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第3話

 それから羽田さんは頻繁にうちを訪ねてくるようになった。スーパーで食材とデザートを買ってきて俺にご飯を作らせる。食後はすぐに帰ることもあったし、枕を持参して泊まっていくこともあった。  迷惑極まりないのも事実だが、そう悪いことばかりではない。食費が浮くことは正直助かるし、羽田さんが図々しいのであまり気を遣わなくて済むので気楽だった。また、羽田さんがいつ来るかわからないので部屋は常に綺麗な状態を保っている。  羽田さんはいつも突然やって来る。居留守を使ったこともあるが、1時間後にまたチャイムを鳴らされて渋々ドアを開けた。事前に連絡してほしいと言ったら、連絡したら断られるだろう? と自虐的に笑っていた。  週に3,4回の頻度でうちを訪ねていた羽田さんが2週間ほど前からぱったり姿を見せなくなった。風の便りで彼女ができたらしいと小耳に挟み、女子はこりごりだと言っていたくせにと思いつつもそんなものだろうと腑に落ちた。  部屋がまた散らかり始めた頃。時刻は午後10時を過ぎていたが来訪者を告げるチャイムが鳴った。また振られたのかと直感し、ドアの覗き穴を確認する。常夜灯の灯る薄暗い共有通路に羽田さんが立っていた。 「こんばんは」  ドアを押し開き、中へ招き入れる。羽田さんが持っていたコンビニの袋の中には、缶酎ハイとスナック菓子が入っている。  また振られて泣きつきに来たのかと思っていたが、そういうわけではないらしい。そこ座ってと羽田さんがベッドを指差し、言われた通りにすると、羽田さんがベッドに寝転び俺の膝を枕代わりにした。 「固い」 「一体何なんですか」  渋い顔で文句を言う羽田さんに、怒りを通り越して呆れる。固い膝枕のまま羽田さんが話を始める。 「最近1年の彼女ができたんだけど、彼氏がいる私イケてるでしょってアピールするタイプの子でさ」 「あー、彼氏をブランドのバックか服と勘違いしているタイプ?」 「平たく言えばそう。それだけなら初々しくて可愛いなって思うんだけど、男はこうあるべきっていう理想を押しつけてきてさ」  長くなりそうだなと内心うんざりする。女の話など露程も興味が無い。不満があるなら付き合いをやめてしまえばいいのに、どうして他人に愚痴を零しながらも関係を継続しようとするのか。  デートに行くと奢らされるという愚痴を聞き流しながら、羽田さんが持ってきたレジ袋の中身を目視で物色する。羽田さんはうちを訪ねる際、多少気を利かせて何かしらの手土産を持参する。チョコレート菓子があるのを見つけ、話を遮って開けてもいいか尋ねた。いいよ、と了承をもらったので遠慮無く開封しひとつつまむ。羽田さんのことを悪く言えないほど、俺も図々しくなっている。ねー聞いてる? と言いながら羽田さんが身体を起こし、ようやく枕役から解放された。 「家でふたりきりのときくらい、かっこいい彼氏求めて来なくてもよくない? ずっと演技してきたけどそろそろ限界」  羽田さんが袋の中からレモン酎ハイを手に取りプシュッとプルタブを開ける。もうひとつチョコレート菓子をつまみながら、大変ですねと相槌を打った。  普段の羽田さんがどんな感じなのかは知らないが、少なくとも飲み会の席での羽田さんはカースト上位の集団の中に馴染んでいて近寄りがたい印象だった。そんな相手に告白するくらいだから、彼女もよっぽど自分に自信がある女なんだろう。  今日はよそ行きの格好をしているが、オフの羽田さんは眼鏡でよれたジャージを着ていて、図々しくて甘えたがりだ。このことを知っている人はどれくらいいるのだろう。 「素の姿を見せて振られてきたらどうです?」 「うわ、ひっでぇ。男なんだから彼女の前で格好つけたいに決まってるでしょ」 「2週間で根を上げてるくらいだからそんなに長く持ちませんよ」  羽田さんが唇を尖らせて睨んでくるが、ただの面白い顔でしかない。その顔を彼女に披露してみたらいい。女子はギャップ萌えに弱いらしいから、もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。嫌だと言われるのが目に見えているので言わなかったけれど。 「あーあ、春陽が女だったらよかったのにな」  仲良くなった近所の先輩から、女だったらよかったのにと言われた。