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第9話
京一達は海で散々遊んだ後、夕日が傾く頃に家に帰宅することになった。
♢
「ごちそーさまでした!」
「ご馳走様でした」
京一と瀬良は祖母が腕によりをかけて作った魚料理で腹を満たした。
夏野菜と白身魚や、冷豆腐、茄子が入ったお味噌汁の美味しい夕飯であった。
「腹ごしらえも済んだし、今夜は頑張れるな」
京一が箸を置き、瀬良に向かって笑いかけるが、瀬良は神妙な顔で京一を見ていた。
「……あのさ、京一、ほんとに…本当に今夜行くつもり?」
瀬良が箸を皿の上に置き、真剣な面持ちで聞いた。
「はあ?今さら。行くにきまってんだろ」
「……それは、都市伝説を検証したいから、だよね?」
「そーだけど?」
京一がそう言うと、瀬良が黙り込んだ。
「なに、どうした?」
「…京一……あの、ごめん……」
「ごめん?」
京一は、瀬良の発言の意図がつかめず、眉間に皺を寄せて見つめた。
「えっと……都市伝説、僕が適当に書き込んだ嘘なんだ」
「は……?嘘?!」
京一は驚いて大きな声を出すと、瀬良が上目遣いでコクコクと頷いた。
「うん…ごめん……。京一が馴染みのある安遠海岸の名前とか入れてたし、すぐ気付かれると思ったんだけど…」
「いや気づかねぇよ!なんで行く前に言わなかったんだよ」
「だって……京一と出掛けるの楽しそうだなって…思って…」
「あんなに危ない危ない言ってたくせに?!」
京一がずいと瀬良に顔を寄せて詰め寄ると、瀬良が目を逸らして小さく口を開いた。
「う……。危ないって思ってたのは本当だし、最初は行く前にネタばらしするつもりだったんだ。でも、その…この話が嘘だって言えば、京一とここに遊びに行けなくなるかもしれないって思って、」
「別に…お前が行きたいなら行ってたぞ?なんだよ
……、そんなに俺と遊びたかったのかよ」
瀬良が俯いて、小さく頷いた。
京一は、いつも目線を上げなければ目が合わない幼馴染が小さくなっている事に、少し優越感を覚えた。
「ふうん……。あ!都市伝説の投稿が消えたのってお前が消したからか!」
「そうだよ…。やっぱりネットに嘘書くのは駄目かなって思って。京一みたいに信じる人も本当に居るんだって分かったから」
「し、信じてねえよ。本当かどうか確かめようって思ってただけだし」
京一が、口をとがらせそっぽを向いた。
そのまま横をちらりと見ると、申し訳なさそうに縮こまっている瀬良が映る。
「……早く言わないとって思ってたのに、今までずっと黙ってた。……騙して、ごめんなさい」
「いーよ、別に。……でもさ、瀬良の嘘だってことは分かったけど、やっぱり今夜行こうぜ」
「え…?!どうして?!分かっただろ、僕の嘘だって。検証の意味は無いよ?」
瀬良が心底驚いた顔で京一を見た。
その様子に、京一はニヤリと笑って拳を高く挙げた。
「いや!俺は行くぞ!」
「何のために?!」
「とりあえず、夜に海へ行きたいからだっ!なんか…なんか霊的なことがありそうだろ?!それに、俺ずっと今夜のこと楽しみにしてたんだぞ?遂に何かに遭遇するかもって!」
「だ、駄目だよ!京ちゃんお願いだよ、騙して本当に悪かったと思ってるんだ。危ないよ!」
瀬良が京一の肩を掴んで説得するが、京一の調子は止まらない。
「うっせー!瀬良も俺を騙して悪いと思ってんなら今夜着いて来いよ。なっ?瀬良も一緒に行こうぜ!」
京一がそう言って笑って見せると、瀬良は眉を八の字にした。
しばらく見つめ合ったあと、瀬良がため息をついた。
「ああもううう……分かったよ、行くよ。でも、できるだけすぐ帰ろうね」
「分かってるって。夜に出掛けるのってワクワクするだろ?ぜってー楽しいって」
「ああ…全然ワクワクしないよ、京ちゃん……」
はしゃぐ京一の前で、瀬良はうんざりした顔で頭を抱えた。
京一がしょぼくれた瀬良の肩をバシバシ叩いていると、台所の祖母から風呂が入ったと声が掛かった。
「ん、風呂沸いたとよ、瀬良先入ってこいよ」
「え、僕は後でいいよ」
「遠慮すんなって。お前客なんだし?」
京一はドヤ顔で、ぐっと親指を立てた。
上機嫌である。
「……そう?じゃあ、お先に…」
「ん。検証のためにしっかり身体あっためとけよ」
「意味がわからない」
瀬良はやはりしょぼくれたまま、風呂場に向かって行った。
