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第8話

「よし、勉強も終わったし海行こ!」 京一はまだ解けていない問題があるにも拘わらず、(7)を解くとワークを閉じた。 「京一…ほんとに終わったの?」 隣で参考書を読んでいた瀬良は訝しげに京一を見た。 「終わった!つーかずっと勉強なんてつまんねーだろ。海行こ」 「京一は元気だねえ〜」 「なに?ジジイ?」 「ああ、ジジイじゃないけれど、僕は君より1つ年上のオトナだね」 「4ヶ月違いなだけだろ」 瀬良と京一は言い合いながら、海に行く支度を始めた。 支度といっても泳がないので、ビーチサンダルやスマホや水筒やらを小袋に詰めるだけである。 「聞こうと思ってたんだけど、なんで泳がないの?」 瀬良がリュックの奥で潰れているサンダルを引き抜きながら聞いた。 「お盆すぎは海に入んのダメなんだよ、クラゲがすげーいるらしいぞ」 「ああ、海水温度が上がるから…えっじゃあ検証もできないってこと?」 瀬良は顔を輝かせて言った。 「おい、なんでンな嬉しそうなんだよ。検証は別!ちょっと足入れるだけだし」 「そのちょっとの時に刺されるかも」 「刺されねえっ!ほらっ行くぞ」 京一は、小袋を肩に乗せて行こうとするが、瀬良は動かないままである。 「なに」 「京一…小さい袋忘れちゃった……」 「忘れたのかよ……」 「はい」 瀬良はリュックで持っていくと言ったが、京一は自分の小袋にぎゅうぎゅう詰めにして瀬良の持ち物を入れた。 ♢ 「ばあちゃん、俺ら海行ってくるから」 京一は居間でおかきを食べている祖母にそう言った。 「あらっ、海に入っちゃダメよ。クラゲがいるんだから」 「わかってる、ちょっと見に行くだけ」 「見に行くだけって、こんな暑いのに。昨日もバス停に迎えに行こうかって聞いたら歩いて行くって言ったり…あんた達暑さに強いのねえ」 若いからかしら、と言いながら祖母は目の前のテーブルに置かれたおかきに手を伸ばした。 「え、そうなの?京一」 京一の後ろに居た瀬良が、不思議そうな顔をして尋ねた。 「う…」 京一は、ふいと視線を逸らしてばつの悪そうな顔をした。 「あら、瀬良君知らなかったの?京一が瀬良君と話しながら行くからいいって。車の中で話せばいいじゃないって言ったら2人で…」 「あー!!もういいって!じゃあ行ってくるから!サヨーナラ!!」 京一は祖母の話を遮り、瀬良の手を掴んで玄関へ向かった。 ♢ 京一の耳に、後ろで笑う瀬良の声が聞こえる。 「くっそ……」 「ふ、京一……ふふっ…」 家と家に挟まれた狭いコンクリートの道を歩いていく。 ブロック塀から延びた木につく蝉が鳴き、どこかの家で鳴る風鈴の声が時折聞こえる。 「笑いすぎ」 「だって、京一暑い暑いとか言ってたのに。僕と…2人であっつい中、話したかった?」 「ちがう」 京一は、後ろで笑う瀬良を一切見ずに言い切った。 「それに…サヨーナラ?!あはっ、ふふ、」 「うっせー!たれめがね!!別にさようならっておかしくねーじゃん」 京一は赤面して、ずんずん、大股歩きで進んだ。 「うんうん、おかしくないよ」 そう言う瀬良の声は、笑いを堪えているのか震えている。 道を抜けると、広大な田んぼが見えた。 2人は田んぼと田んぼの間の道を進む。近くで流れる小川の音と蝉の声が響く。 両脇に青々とした山が囲うように広がり、汗を流して歩く2人を見つめていた。 ここから海へは、もう少しかかる。 ♢ 「おし、着いたぞ」 「着いた〜」 「サンダルに履き替えるぞ。ほら」 「ありがと、」 安遠海岸に到着した2人は、海に続く堤の前でサンダルに履き替えた。 堤の前に、輝く青い海が広がっている。 「砂でトンネル作ろうよ」 「お前…子供か?」 