケットに片頬を埋めて「もうやめてくれ」と、皐樹は切に願った。背中に直に伝わってくる震えに、燃え盛っていた桐矢の炎は獰猛に鎌首を擡げた、そして……負けん気の強いオメガの確かな息吹に吹き消されていった。
「お兄ちゃん、鍵、見つけた」
まだダウンしている男達の服のポケットを探っていた凛が、鍵を取り出す。桐矢は二見から感情を切り離した。彼をカウンター前に放置し、皐樹の肩を抱いてソファへ戻った。
凛から鍵を受け取り、手錠を器用に外す。ローテーブルに放られていたネクタイを拾い上げると、てきぱき結んだ。
「よし、これで完璧だな。シャツのボタンはかけ違えられてるが」
以前、小学生のリボンを直したときと同じ台詞を言われて、皐樹は僅かに笑みを零した。
「早く見つかってしまって本当に残念だ」
ボタンのズレを直そうとしていた皐樹の指先は水無瀬の言葉に怯え、震えた。
「さすが幼馴染みだな、廻」
毅然と立つ桐矢にまた強く肩を抱かれ、確かな熱が肌身に染み込んでいくと、震えは治まった。
「俺の怒らせ方を誰よりもよくわかってる」
ともだちにシェアしよう!