京一はその様子を見て笑いそうになったが、なんとか堪えることができた。
♢
「京一お風呂空いたよ」
瀬良が風呂からあがり、部屋に戻ると、京一がテーブルに突っ伏しているのが見えた。
まだ少し濡れた髪を耳に掛け、京一のそばに寄る。
「京一?寝てる…?」
京一は目を閉じ、安らかな寝息を立てている。
「お風呂空いたんだけど…?京一く〜ん?」
瀬良は、眠る京一の傍に座り直し、寝顔をじっと見つめた。
瀬良の膝に、クーラーで冷えた畳が触れる。
京一の頬を、人差し指の腹で優しく触れた。
冷房に冷やされた滑らかな肌をなぞるが、京一は起きない。
京一は今日昼寝をしていないから、夕飯を食べて眠くなったのかもしれないな、と瀬良は思った。
もしくは、京一は電車でもバスでも起き続けなければならなかったから…自分がずっと隣で寝ているせいで。
または、自分が公園でベンチから転げそうになったり、海で躓いたりして、気が休まらなかったから疲れたのかもしれない。
そうだったら良いのに、と瀬良は思った。
自分の存在が、京一に影響を及ぼすことは、瀬良にとって嬉しくてたまらないことだった。
――そんな風に思うようになったのは、いつからだろう。
京一の絆創膏が、自分のせいで無くなっていくのが嬉しいと思ったことが始まりだったのかもしれない、と瀬良は思った。
転んで血を流す自分を心配そうな顔で見て、ポケットからくしゃくしゃの絆創膏を出す京一が、瀬良は心底好きだった。
お前って、危なっかしいやつ。そう言って手を引く京一が。
そう思った時から、わざと転んだり、躓いたりしてみせるようになった。
躓けば、怪我をすれば、京一の注意を引ける。
そんなことを思いながら今までずっと過ごしてきた。
♢
もっともっと、京一の気を引きたいと思うようになった。
そんな時だった。
京一は、瀬良が誰かと楽しそうにしていると、嫉妬する、ということが分かったのだ。
瀬良がそれに気付いたのは小学5年生の時だった。
京一は、明るく面倒見が良いことから、転校してきてから、すぐにクラスの人気者になった。
京一と居ると、人見知りの瀬良も自然と人の輪に入るようになり、友人ができるようになった。
ある日の放課後、瀬良が最近仲良くなった友人と廊下で話していると、誰かに服を後ろから引っ張られた。
瀬良が驚いて後ろを振り向くと、先程まで教室で談笑していたはずの京一だった。
「京ちゃん?どうしたの」
「……瀬良、帰ろ」
京一は既にランドセルを背負い、瀬良のランドセルを突き出しながら、不機嫌そうな声でそう言った。
「え、今日早く帰らないといけないの?」
京一と瀬良は出会った日から、毎日登下校を共にしていたのであった。
京一のいつもとは違う様子に、瀬良は首を傾けた。
「……いいから、」
京一は顔を伏せて、グイグイと瀬良のランドセルを押し付けた。
「京ちゃん…?」
「帰ろってば。瀬良」
瀬良は、なぜか拗ねている京一を不思議に思いながらも、友人との話を切り上げ、帰ることにした。
「京ちゃん、なんで拗ねてるの」
「はあ?拗ねてねえし」
京一は下駄箱で履き替えると、早足で玄関の階段を降りて行く。
瀬良は置いてけぼりにされないように、必死で着いて行った。
「拗ねてるよ。フキゲンな顔してたもん」
「そんなことない」
踵が完全に入っていない京一の靴が、コンクリートを踏みしめる。横に見えるフェンス越しに、学校の運動場が見えた。
「早く帰りたがったりしてさ……さっきお友達にいやなこと言われたの?」
「そんなんじゃない、うるさい」
京一の低い声が前から聞こえる。
「……ほんとに、どうしたの?……もしかして僕?」
前を歩く京一の肩が、僅かに反応した。心臓が、ドキリと跳ねる。
「僕なの…?僕、京ちゃんに何かした?」
京一の返答はない。
相変わらず前を向いたままどんどん歩いていく。
瀬良は、自らの手を弱々しく握った。
京一に何かしてしまったのだろうか。
1日を振り返ってみるが、何も思い当たる節はなかった。
「京ちゃん…」
唇が震える。
京一に嫌われたのかもしれない。
早く鳴る鼓動を何とか無視して、京一の名前を呼ぶ。
「京ちゃん……、京ちゃんってば……」
京一の返答はやはり無い。
人に嫌われたかもしれないと思うことは、こんなにも怖いことなのか、と思った。
瀬良は立ち止まって、前を歩く京一の、黒い後頭部を見る。
