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第5話

 約束の日曜日。あと15分でバイトが終わるという時間に店内に現れた羽田さんの姿を見て早くも後悔する。家を出る前に服装に迷い、デートに誘われたわけじゃないし、映画を見に行くだけだし、と変に意地を張り普段通りの地味な服を選んできてしまった。それに引き換え、コーヒーとサンドイッチを買い、イートインスペースで時間を潰す羽田さんは絵になっていてモデルみたいだった。  時間になったので裏で着替え、羽田さんと合流する。すぐ近くのバス停で、駅行きのバスを待っていた。 「今日ちょっと寒いね」  羽田さんが当たり障りのないことを言い、そうですね、と返事をする。これからバスと電車で商業施設内の映画館に向かい、到着するころには上映時間ギリギリになる。映画を見ながらポップコーンやチュロスなどで軽く腹を満たし、上映後、どこかに入って遅めのご飯にしようということになった。今日羽田さんは17時からバイトなので、16時半に現地解散というタイトなスケジュールだ。 「そうだ。チョコあげる」 「ありがとうございます」  少しお腹が空いていたのでありがたい。早速封を開け、ひとつ口に入れた。ミルクチョコレートの甘い味が口の中に広がる。俺にも一個ちょうだい、というので羽田さんにひとつ渡した。 「バス来たね」  5分ほどで到着したガラガラのバスに乗り込み、並んで座る。ふわっと一瞬すっきりした爽やかな匂いがしたのは、羽田さんの香水だろう。 「香水変えました?」 「え、ごめん。臭かった?」  いいえ、と返事をする。そういえば、最初に会った日はアルコールと甘ったるい香りが混ざった匂いがしていて、翌日残り香があって部屋を換気した記憶がある。それ以降気にならなかったのは、鼻が慣れたからだろう。  羽田さんがだらだら喋るのに合わせて適当に相槌を打ち、羽田さんがスマホを弄り始めるとピタリと会話が止んだ。今まで、羽田さんと何を話していたっけ。俺と一緒で羽田さんが退屈になっていないだろうか。 「春陽、こっち見て」  ぐいっと肩を抱き寄せられ、斜め上に掲げられたスマホが目に入る。車内にカシャッと軽い音が響き、すぐに身体が解放される。写真を撮るなら先に言ってほしい。それにしても、何もないところで写真を撮って一体何が面白いのか。ポケットの中でスマホが震える。アプリから通知が入っていて、大地から画像が共有されました、と表示されている。大地という名前にピンと来ないでいると、再度スマホが震えて同じ表示が2つ重なる。ああ、羽田さんのことか。アプリを開くと、先程撮った写真が送られてきていた。羽田さんは綺麗に笑って写っているのに、俺は何とも間抜けな顔をしている。肩を組んでいるというよりも、捕獲されているようだ。1枚目はほぼ無加工の写真、2枚目は最初に会った日と同じようにプリクラ調に加工された写真。時間差で3枚目が送られてくるが、それには動物の耳などが追加されている。俺には何が面白いのかわからないが、羽田さんが楽しそうなので、まぁいいか。  平田の言っていた通り、そして俺の予想通り映画はつまらなかった。昔ながらのおどろおどろしさがなくなっており、最新のCG技術で心霊現象がやたら神々しくてツッコミどころ満載だった。羽田さんも元々映画に期待していなかったようで、井戸から女が出てきたところで笑いそうになった、とあっけらかんとしている。 「この後だけど、春陽どっか行きたいとことか、食いたいもんある?」  少し考えて、特にないです、と返事をした。すでに16時近くになっている。予定では後30分で現地解散だ。わかってはいたけれど、時間が経つのはあっという間だった。 「じゃあ、ちょっと早いけど俺のバイト先でもいい? 焼肉屋だけど別にデザートだけとかドリンクだけとかでもいいし」  行こ、と羽田さんが俺の手を掴んで歩き出す。周囲の人が俺達を見ている気がするが、羽田さんは気にならないのだろうか。手を引っ張る力強さにドキドキする。目立つことは苦手なはずなのに、不思議と嫌な気はしなかった。  羽田さんのバイト先は、駅から少し離れたところにある個人経営の焼肉屋だった。店に入ると、レジにいた50代くらいのおばさんが、あら、大地じゃないのと声を掛けてきた。 「今は客として来てるから。ふたり、入れるよね?」 「空いてるとこどうぞ-」  俺には改めていらっしゃいませ、とにこやかに言ってくれたので、軽く会釈をして返した。