どう捉えたらいいのか。言った本人にどういうつもりなのかを聞いてみたところで深い意味はなかったのだろうし、言ったことすら忘れていそうだ。  俺の為人(ひととなり)を好いてくれて、女だったら付き合いたかったと、そう解釈しても差し支えないだろうか。それとも、ただの羽田さんお得意のリップサービスだったのだろうか。  こんな戯言をいつまでも意識しているなんて馬鹿みたいだが、同性愛者の俺が同性から初めて向けられた、友情以外の好意だった。もしも女になれるなら女になりたいのか。そもそもなれたとして羽田さんと付き合いたいのか。そんなできもしないことばかり考えている。  女になりたいかと言われたらなりたくない。でかい脂肪の塊が胸に付くことを想像したら気持ち悪くて堪らない。羽田さんと付き合いたいかと言われたら、果たしてそれはどうだろう。好感を持たれていることは純粋に嬉しい。しかし、押しかけられてメシ作らされて、一緒に動画見てゲームして課題する今と何が変わるのだろうか。セックスするのだろうか。俺と羽田さんが。  スマホを見ながら学食のうどんを食べていた。価格が安い代わりに味が値段相応であるが、昼時なのでそれなりに繁盛している。麺を持ち上げ口に入れようとしたそのとき、視界の両側からヌッと手が現れ、眼鏡のレンズには触れないようにそっと視界を覆われた。 「だーれだ」 「うわあ!」  掴んでいた箸から麺が滑り落ち、汁がしぶきを上げる。俺の過剰な反応に驚き、眼鏡のレンズに指紋を付けて両手はすぐに離れた。こんな子供みたいなイタズラをする人はひとりしか知らない。後ろを振り向き睨み付ける。 「ごめんて。そんなに驚くとは思わなかったんだよ」  羽田さんが両手を見せる格好のままおどけた。仕方ない人だな、と憤りながら長机の真ん中に置いてある台拭きに手を伸ばす。 「ここで会うの珍しいね。ひとり?」 「はい」  淡々とテーブルに飛び散った汁を拭くが、心臓がバクバクしていた。羽田さんが俺に気があるかもしれないという思い込みから、不埒な妄想にまで飛躍した。見透かされることはないだろうが、すごく気まずい。  大輝が居てくれたら、と脳内で片思いの相手に助けを求める。大輝が居てくれたら、率先して羽田さんとの会話を引き受けてくれただろう。大輝と行動を共にすることが多いが、残念ながらいつも一緒にいるわけではない。どちらかというと、ひとりで行動していることの方が多いくらいだ。  どちらもカースト上位で人見知りしないタイプという点では、彼らはよく似ていると思う。羽田さんは常に女に囲まれているイメージがあるが、大輝は男とばかりつるんでいる。大輝は誰にでも優しいので密かに人気があるのだが、大輝いわく男とつるんでる方が楽しいらしい。  言われてみれば、羽田さんと大学の構内で会うのは初めてだった。学年も学科も違うのだから、そういうものなのかもしれない。  羽田さんは俺の座る椅子の背もたれに体重を掛け、午後から講義があって今来たばかりだと言った。ちなみに俺は午前で講義が終わり、この後バイトに行く。時間割もほとんど重ならないのかもしれない。 「あれ、大地じゃん」  女の声に羽田さんがおう、と返事をする。顔を上げると、眉が濃く吊り目が特徴のショートカットの女性が近くに立っていた。この人が今の羽田さんの彼女だと直感する。 「あっちの方空いてるよ」  それだけ言い残し、奥の方へ歩いて行った。俺の姿は目に入らなかったらしい。美人ではあったが、なるほど性格が悪い。彼氏は自分の言うことを聞いて当たり前だと思っている。 「春陽ごめん、行くわ」  はい、と返事をして眼鏡を外した。汁と指紋が付いたレンズを服の裾で拭いながら、早く別れてしまえばいいのにと思う。数秒のやりとりしか見ていないが、気の強そうな彼女は羽田さんとは合わない。どう見ても甘えさせてくれるタイプではない。羽田さんは女を見る目がない。  夜11時過ぎ。早めにベッドに入り、横になって動画を見ていた。もう寝ようとしていたとき、いきなり玄関のチャイムが部屋に響きビクッとする。続いてコンコンコンとしつこくドアを叩く音がする。 「春陽ぃ、あーけーてー」  ベッドを飛び出し、玄関までの最速記録を更新する。 「こんばんはー! お湯ちょうだい」  ドアを開けると、上機嫌な羽田さんがいた。