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第2話

「羽田さんもここに住んでるんですか?」 「も、ってことは、春陽も?」  失言したことに気付いたがもう遅い。酔っ払いのくせに、どうして細かいニュアンスを拾うんだ。ニヤッと羽田さんが悪い顔をする。 「春陽の部屋、何番?」 「言いたくない」 「言わなかったらちゅーするぞって言ったらどうする?」 「すればいいでしょ。1回してるんだから2回も3回も同じですよ」 「春陽、童貞だろ? もしかしてさっきのがファーストキスだったりする?」  そんなわけない、と言いかけて言葉に詰まる。実際その通りであった。見透かされたことが恥ずかしくて、馬鹿にされたことが悔しくて頬に熱が帯びていくのを感じる。  だって、仕方ないじゃないか。好きになるのは親友ばかりで、かけがえのない友情を失うことがどれだけ怖いことなのか、到底こいつに理解できるはずがない。 「へー、春陽くんって童貞なんだぁ」  閑静な住宅街で、いきなり羽田さんが大声を出してぎょっとする。 「ちょっ、静かに」 「じゃー部屋入れて?」  意地の悪い顔でニッコリと羽田さんが笑う。道徳を手玉にとった脅しだった。  まるで子泣きじじいみたいにぴったりと羽田さんを背中に貼り付けて共有通路を進む。ポケットから鍵を出してドアを解錠するとき、108、と羽田さんが俺の部屋番号を呟いた。翌日には記憶が抜けているタイプであることを願うしかない。  ドアを開けると、子泣きじじいがうちと間取り一緒、とはしゃぐ。同じ建屋なのだから当然だろう。家主を押し退け、我先にと靴を脱ぎ散らかして部屋に上がる羽田さんの背中に、今日一番の溜息を吐いた。 「テレビ無いんだ? 現代っ子だねー。いつも何してんの?」 「パソコンで動画見たり、スマホでソシャゲしてたり、スイッチでゲームしてたりですかね」 「何かおすすめある?」  部屋の真ん中に置いてあるちゃぶ台の前に羽田さんが腰を下ろした。あ、こいつ居座る気だな、と直感するが、追い出すのも面倒臭い。羽田さんの対角線上に腰を下ろし、背負っていたリュックからノートパソコンを取り出す。ちゃぶ台の上で開いて月額登録しているサブスクの動画配信サイトを開き、羽田さんに画面を向ける。 「俺風呂入ってくるんで、好きなの見てていいですよ」  立ち上がろうとしたら、ちょっと待ってよ、と羽田さんに腕を引っ張られた。 「もうちょっと付き合って」  何か答える代わりに、思い切り表情を歪めた。渋々腰を下ろし、パソコンの画面をこちら側に戻す。つまらなかった映画でも見せておけば、途中で帰ってくれるだろうか。  ズリズリと羽田さんが隣まで移動してきて、俺の肩に腕を回した。反対の手で買ってきた缶酎ハイを器用に空け、直接口を付けて飲み始める。さすがにもう学習したので、羽田さんの距離感と図々しさには驚かない。  夜の学校が舞台の怪談百物語を題材にした、いかにも面白くなさそうな映画を再生させた。ホラー系好きなの? と聞かれたので、割と、と回答をした。 「さっきはごめんな」  急に謝られるが、出会ってからずっと迷惑かけられっぱなしでどれのことか皆目見当がつかない。 「キス。あれ初めてだったろ」  返事をせずじっと画面を見ていると、聞いてる? と顔を覗き込まれた。 「最近また振られちゃって。もう女子はこりごりだわ」  殊勝に謝られたとき、酔いが醒めたのかと思ったがそうでもなかったらしい。自分からおすすめを聞いてきたくせに、羽田さんはちっとも映画を見ていない。自分が振られて辛いからといって、他人に迷惑をかけていい理由にはならない。空気の読めない酔っ払いがさらに続ける。 「俺4兄姉の末っ子でさ、甘えられるより甘えたいんだよね」 「俺にも姉がひとりいるけど、甘えたいとは思わないな」  ぽつりと独り言のように返すと、姉ちゃんいるんだ!? と羽田さんが過剰に食いついてきた。俺が返事をしたことがよっぽど嬉しかったと見える。  写真見る? と聞きながら、俺が返事をする前に酎ハイをテーブルの上に置き、スマホを操作し始める。見せられた写真は、おそらく家族でバーベキューに行ったときのものだろう。これが長男、これが次男、これが姉ちゃんと次々と画面をスライドしながら説明される。家族仲がよくて、全員美男美女。お姉さんが末っ子を後ろからハグしていたり、兄弟で肩を組んでいたり、羽田さんの距離感がバグっているルーツが確認できた。羽田さんは上ふたりの男兄弟とはあまり似ておらず、お姉さんとそっくりだった。  俺の好みとしては、黒髪短髪で筋肉質の次男。俺の好みはさておき、お姉さんがこんなに美人だったら彼女に求める理想が高くなるのもある程度仕方ないと思う。 「甘えさせて欲しいなら年上の彼女作ったらどうですか?」 「1年のときに社会人の彼女がいたことあったけど、おっぱい吸わされたりとにかくえっちなことばっかりしてきて怖かったな」 「確かにそれは怖いですね……」  赤ちゃんでもないのに授乳させられる光景を自分に置き換えて想像してしまい、おえっと吐き気を催した。 「そりゃエロいことは好きだけど、そういうの求めてるわけじゃないんだよなー」  わざとらしく羽田さんが肩を落とす。  特に映画で面白い場面があったわけではないのに、くっくっく、といきなり羽田さんが肩を震わせて笑い始めた。 