通路を進みながら、今のは店長の奥さん、と羽田さんが教えてくれる。この店は家族経営で、他に数人バイトを雇って運営しているらしい。店内はそこそこ広く、まだ夕飯には早い時間なので客はまばら。二人掛けの席に座り、早速お品書きを広げた。チェーン店よりも割高で、高級とまではいかなくても大学生には厳しめの価格で萎縮する。 「社割効くからあんま気にせず好きなもん食いな」 「羽田さんはどうします?」 「俺は肉が食いたいかなー」  昼足りなかったしこの後バイトだし、と言う羽田さんに、じゃあ俺もそうしますと同調する。そうこなくっちゃと羽田さんがいくつかおすすめを教えてくれて、その中からカルビの盛り合わせを選んだ。 「あれ、大地じゃん。お前この後バイト入ってなかったっけ?」  こちらから店員を呼ぶ前に、向こうの方から話しかけてきた。 「うん。食ったらすぐ着替えてホール入るよ。ついでに注文取ってよ。カルビ盛りとライスふたつ、ウーロンふたつ」 「ちょ、人使い荒くない? あとでコキ使ってやるから覚えてろよ」  20代の男性で、かなり羽田さんと親しそうだ。悪態つきながら伝票に書き付け、厨房に消えていった。求人誌でアットホームな職場というとブラックな予感しかしないが、本当の意味でアットホームな職場とはここのことを指すのではないだろうか。 「今のは店長の息子。うるさいけど悪い人じゃないから」  ややげんなりして羽田さんが言う。他人に振り回される羽田さんはなんだか新鮮だ。 「ここの人達、みんな仲良いんですね」 「そう見える? 家族経営も何かと大変そうだよ」  待っているとすぐにウーロン茶が運ばれてきて、頼んでいないのに何故かバニラアイスが付いてきた。他にも、2品しか頼んでいない肉が3品運ばれてきた。店長の息子が言うには、それぞれサービスとまかないだそうだ。 「今度、友達連れてきてね」 「はい」 「春陽、相手にしなくていいよ」  うんざりしているのを隠そうともせず、肉を焼きながら羽田さんが言う。店長の息子が捌けた後も羽田さんがトングを離そうとしなかったので、ただ食べるだけに甘んじた。羽田さんがうちに来たときは俺がご飯を作って羽田さんは食べるだけなので、いつもと逆だ。さすが高い肉なだけあって、スーパーの安い肉とは質が違う。脂はとろけるようで、肉は味が濃くて弾力がある。ゆっくりでいいよ、と言われたが、羽田さんに合わせて急いで食べた。少しもったいなかったような気もするが、久々の高い肉に大満足だった。 「結局慌ただしくなっちゃったなー。それになんか騒がしかったし、完全に場所のチョイスミスったわ」 「いえ。アイスもご飯も美味しかったです」  羽田さんは後悔しているようだが、俺は今まで見たことがない羽田さんが見れたしご飯も美味しかったし、ここに連れてきてもらってよかった。これでしばらくおかずが貧しくても我慢できる。羽田さんが伝票を持ち、一緒にレジに向かう。ところが羽田さんはレジを素通りし店の入り口まで来た。 「春陽、今日はありがとう。なんか中途半端になっちゃってごめん。俺はこのままバイト入るから、気を付けて帰って」 「えっ、お金……」  まだ支払いをしていないのに別れの雰囲気を醸し出されてうろたえる。 「俺の奢り。今日付き合ってくれたお礼」 「そんなの悪いですよ」 「じゃあ今度遊びに行ったときに何か作ってよ」  高い焼き肉の対価が俺の手料理なんて荷が勝ち過ぎているが、羽田さんに譲る気がないことを悟り、素直にありがとうございますと頭を下げた。嫌味なくらい羽田さんが格好いい。 「家着いたら連絡して」  柔らかく微笑まれて、気が付いたらぼうっと駅に向かっていた。羽田さんの顔は見慣れたつもりだったが、今日は2割増しで格好良かった。半日一緒に過ごしてみて、羽田さんがモテる理由がよくわかった。それから前の彼女の愚痴を思い出し、ずっと彼女ファーストの対応をしていたらそりゃ疲れるよな、とも思った。俺の知っている羽田さんは基本ぐうたらな構ってちゃんで今日みたいにキラキラしていない。  夢から醒めると同時に、夜道を歩きながらひとり反省会をする。まず、服装がよくなかった。今日の自分はずっと受け身だった。俺ばかり楽しくて、羽田さんにつまらない思いをさせていないだろうか。卑屈なことばかり考えたところで落ち込むだけなのだが、こういう性分なのである程度割り切っている。着いたら連絡してと言われた。