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第10話

「瀬良〜牛乳やる」 風呂から上がってきた京一は、瀬良に牛乳の入ったコップを差し出した。温まった後に飲む冷たい牛乳は、特別に美味しいと京一は確信していた。 「ありがと、……ふふっ、京一のジャージ、久しぶりに見たな」 瀬良は牛乳を口につける前に、京一の姿をしげしげと見つめた。 「そういや俺もお前のジャージ姿、久しぶりに見たかも」 そう言う京一の胸元に、「梅田」という文字が紺のジャージに縫い付けられていた。 瀬良は、そう?と言って、ゆっくり牛乳を飲んだ。 「起きたら即行けるようにっていう理由でジャージ着てんだから、目覚ましなったらすぐ起きるんだぞ」 「分かってるよ」 「ほんとかよ……」 京一達は部屋の真ん中にあるテーブルを隅へ動かし、押し入れから布団を引っ張り出した。 真ん中に白い布団を2つ並べ、肌触りの良い枕をそれぞれ布団の上に置いた。 「ふふ、なんか修学旅行みたいだね」 「修学旅行みたいになったら困る」 京一はそう言って、自分の布団の上に仰向けに寝転がった。さらりと冷たい布団が気持ちいい。 「困る?何かあったっけ?」 「…すげー寝相悪いだろ、瀬良」 京一と同じく隣の布団に寝転がった瀬良に、京一は不機嫌そうに言った。 「えっ僕寝相悪い?」 「悪い!俺の顔の上に足のっけてきたし!」 「そんなことした?全然記憶にないんだけど」 「お前ええ……。俺真夜中に瀬良の寝相のせいで起こされたんだからな!修学旅行の時!」 きょとんとしている瀬良を、京一は睨みつけた。 瀬良は京一の睨みを無視して、ああ、となにか思い出した風な顔をした。 「そういえば、京一が夜中にトイレついてきてって言ってきてたね。それって僕のせいだった?」 「そうだ!瀬良を布団に戻して、寝ようと思ったけど寝れなくって、それで……その……」 京一が目線を下げて口ごもると、瀬良が微笑して、 「怖くて1人でトイレに行けなかったんだよね?」 と言った。 「あっ、あの時はまだ小学生だったし」 「僕は1人で行けてたけど」 瀬良が長い足を組み、涼しい顔をして京一を眺めている。京一は顔を赤らめて、瀬良の前髪を払ってデコピンをした。 「いたい!」 「瀬良のばかやろう」 「なんで?ただ京一は夜に1人でトイレに行けないって言っただけだよ」 「それもっかい言ったらもう1発ぶち込む」 京一が手をデコピンの形にすると、瀬良がくすくすと上品に笑った。 「言っとくけど、俺今は1人で行けるんだからな!真夜中でも!」 分かってんのか、と言って、京一は人差し指を瀬良へ向けた。 瀬良は微笑を絶やさない。 「分かってるよ。でも……」 そう言うと、京一を自らの布団へ優しく引き寄せた。 京一と瀬良は、やわらかい布団の上で、向かい合わせになった。 「なっ、なに?!」 瀬良が、京一の頭まで覆うようにして掛け布団を被せる。薄暗い布団の中で、瀬良が囁く。 「怖くなったら、昔みたいにこうやって潜り込んできたらいいよ、」 京一は、昔、怖くなって瀬良の布団に潜り込んだ事を思い出した。 布団をすっぽり被って、暗闇の中で小さな瀬良の手を握ったのだ。 瀬良は、京一をずっと傍に居させてくれた。 「だ、大丈夫だっ」 「そう?」 京一は急いで瀬良の掛け布団から抜け出して、自分の布団の元へ帰り、スマホを見た。 夜の10時である。 「もう10時かよ……おしっ、寝るぞ」 「もう寝るの?」 「そうだ。起きるのは深夜の2時半だぞ」 「やだなあ……」 「目覚まししてっからな。ちゃんと起きろよ」 瀬良が、はーいと言って、改めて白い布団の中へ入った。 瀬良はもう、うとうとし始めているようだ。 「おい、眼鏡外せよ」 「はずして、」 眉をひそめた京一が、瀬良の華奢な眼鏡を親指と人差し指で静かに外して、畳の上に置いた。 「おやすみ、京一」 「おやすみ」 京一は立ち上がって、蛍光灯の紐を1度引いた。 布団に入ると、暗闇の中でスマホを起動し、目覚ましを確認する。 それから、スマホを枕元に置いて、ゆっくりと瞼を閉じた。 ♢ ――なんだか苦しい。 京一はそう思って、重たい瞼を開けた。 何度かゆっくりと瞬きをする。 京一の目の前にある障子が、ぼんやり見えた。 段々覚醒してくると、なぜ苦しいのか、原因が分かった。 「は……?」 隣の布団で眠っていたはずの瀬良が、背中越しに抱きついていたのだった。 京一は、眉間に皺を寄せて唸った。 どうやら瀬良の寝相の悪さは、昔からちっとも変わっていないようである。 耳元に、穏やかな瀬良の寝息が聞こえる。 京一はどうにか抜け出そうとするが、強く抱きしめられているので身動きが取れない。 足も、瀬良の長い足が絡まっていて重たい。 「くそっ……ばか瀬良……」 背中に瀬良の胸が当たって、トクン、トクン、と一定のリズムを刻む鼓動を感じる。 いまさら身体が熱くなる。 