赤ら顔で酒臭い。手に持っているレジ袋の中には激辛のカップラーメンが入っていた。飲みの後のシメのラーメン屋代わりにうちが選ばれたというわけだ。わかりましたから早く入ってください、と苦情が来る前に羽田さんを部屋の中に引っ張り込んだ。 「お湯くらい、自分の部屋でも沸かせるでしょう?」  ケトルに蛇口から水道水を入れ、スイッチを入れる。その間、羽田さんにべったりと後ろから抱きつかれていた。酒が入っていなくてもスキンシップ過多な人だが、酒が入ると余計にベタベタしてきて鬱陶しい。 「今日もデートですか?」 「いや、今日はゼミで普通に飲み」  嫌味のつもりで言ったが、まるで通じていないようだ。  ぱったり姿を見せなくなっていた羽田さんが、またちょくちょくうちを訪ねるようになった。愚痴や弱音をこぼしながらも彼女とはまだ続いてるらしい。 「今日は発表会だったんだけど、やっと全部終わった」  見た目はチャラいし、女にだらしない印象はあるが、やるべきことはしっかりやっているらしい。お疲れ様ですと口先だけでねぎらうと、心がこもっていないと文句を言われた。  少量だったのですぐに湯が沸く。後は勝手にやってくださいとその場に羽田さんを置き去りにしてベッドに戻った。湯が入ったカップ麺を片手に部屋に入ってきた羽田さんが、もう寝るの? と訊く。時刻は深夜0時近くなっていたので寝ていたとしてもおかしい時間ではない。 「今日泊まって行こうかな」 「ダメです」  疑問形ではなく、ほぼ断定で言うから恐ろしい。そして家主の意向は無視されて泊める羽目になるのだろう。酔っ払いの相手をすることとベッドが狭くなるのが嫌なのは言うまでもない。問題は俺が羽田さんを意識し始めていることだ。何事もなく朝を迎えられることは断言できるが、果たしてちゃんと眠れるだろうか。  そんなことを悶々と考えながら適当に羽田さんの話に相槌を打っているうちに、いつの間にか寝てしまっていたらしい。ベッドが沈む感覚で目を覚ました。目の前には、逆光で影になった羽田さんの顔があった。眼鏡がないのでぼやけて顔がよく見えない。 「んっ」  顔が近づいてきて唇が重なり、舌が口の中に入ってきた。汁のせいか激辛の成分のせいかはわからないが、羽田さんの舌は熱かった。キスされているだけのときはまだ半分眠っていてぼんやりとしていたが、手が服の中に侵入してきたとき完全に覚醒した。いつの間にか掛け布団が取り払われていて、羽田さんが俺の上に跨がっていた。 「ちょっ、何!?」  さすがにこれはやばいと、危機に瀕して敬語を忘れる。 「お? 起きた」 「俺男だよ? わかってる?」 「うん?……ああ、おっぱいないもんね」  腰を直に触っていた手が上に動いて乳首に触れた。ふにふにと指の腹で弄られる。すっとぼけた物言いも声も、大きい手も羽田さんのものなのに、まるで羽田さんじゃないみたいで怖い。 「春陽だったら男でもイケそ」 「は? うそ……」  ろくに抵抗ができないままパジャマのズボンとパンツを下げられ半勃ちの性器が露出した。羞恥心のあまり涙目になる。腕をクロスさせて顔を隠した。  俺のモノを扱きながら、羽田さんが無理矢理俺の腕を退かした。嫌だと言ったのに強引にキスされ、羽田さんの手でイかされる。 「かーわいい」  このまま最後までするのだろうと思った。羽田さんが俺の横に寝そべり、ぎゅっと抱きしめられた。すぅ、と耳元で寝息が聞こえてくる。危機は去った。しかし、しばらくの間身体が動かず、声は出さずに涙を流していた。  きっとこうやって羽田さんは女を抱くんだろう。身体が動くようになる頃には涙も止まっていた。羽田さんを起こさないように、のろのろとパジャマのズボンを上げ、腹にぶちまけた精液を裾は拭いた。腕を伸ばしてリモコンで照明を消し、寝心地は悪いが羽田さんの腕枕で目を閉じた。  今この瞬間にも、やろうと思えば簡単に羽田さんの腕を振りほどける。さっきだって、本気で拒めば逃げられた。  身体を触られたとき、大輝のことが頭に浮かんだ。だが大輝に操を立てたところで付き合えるわけじゃない。セックスには興味があった。この先好きな相手と体を重ねることなんてないだろうし、羽田さんが相手ならいいかと思った。

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