「高校生は子供だよ?知らなかった?」 瀬良が嬉しそうに砂浜へと走っていく。 「さっきはオトナだとか言ってたくせに」 京一は呆れながらも、瀬良を追って海へ向かった。 太陽から2人へと続く、白い橋のような模様が海に浮かんでいる。 その模様は、瞬きをするよりも速く姿を変えた。 網目状にできた海の模様は、光に照らされ、非常に眩い。 「ほんとに都市伝説があると思う?この海に」 瀬良と京一は、砂浜を共に歩いていた。 瀬良が海を見ている。 京一は、金の睫毛に縁取られた青い海を見た。 「それを今夜検証すんだ」 「ないと思うけどなあ…うん、無いと思う、絶対」 「あるかも、だろ」 「京一…今回だけじゃなくて、今までやってきた検証全部何もなかったじゃないか」 「そーだけど…」 京一が不満そうに顔を歪めると、瀬良が、はぁ、とため息をひとつ吐いて、再び口を開く。 「学校の七不思議も廃工場もトンネルも…何も無かった」 「夜だったらなんかあるかもしんねーだろ」 「ないよ、危険なだけ」 瀬良がそう言った後、2人はしばらく睨み合った。 しばらくして、京一はわざとらしく大きなため息をつき、瀬良から視線を外した。 「あーあ、やっぱり俺1人で来れば良かった」 「…京一が1人で検証なんかできるわけない」 2人は適当な所で向かい合って座り込み、両手でほんのり熱い砂をかき集め始めた。 「いや、俺1人で検証しようとしたことはあるから。」 「は……?え…っ?」 「お前うるせーから、1人で行ってやろうと思って」 京一は頬を膨れさせて、呟くように言った。 「い、いつ!?どこに?!」 瀬良はひどく驚いた様子で、京一との距離を急速に狭めた。 「ちょっ、ち、近いって!……小五の時の!口裂け女が出るって言う路地裏」 京一は瀬良の顔を押し返しながらそう言った。 瀬良の顔に、京一の手の平に付いていた砂がくっつく。 「それは僕と行ったでしょ…」 「お前と行く前に1人で行ってたんだ。けど着いたら吐き気がすごくて帰ったんだよ」 京一が手を離すと、瀬良の顔からパラパラ砂が零れていく。 それでも顔に残った砂は、京一が払ってやった。 「吐き気?調子でも悪かったの?」 「いや、その道に近付いてから急にだ。」 「でも僕と行った時はそんな風になってなかったよね」 「ああ、そうだ。でも、その後にもでるって噂の公園のトイレに1人で行こうとしたら、頭痛がヤバくて帰った」 「そこも僕と行った。その時も京一そんなこと無かった気がするけれど」 「そうだ、何も無かった。公園の件からもう1人で行かなくなったけど…瀬良と行くと何も無いってなんでだろうな」 2人がせっせと集めた砂が、こんもりした山になっていた。 「京一がビビリだからだよ。信じすぎて何も無いのに、体が緊張して反応したんだ。……1人でなんか行くから」 「誰がビビりだ!多分俺霊感あるんだって。ほんとは」 「1度も見えたことないでしょ」 2人は真ん中にできた山をペチペチ叩いた。 海水を砂に少しかけたりして、強度が増すように工夫し始めた。 「あ、わかったぞ…。瀬良が居たら大丈夫なのは、メガネ光らせてドヤ顔で検証してんのが面白かったからだ!」 「光らせてないし、ドヤ顔もしてない。ただ全く怖くなかったから堂々と居ただけ」 「いやしてた。それが面白かったのは確かに覚えてる」 京一は両手でわっかを作って目元に持って行き、当時の瀬良の様子を演技して見せた。 「やめてよ、京一は僕にしがみついてぶるぶるしてた癖に」 瀬良は呆れた様子で京一を横目に見ながら、砂の山を撫でた。 「絶対してねえ!」 「いや絶対してた」 2人は美しい海に見向きもせず、海水で濡れた山の両脇で言い争った。 ♢ 「駄目って言われたけど…足ちょっと入れてみるか」 京一は、つま先のすぐ側まで迫る波を見つめてそう言った。 