なんてメッセージを送ろうか。文面を考えながら電車に揺られた。  講義開始前、着席してペンケースやノートを机の上に準備していた。隣いい? と平田から声を掛けられ面食らった。平田は明るい茶髪という派手なルックスのせいで、一見羽田さんや大輝みたいな陽キャに見える。話をしてみると俺と同じ人見知りで物静かな陰キャに属している人間だった。断る理由もないのでどうぞと返事をする。先週マックで喋ったが、お互い大輝の友達くらいの認識でしかないと思っていた。 「この間羽田さん? と映画行く約束してたろ。行った?」  ホットな話題に、人見知りはすぐになりを潜めた。その代わりに好きなものに関してのみ饒舌になるというオタクぶりが発揮される。 「行った。平田が酷評してたのがよくわかった。けど、期待値0で行くと意外と面白かったかもしれない」 「CG技術すげーとか特殊メイクすげーとか、そっちに目行くよな」  わかるーと、レビューが散々だった映画の話で盛り上がっていると、チャイムが鳴って講義が始まった。15分ほど話を聞きながらノートをとっていたのだが、ブブ、とポケットの中でスマホが振動して集中が途切れてしまった。机の下でこっそり画面を見ると、羽田さんから肉とメッセージが入っていた。バイブからサイレントモードに切り替え、スマホをポケットに戻す。  昨日の晩から羽田さんとメッセージのやりとりが続いている。家着いたら連絡してと言われたので、お礼の言葉を添えてメッセージを送った。それに返事があり、なし崩しでやめるタイミングがわからないでいる。焼き肉のお礼に、何か手料理を作ることになっていた。そこでリクエストを聞いたところ、肉と返事が来た。昨日高い焼き肉を食ったにも関わらず、だ。ステーキ、焼き肉、ハンバーグ、唐揚げ。教授の話を聞き流しながら次々と肉料理を思い浮かべていくが、どれもピンとこない。  ぼんやりしているうちに講義が終わってしまった。筆記用具を片付けていると、平田が途中からぼーっとしてなかった? と声を掛けてきた。 「肉って言われたら何を思い浮かべる?」  突然こんなことを聞いたものだから、腹減ってるの? と笑われた。 「焼き肉とかステーキとか?」  笑いながらも答えてくれたが、考えは俺と同じだった。焼き肉は高いものを食べさせてもらったばかりだし、ステーキは作ったことがないのでうまくできる気がしない。 「家庭料理で頼む」 「今から夕飯のメニュー考えてるの?」 「まぁ、そんな感じ」  今晩羽田さんが来ることになっている。ちゃんとアポをとってくれるようになったのは大変ありがたい。 「唐揚げ。肉野菜炒め」  唐揚げは、油はねが怖くてやったことがない。肉野菜炒めは焼き肉のお礼につり合わない気がする。ありがとう、とお礼を言って話を切り上げた。もう少し自分で考えてみよう。  平田にメシ行かねえ? と誘われ、ふたりで構内の食堂に来た。食券を購入して列に並び、きつねうどんと引き換える。別の列に並んでカレーと引き換えてきた平田と合流し、隅の空いていた席に向かい合わせで座る。 「羽田さんと付き合ってるの?」  唐突に聞かれたことにすぐ反応できなかった。何か言わなければと思うのに声が出ない。ゲイだということも、羽田さんへの劣情も全部見透かされているような気がした。人が何を考えているかわからなくて当然なのに、今は平田が何を考えているのかわからないことがとても恐ろしい。 「あ、別に俺そういうの偏見ないから。ただ恋バナしたかっただけ。嫌ならやめる。ごめん」  あっさりと取り消され、なんだか肩透かしを食らった気分だ。自覚してからずっと思い悩んできた性指向をそういうのという軽い表現で流されたのもいっそ清々しいくらいだった。 「付き合ってはいない。好きだとは言われたけど」  羽田さんの許可も得ずに勝手に喋っていいのだろうか。平田なら信用できる気がしたし、何よりも俺自身が誰かに話を聞いて欲しかった。 「マックで羽田さんが乱入してきたとき、俺も大輝も居たのに春陽しか見てなかったから、そうなのかなって思った」  平田はカレーを食べながら淡々と話すが、俺は顔が熱くなって居心地の悪さを感じていた。麺伸びるよと促され、自分がまだ箸を付けていなかったことに気付く。黙々と箸を動かしていると先に食べ終えた平田が、今更だけど春陽って呼んでも大丈夫? と聞いてくる。高校までは逢坂と呼ばれていたが、大学では大輝も羽田さんも春陽と呼ぶから、それが自然になっていた。