それから、足元にあるできるだけ鋭い石を拾って、自らの左腕を見つめた。
「いッ……」
赤い血が付着した石を遠くに投げ、そのままその場にわざと音を立てて、倒れこんだ。
「瀬良……?」
前を歩いていた京一が振り返り、心配そうな顔で駆け寄ってきた。思わず緩みそうになる口許を、頬粘膜を緩く噛んで我慢する。
「えっ…血が出てる!どうしたんだよ、また転けたのか?」
「うん、擦っちゃったみたい」
京一が瀬良に手を差し伸べ、引っ張り上げた。
「バカ……絆創膏っ……」
瀬良は、京一のポケットへ伸びる腕を優しく取った。
「やっと僕のこと、見てくれたね」
静かに、囁くように呟いた。
京一の黒い瞳が、僅かに揺れる。
「京ちゃん、教えて。僕、京ちゃんに何かしちゃった?」
「…………お前は、何もしてねえよ」
「でも……」
「……お前、今日あいつと帰るつもりだったんじゃねえの」
「あいつと帰る?」
「さっき廊下で話してたやつ!」
京一の声が響く。俯いたままで、表情が読み取れない。
瀬良が触れている腕が、小さく震えている。
「え…山内くんのこと?帰りの話なんてしてないよ」
「してないかもしんないけど…。あいつと話す時、すげー楽しそうだったし……」
「…え?」
「お前、俺より、あいつの方が仲良いんじゃねえの」
瀬良は京一が何を伝えたいのか分からず、困惑していた。
すると、京一は自らの腕をとった瀬良の手を握り直した。その手はとても冷たい。
「そんなことないよ。僕は…」
「俺より仲良くなったら、あいつと帰るようになるんだろ、」
「ならないよ」
瀬良は即答するが、京一は僅かに濡れた瞳で瀬良を睨んだ。
「ほんとかよ。今日だってすっげー笑ってたじゃんか…。俺と居るより、楽しそうだった…!」
京一が捲し立てるように言う。
語尾が震えて、今にも泣き出しそうな様子である。
「……京ちゃんが拗ねてるのってそれが理由?」
声が弾みそうになるのをなんとか抑えて、目の前で目尻を赤らめる京一に訊ねた。
「だから、俺拗ねてな…」
「僕が取られちゃうって、そう思ったの?」
京一が目を丸くしてから、瞬きをして、再び俯く。瀬良は、傷口から流れ出る赤い血が、繋いだ京一の指先に到達するのを見ていた。
「べつに……取られてもいーけど、」
だったら、どうしてこんなに強く手を握るんだ、と瀬良は思った。
俯く京一の、悲しそうに歪む眉から、微かに震える黒い睫毛から、目を離すことができずにいた。
「大丈夫。僕はずっと京ちゃんのだから。ずっとずっと、京ちゃんだけを見てるから……」
瀬良はそう言って品の良い微笑を顔に浮かべ、自らの血で汚れる京一の手を優しく握り返した。
いつのまにか手の平に温かさを取り戻した京一が、本当に、本当に小さな声で、うん、と言った。
ふつふつと、心が妙なもので満たされるのを瀬良は感じていた。
それから瀬良は、もっと、ずっと社交的になった。
できるだけ人に愛されるように、愛想の良い人間を演じた。
また、自分の容姿がどうやら優れているらしいと気付き、活用した。
好都合だった。
誰かと仲良くなる度に、京一からの視線や言動を期待した。
この他にも、京一からわざと離れることをした。京一とわざと違う部活動を選んだり、高校を離れたりした。
他人と仲良くする以上に、京一からの大きなリアクションが得られるからだった。
京一は成長すると、拗ねることは無くなり、傷ついたような顔をしたり、無理に笑ったりするようになった。
瀬良は、定期的に京一のそのような表情を見なければ不安でたまらなくなるようになっていた。
♢
今日、ついに県外の大学を受験すると言ってしまった。
これが、京一の気を引くためであること、自分は京一の感情を強く動かせる存在だと確認するためだと知ったら、京一はどう思うのだろう、と瀬良は思った。
いっそ過去のことも、全て知られてしまいたいと思った。
「京一、」
眠る京一の無防備に晒す首元や、少し焼けた腕から胡座をかく脚、つま先まで、視線を落としてゆく。
「京ちゃんのこと、ずっと見てるよ。だから……」
京一の、しばらく開くことのないであろう瞼を、呪うように、祈るように見た。
こんな恐ろしい気持ちが、青春だの、甘酸っぱいだのと言われているのは、絶対に間違っていると瀬良は思った。
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