「クラゲいない?」 「見た感じここにはいないと思うけど、」  そう言って、京一は膝までスボンを捲り、海水に足を入れた。  海水が、ちゃぷ、と音をたてて京一の足を迎い入れた。 「ぬっる」 「僕も、」 「ズボン捲れよ」 「うん」  2人の足に、海水と打ち寄せた砂がまとわりついた。  心地よい波音が辺りを優しく包んでいる。 「ふふ、気持ちい」 「気持ちいいか?ぬるいじゃん」 「ぬるいけど…気持ちいいよ」  瀬良が足踏みしてパシャパシャ音をたてた。海水が短く散り、瞬時に輝く。 「もっと行ってみるか、」 「うん、クラゲいないか確認しながらね」 「そうだな」  一定のリズムを伴った青い波が、緩やかに打ち寄せている。 「やっぱこの海綺麗だな、すっげー透き通ってる」 「ほんとだね、足元までしっかり見える」  2人は、膝下まで海に入り足元をじっと見つめていた。 海水越しに砂が見え、オレンジ色の石が太陽の光を受けて煌めいた。 京一が足元から前へ視線を向けると、太陽の光を受けて白く輝く海が壮大に見えた。 今日は本当に天気がいいね、と瀬良が満足そうに言った。 「そうだな。つーかやっぱ海っていいなあ」 京一が瀬良に向かって微笑みかけると、瀬良も優しく微笑み返した。 「そうだね。来て良かった」 「だな」 京一は、めいいっぱい夏の空気を吸い込んだ。 ふと視線を横に向けると、遠くの砂場で遊んでいる子供がいた。 見たところ、10歳くらいの女の子であろうか。 白いワンピースをはためかせ、浜辺を駆け回っている。 踊っているようにも見えた。 砂浜にも海辺にも自分と瀬良しかいなかったと思うが、いつの間に? 少女と目が合った、ような気がする。 京一は、自らの足が砂浜へと向かっていることに気付かない。 「うわっ?!」 急に体が傾いたと思うと、瀬良にぐい、と腕を引かれていた。 「京一!さっき魚通ったよ、こっち」 瀬良が京一の腕を取り、奥へと足を進める。 「びびった…なに?」 「魚が居たんだけど…なんかぼーっとしてた?」 「あれ……そーいや俺何かしようとしてた気がする…?」 「ふふっ、なにそれ。さあ早く、魚!」 瀬良は柔らかく笑うと、京一の腕を取ったまま、走り出した。 「まてよ瀬良、走るな!躓くぞ」 「大丈夫だって、京一はやくうぅわッ?!」 「ちょっ……!!?」  瀬良がよろけ転びそうになった所を、京一が踏ん張ろうとした――が、2人は海に、顔面から入水した。  ​─────バッシャーン!!  2人分の体重を受けた海水が、空中に舞い踊った。 「…ぷはっ、もおお!なにやってんだよバカ瀬良!」 「ごめんん…けほっ、京一、大丈夫?」  ぐっしょりと濡れた2人の髪が、艶やかに光っている。 「ビッチャビチャだっつーの!つーかしょっぱ!」 「ほんとにごめん…しょっぱ…」  瀬良がしょんぼりしながら、ぺっぺっ、と舌を出した。 京一はもっと言ってやりたかったのだが、瀬良のしょげた顔に弱かったので、もう何も言えなくなった。 「ったく…怪我はねえな?」 「うん、京一も怪我ない?」 「大丈夫だ、……ほら、魚探すんだろ」 申し訳なさそうにしている瀬良に、京一は笑いかけた。 小さい頃から、瀬良が何かやらかす度、こうやって京一は瀬良を許してきた。 「…うん!あっちの方で見たんだ」  瀬良が、濡れたメガネを服で拭ってから、嬉しそうに京一の手を引いて誘導した。  びっしょりと濡れたはずなのに、瀬良の手は温かかった。 「服乾くまでちょっと居るか。この暑さならすぐ乾くだろうし」 「うん」  2人は砂山トンネルの近くに座り、海を眺めていた。 あぐらをかいた足に、砂がべったりと着いている。 「いたっ、」 声に反応した京一が瀬良を見ると、顔を俯かせ左目を擦っていた。 「なに、どうした?」 