「大体この話を他の奴にするとすげー羨ましがられたりそんな女いるわけないだろって信じてもらえないんだけど、春陽と話してると楽でいいな」  屈託なく微笑みかけられ、うっかり胸がときめく。別に羽田さんに気を遣ったつもりはないのだが、リップサービスが効いた。誰でも懐に入れてくれるような大らかさがモテる秘訣なのかもしれない。唇に飲みかけの酎ハイを突きつけられ、飲めと言われたが遠慮した。  翌日講義室に顔を出すと、春陽、と大声で呼ばれた。講義室の真ん中で大輝がこちらに向かって手招きしている。 「昨日帰り羽田さんと一緒だったろ。大丈夫だった?」  そういえばバスで撮られた加工写真をグループラインに上げられていたこと思い出す。 「部屋まで押しかけられて、きっちり朝飯まで食って行ったよ」  それは災難だったな、と大輝が同情を示す。  結局映画が1本終わるまで、ずっと肩を抱かれたまま解放してもらえなかった。映画が意外と面白く、中盤に差し掛かった頃からはふたりして無言で画面に見入っていた。映画が終わると、俺は風呂に行って羽田さんは他のシリーズの作品を見始めた。風呂から出て俺が寝るときも羽田さんはまだ映画を見ていて、朝起きると羽田さんが同じベッドで一緒に寝ていた。おかげさまで寝返りがうまく打てなかったようで身体が痛い。残念なことに羽田さんは昨日のことを覚えているようだった。ちなみに今日は二日酔いで大学は欠席。 「なんか変なことされなかった? 大丈夫?」  大輝に声を潜めて耳打ちされ、カッと耳が熱くなった。顔が近い。目を逸らしながら答える。 「大丈夫。特に何もなかった」  ならいいけど、と釈然としなさそうに大輝が言う。  出会い頭にキスしてくるし、やたらベタベタしてくるし、実は俺に気があって部屋に入れたら犯されるんじゃないかと思っていた。実際にはただスキンシップ過多の甘えたがりだった。  夕方、コンビニのレジに立っていると羽田さんが姿を現した。パーカーに下はジャージというラフな出で立ちで眼鏡を掛けている。やさぐれ感が出ていて昨日とはまるで雰囲気が違う。酒臭さや香水の匂いは消えていたので、帰ってからシャワーを浴びたのだろう。同じ大学で同じアパートに住んでいるのだからいずれ顔を合わせることになるとは思っていたが、こんなすぐになるとは思っていなかった。それは羽田さんにとっても同じだったようで、お互い目を丸くした。羽田さんがそのままレジに向かって来る。 「春陽、今日何時まで?」 「20時までですけど」 「お粥作れる?」 「まぁ、はい」  レシピを見れば、と心の中で付け足す。それだけ聞くとレジを離れて店内を歩き、たまごとプリンをふたつ持ってレジに戻ってきた。会計が済むと、頑張ってねと言い残して帰って行った。一体何だったのだろう。  バイトが終わり、帰宅して荷物を置いたところで玄関のチャイムが鳴った。何か通販していたかと記憶を巡らせながら玄関へ向かう。思い当たる節がないため、念のため覗き穴を確認した。コンビニで見た姿の羽田さんがドアの前に立っていた。 「どうかしましたか?」  忘れ物でもしたのかと思い、すぐに半分ほどドアを開ける。羽田さんがドアに手をかけ、大きく開いた。何事かと戸惑っている間にお邪魔しまーすと言いながら羽田さんが脇をすり抜けて玄関に侵入してきた。 「ちょっと、困ります」 「二日酔いキツくてさ。お粥作って欲しいなーなんて」  見覚えのあるコンビニの袋を押しつけ、羽田さんが勝手に部屋へ進む。中身を見ると、夕方に買って行ったたまごとプリンがそのまま入っていった。それでお粥作れるか聞いてきたのか。文句を言ってやろうと後を追うと、俺のベッドに潜り込んでいるところだった。なんとなくだが、元気がないように見える。 「量は少なめの方がいいですか?」 「うん。プリンはお土産だから、全部春陽が食べていいよ」  やはり具合が悪そうだ。世話をしてやる義理はないが、彼女と別れたばかりだと言っていたし、頼れる人が俺しかいなかったのだろうかと思うと可哀想な気がしてくる。ご近所だし、何かあったときのために恩を売っておくのも悪くはないか。  スマホでレシピを検索し、鍋に水を入れて火にかける。水が沸騰するのを待つ間にたまごを溶き、冷凍庫から出したご飯をレンジで温めておく。たまごは羽田さんが持ってきたものを使わせてもらった。沸騰したお湯にご飯とたまごを入れ、調味料で味を付けて完成。来客用の食器などは用意していないので、茶碗とお椀にそれぞれよそった。部屋に持って行くと、もっそりと羽田さんが身体を起こした。 「ほんとに作ってくれたんだ」 「もうこれきりにしてくださいね」  いただきまーす、と羽田さんがテーブルの前に座って手を合わせる。俺の言葉は無視だ。  家族以外に手料理を振る舞うのは初めてだった。簡単なものだしレシピ通りに作ったのだから失敗しようがないが、旨いと言われてホッとする。少なめでいいと言っていたくせに、あっという間に平らげておかわりを要求された。用意していなかったので、お土産と言って羽田さんが持ってきたプリンを出した。憎たらしいが、このプリンも俺と食べる用にふたつ買ったんだろうと思うと怒るに怒れなかった。

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