いいよ、と返事をする。それから、今更ながら連絡先も交換した。  改めて、焼き肉を奢ってもらったお礼に肉料理を作るんだと話をしたら、肉じゃががいいのではないかと提案された。焼き肉に比べたら華はないが、そこそこ手間がかかるので手抜き感がないし、比較的安価な材料で作れるので相手に負担と思わせなくていいかもしれない。帰りにスーパーに寄り、ちょっといい材料を揃えた。  20時頃、玄関のチャイムが鳴る。肉じゃがは仕込みが終わっており火を入れてる途中だった。相手が羽田さんだとわかっていたので、覗き穴の確認もせずすぐにドアを開ける。 「昨日ぶりー。なんかいい匂いするなって思ってたら春陽んちだったのか」  火にかけられた鍋を見ながら羽田さんが言う。 「俺のために用意してくれたって思っていいの?」  出会ったばかりの頃の俺なら、厚かましいと嫌悪していたに違いない。 「はい」  素直に頷くと、羽田さんが目を丸くした。それからフッと優しい目をして春陽はかわいいなぁと言った。 「部屋上がっていい?」  ようやく玄関を塞いでいることに気付き、慌てて退いた。お邪魔しまーすと羽田さんが靴を脱いで上がってきて、蓋を取って鍋の中を覗く。 「肉じゃがだ」 「ちょっと」  勝手に覗かないでくださいよ、と文句を言う。羽田さんは相変わらずで、俺ばかりが意識させられているようで悔しい。 「だって、春陽が途中で連絡ぶった切るから」 「それは……すみません」 「はははっ嘘だよ」  流しで羽田さんが手を洗う横で、ジャガイモに箸を刺して火の通り具合を確認した。箸は通るがまだ少し固い気がする。少し煮崩れるぐらいが好みなのだが、羽田さんはどうだろうか。 「できた?」  羽田さんが近寄ってくるだけで、胸がドキドキする。いちいち意識していたら心臓が保たない。 「味見してみます?」  小皿にジャガイモとにんじんとつゆをよそい、羽田さんに手渡す。つゆまで飲み干してから旨いというので、自分でも確かめたくなった。元々あまり食に関心がない方で、食べられれば多少失敗していてもさほど気にならないタイプだった。今まで味見なんて滅多にしなかったし、そのまま羽田さんに出しても気にしたことはなかった。羽田さんが旨いと言った肉じゃがは、やはりジャガイモが固かったし、煮込みが足りなくて味が染みていなかった。それに、つゆが甘かった。醤油を一回し追加し、鍋の蓋を閉じる。あっちで座っててください、と羽田さんを部屋へ追いやった。気を遣って旨いと言ったのか、本当にこれを旨いと思ったのかはわからない。それでも、俺が旨いと思うものを食べさせたいと思った。  完成した肉じゃがは、許容範囲内ではあるがちょっと濃いめのしょっぱい味付けになってしまった。それでも羽田さんは旨いと言ってくれたので、やっぱり気を遣わせているだけなのだとわかって軽くショックだった。  食後、シンクの前に立って食器を洗っていた。羽田さんが廊下に現れたと思ったら、手前のドアを開けてトイレに入った。ふぅ、と息を吐き出す。ただ自分で食べるだけなら何も気にならなかっただろうし、これがお礼でなければ羽田さんに食べさせても何も思わなかった。大きな失敗とは思っていないが、それでもうまくできなかったことが悔しかった。  やがて水が流れる音がして羽田さんが出てきた。部屋には戻らず、俺の背後に立ってぎゅっと抱きしめてきた。 「ちょっと! ちゃんと手は洗ったんですか?」 「洗ったよ」  これが羽田さんにとってのスキンシップの範囲内であることはわかっている。それでもドキドキしてしまうのはどうしようもなかった。 「好きです」  ずっと、返事をするタイミングを窺っていた。こんな風にポロッと溢すつもりはなかった。だが、これ以上隠しておくことはもう無理だった。羽田さんは何も言わなかった。聞こえていなかったのかなと思い後ろを振り向こうとしたら、身体ごとひっくり返された。いつの間にか背後にシンクがあって、正面に見たことがない顔をした羽田さんがいる。怒っているような怖い顔をしていたが、触れ合った唇の感触は優しかった。キスされたんだと実感したときには、羽田さんの腕の中にいた。 「俺達、付き合う?」 「はい」  抱きしめ返したかったが、右手はスポンジを持ったままだったし、左手は濡れていたので手首を羽田さんの身体にくっつけた。

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