「ん、なんか目に入ったみたい」 「まて、目擦るなよ。見せてみろ」 「うん……」  瀬良が顔を上げ、京一に近付く。 鼻先がもう少しでくっついてしまう程の距離になる。 「ち、近いって…」 「だって、近くじゃなきゃ見えないよ。はやく、」  金の髪の隙間から、美しい瞳が一直線に見つめてくる。 早くなる鼓動を無視して、京一は分かった、と言った。 「んーと…左だよな」  京一は瀬良の左目にかかる髪を持ち上げ、目を見た。 目頭に付いている睫毛を発見し、そっと摘んで取ってやった。 「ほら、取れたぞ。これで大丈夫か?」  京一はそう言いながら、ついでに頬にぺたりとくっついている髪を耳に掛けてやった。 「うん……京一、」  瀬良が、京一の離れようとする手を捕え、自らの頬に添わせた。 「どうした?」 「…京一の手、冷たくて気持ちいいから……」  瀬良が少し屈んで、気持ち良さそうに手の平に頬を擦り付けた。 瀬良の伏せられた睫毛が、添えた指先に触れて くすぐったい。 「お前、体温高いもんな…気持ちいいか?」 「うん、」 2人の距離は、お互いの膝がこつん、と当たるくらいに近くなっていた。 「京一〜〜!!」 「えっ?!」  急に名を呼ばれ、びくりと体を震わせて後ろを見ると、白髪まじりの髪を後ろに結んだ老人が、自転車に乗りながら手を振っていた。 「じーちゃん!」 「京一のおじいちゃん…」  京一の祖父、修二(しゅうじ)は堤防に自転車を止めた。 修二は、駆け寄ってきた2人を見て、優しく微笑んだ。 「おや瀬良君か。大きくなったのう!」 「お久しぶりです。今日はお邪魔しています」  瀬良が微笑んで修二に挨拶をした。 京一は自転車のカゴに入った大きな袋を覗き込んでいる。 「じいちゃん、これスイカじゃん!貰ったのか?」 「おーそうじゃ。夕飯後に食べるといいぞお。千代子(ちよこ)に頼んでおくからのう」 「ばあちゃん大変そうだけど…瀬良っ、やったな!」 「うん。スイカ楽しみだね」  京一と瀬良は微笑み合った。 「にしても瀬良君…イケメンに育ったのう…」  修二が腕組みをし、頷きながらそう言った。 修二は瀬良に初めて会った時から、なぜか何かと目を掛けているのだ。 「ふふ、ありがとうございます」 「なに、じいちゃんキモイんだけど」 「そんで京一と一緒に居てくれているようで、安心したわい」  修二は、京一の訝しげな視線を無視し、瀬良に優しく微笑みかけた。 「なんだよ、それ」 「京一を放っておけないですよ。危なっかしいから」  瀬良は微笑んだ顔のまま、京一の肩に寄りかかってみせた。 それを京一はムッとして瀬良を押しのけた。 「それはこっちのセリフだ!つーか、じーちゃんどうしたんだよ。ここらに用事があったのか?」 「ああ、ここの近くの友人に会っていての、せっかく海が近いんじゃし、見て帰ろうと思ってのう。そしたらお前たちが居たんじゃ」 「え、じいちゃんそんな海好きだっけ?」 「ああ、いや、最近海が荒れておるから、今日はどうかと思っての」 「荒れてる…?そんな風に全く見えないけど」  京一は、穏やかに波を寄せる海を眺めて言った。瀬良と目を合わせ、不思議そうに首を傾ける。 「うーむ、今日は変に落ち着いているように見える。遊ぶのはいいが、気をつけるんじゃぞ」 「あー…うん、分かった」  京一は、とりあえず頷いておくことにした。 「それじゃ、わしは先に帰っておくぞ〜」 「分かった。俺らはもうちょい居るわ、じゃあな、じーちゃん」  じゃあの〜と言いながら、修二は自転車のスタンドを上げ、去って行った。  京一と瀬良は目を合わせ、もう一度砂遊びをすることを決めて砂浜に戻って行った。

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