昔から瀬良は平熱が高い方で、冬は湯たんぽ代わりにしていたが、夏にこうしてくっつかれると、とても暑い──今は、瀬良の体温だけが原因では無いのかもしれないが。 辛うじて、肘から下だけは動かせたので、身体にまわされた瀬良の手の甲に触れた。大きくて、温かい。初めて会った時はとても小さかったのに、と京一が思ったその時、瀬良の寝息混じりの小さな声が、耳たぶを掠めた。 京一は思わず、ごくり、と喉を震わせる。 「お、おい、瀬良ってば……」 このままでは不味い、と思ってもう一度身をよじるが、やはり抜け出せない。 瀬良の手の甲をつねって起こしてやろうかと思案したが、気持ちよさそうな寝息を聞くと、直ぐにそれはかき消された。 どうしたものかと考えていると、京一は自分では考えられないような情けない声を漏らしていた。 瀬良の掌が京一の腹をゆっくりと撫でているのだ。 「せ、せらあっ!?起きてんのか……っ?」 京一が上擦った声で背中越しに聞くが、すやすやと穏やかな寝息をたてていた。 撫でられると擽ったくて、笑いそうになってしまう。京一が食いしばってこらえていると、えりー……と、瀬良が呂律の回っていない舌でそう言った。 エリーとは、瀬良の家で飼っている犬のことだ。 瀬良が中学1年生の時に飼い始めたゴールデンレトリバーで、瀬良にとても懐いていた。 京一も瀬良の家に行った時には、クリーム色の柔らかい毛並みを堪能させてもらっていたのだ。 「俺はエリーじゃねえっての……」 やがて腹を撫でる手が止まり、拘束が緩くなったところで、京一は右手をなんとか引き抜いた。 それから、枕元にあるスマホを手探りで探し当て、起動する。 「あー……変な時間に起こしやがって……」 深夜2時。起きるまで、あと30分ある。 もうこのままもう一度寝ようかとスマホを閉じようとすると、通知が入った。 一通のメールが入ったようだ。 メールをタップして開いてみる。 「海の、都市伝説……」 メールには、瀬良が書いたという嘘の都市伝説――『安遠海岸にて、午前3時ちょうどに、足を海に入れ、願い事を言えば叶う。この時、嫌われると足をすくわれ、その者の思い出の地に隠される。誰かに見つけてもらうまで、永遠に。』――が書かれていた。 「どうして、これが……」 この投稿は、瀬良が消してそれっきりだったはずである。 スマホの光に目を細めながら、スクロールしていく。 文面は海の都市伝説について書かれているだけだった。 一体誰がこんなメールを送ってきたのだろうと、京一は差出人を見ようとした。 「うわわっ」 瀬良に強引に引き寄せられて、スマホが手から滑り落ちた。 「ったく……」 うなじに掛かる柔らかい髪がくすぐったい。 首下で瀬良がむにゃむにゃと何かを言っている。 誰があんなメールを送ったのか気になるが、瀬良に腕ごと手をまわされているので、スマホを取ろうにも取れない。 京一はため息を1つついて、冷えた枕に頬を擦り付ける。 起きたら、メールのことを瀬良に伝えよう、と京一は思って、大きくあくびをした。 「ん……」 「うおっ……」 瀬良が身体を押し付けてくる。 自分より一回り大きな瀬良の身体。 瀬良は華奢に見えるが、こうして密着されると、体格差を再確認してしまい悔しい。 絡んだ脚に瀬良のつま先が触れる。 瀬良はつま先まで温かい。 あんまり今瀬良について考えると、眠れなくなりそうなので、意識を眠気に集中させる。 あと10分くらい……10分もあるか分からないが、少しだけでも眠っておきたい、と思った。 ♢ ――ピピピピ…… 京一の横で、アラームが鳴る。 「ん……」 京一が目を擦りながらスマホを手に取る。 肩に瀬良の腕が乗っ掛かってはいるが、例の拘束は解けたようである。 あと少しで深い眠りに入れそうだったのに、と京一は悔しがった。 瀬良の腕を退けて、体を起こす。 「瀬良、起きろ」 瀬良の肩を揺する。薄暗い中でも、瀬良の髪は光っているように見えた。 「瀬良っ」 今度は肩を強く揺する。 瀬良がまぬけな声を出して、ゆさぶる京一の腕を触った。 「……んん……?きょうちゃん……?」 「起きろ」 「…きょうちゃん……ふふ……」 「なに笑ってんだよ…時間だぞ」 「……どうして…わらってると思う、」 「知らねえよ、はやくってば」 瀬良の腕を引っ張って無理やり起き上がらせる。 京一は立ち上がって、蛍光灯をつけた。 部屋が一気に明るくなる。傍で座っている瀬良の髪が、艶めいて光った。瀬良があくびをして、京一の方を見て、何度か瞬きをした。 それから、ふわりと微笑する。 「……起きたら京ちゃんが居るの、すごく、いいな……」 「…は?」 独り言のように呟かれた言葉を聞いて、思わず動揺する。 「な、なんだよ、」 「なんでもないよ。……早く行って帰って、寝直そう」 そう言うと、眼鏡を取って掛けた。

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